晴走雨読

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夏目漱石 『三四郎』(漱石全集第4巻)

2019-04-22 17:14:37 | Weblog

友人から「小森陽一が漱石についての評論を書いているよ」と紹介を受けた。吉本隆明に『漱石的主題』があるのは知っていた。今は、自分なりに感じるままに漱石を読んでいるが、評論なども読むことで時代と漱石の関係などを理解するためにはよいのかなと少し迷っている。

 

『三四郎』「漱石全集第4巻」(夏目漱石著 岩波書店 1966年刊)

『三四郎』は、明治41(1908)年9月1日から同年12月29日まで朝日新聞に連載された長編小説である。物語は主人公の小川三四郎という学生が熊本の高等学校を卒業した後、勉学するために上京するところから始まる。初めての東京では、それぞれ個性的な友人、教師、知人に囲まれ、また三四郎にとっては簡単ではない都会育ちの女性たちとの出会い、その中で社会を知り成長していく様が描かれている。

もしこの小説を若い頃に読んだ場合はどう感じただろうか。三四郎に自分が重なり、関わる人たちの気持ちを理解しようとして同じように悩み、迷い、そして都会人のように巧く立ち回れない田舎者の自分を三四郎と同じように感じたのではないか。時代は明治だが学生像としては、僕らが観ていた「俺たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」・・の昭和と変わらない青春を感じた。

今、この年齢になって読むと、そういえばこういうことを思ったこともあったなと懐かしさが浮かんでくると同時に三四郎を親の目線から励ましたくなるような自分に気付く。初めて都会に出てきた若者が持つ初々しさ、何もわからず他人の言うことの真偽も判断できず、純粋でうぶな三四郎が、これから世界を拡げ、世間にぶち当たり、大人になっていく。がんばれ、三四郎という気分だ。

しかし、自分を思い返すと、数年間の内に学生を終えてすっかり生意気になった僕は、今から思うと随分と世の中を舐めていたと思う。上司から見ると本当に使いにくい社員だっただろう。それでもカンナで少しずつ角を削られ、それなりに組織の論理を身に着け組み込まれていった。それもあり僕はギザギザしていて規格に中々納まらないような若い社員が好きだった。

届かない世代とついてくる世代の間で、歳をとるとはこういうことの繰り返しなのだろう。漱石の作品は一作ごとに文章が読みやすくなり面白くなっていく。そして三四郎の未来も応援したくなった。

 

「漱石や鴎外も読まないで吉本隆明を読んでわかったなどと偉そうにしている奴がいる。」という言葉を噛みしめながら

 

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