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宇野重規 『民主主義とは何か』 その2 プラトン 哲人王の構想 民主主義批判

2021-05-25 13:56:56 | Weblog

立憲民主党枝野幸男代表へ。日本学術会議会員任命拒否問題はどうしたのですか。あれほど騒いだのに随分と淡泊な性格ですね。時間が解決すると政権側はあなたを見透かしています。モリ、カケ、サクラ、スガ長男接待、アンリ1億5千万円・・・あなたたちが食い散らかした問題が放置されています。徹底的にやり遂げようとする執念が感じられません。当然ですが総選挙の公約には、これまで反対を主張した安保法制などを撤廃することを掲げますよね。政権を担うとはスガのようにボンクラだ、ポンコツだと言われようが、歯を食いしばり歯科医院に通いながら耐えて耐えて権力にしがみつく執念を見せる必要があると思います。

 

『民主主義とは何か』(宇野重規著 講談社現代新書 2020年刊) その2 プラトン 哲人王の構想 民主主義批判 

本書は、古代ギリシャから現在までの民主主義をめぐる多様な言説をコンパクトにまとめている。その結論は、(P7引用)「民主主義という言葉は古代ギリシャ以来、2,500年以上の歴史がある。そこには時に矛盾するような意味が込められている」ということだ。その歴史の中で、僕が着目したのは、古代ギリシャの都市国家で徹底化されていた民主主義を早い段階で批判した哲学者プラトンだ。さらにプラトンは民主主義とは真逆の哲学者による統治すなわち「哲人王の構想」を提起した。

当時のアテナイは民主主義が次第に煽動政治家の跋扈する衆愚政治に転落していく時代にあった。なぜプラトンは民主主義を批判したのか。(P74)「プラトンが民主主義を批判した原因は、敬愛した師ソクラテスが民衆裁判にかけられ、アテナイの若者をそそのかし伝統的な神々を否定した罪により、民主的な裁判の結果死刑に処せられたためである。」それを受けて、「プラトンは、多数者の決定だからといって正しいとは限らないことを敢然と主張した。」

プラトンは、民主主義に絶望しそれを超える理想の政治体制とはどういうものかを考えた。民主主義が正しいとは限らない(P75)「そうだとすれば、政治をより良いものにするには、一人ひとりの人間を道徳的にしていくしかない。」「政治家は自ら道徳的であるだけでなく、人々を道徳的に陶冶する能力を持つべきであろう。」そして、「何が道徳的に正しいか、良き生活、良き徳とは何かを知る哲学者こそが統治の任を負うべきである。」という哲人王の構想を提起した。

ここで言う哲学者とは、『イデア』すなわち別世界にある「究極の理想の存在」とは何かということを獲得することを目標に定め、全人生を賭けて追及し続ける人間のことである。プラトンは、善のイデアを知ることができる優秀な哲学者、本当の正義を知っている人間が王として国家を運営していくべきであり、もしくは、王は哲学を学ぶべきであると主張した。

では現代に目を転ずると、政治家たちが理念も持たずにメディアの世論調査に一喜一憂している姿には衆愚政治を感じる。拳を振り上げ勇ましい言葉を発するのは煽動政治のスタイルと言えよう。これらに対してプラトンの「哲人王の構想」は民主主義の不備を突く鋭い指摘だ。だが、今の政治家に対して善のイデアを備えるべきと望むのはいかにもハードルが高い。善のイデアが漠然とした存在であるため、政治家の誤った思惟の結果、人びとを最悪の方向に導く可能性もあることに危惧を覚える。

民主主義の制度を遵守しながらも愚鈍な統治者を生んでしまうか、善のイデアを獲得した哲学王による独裁的な統治に任せるか。制度と人物のどちらを重んじることが人びとに幸福をもたらすのかという難問が横たわる。そこで少なくとも今の政治家に求めたいことは、知を愛し求めるという姿勢である。政治を担う者として、どのようなことが善きことで、人びとの幸せのためには何をなすべきかを考え続ける構えがほしい。

 

 

 

 

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