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戦後左翼史 その10 1961年③ 離党と除名 新日本文学会粛清

2016-02-27 09:41:50 | Weblog

 

 今週末は真冬日が続きそうで外ランは無理かな。

 

 以前、野党は外交に活路を見出すべきと書いたが、全く無策だ。アへ対米従属・国内強権路線に対抗軸を見出すためには、米国、アジアにおけるアへに対する警戒感を掴むべきである。ドメスティックでは、今のところ自民党内でもアへに対抗できる勢力はいない。民主党と維新の合流も大きな影響力を持たないだろうし、新党大地も自滅路線だと思う。日共は、志位が民主連合政府を唐突にぶち上げたが自然消滅の一人相撲。

 

 戦後左翼史 その10 1961年③ 離党と除名 新日本文学会粛清

 *(*は僕の考え)7月第八回党大会に向けて春日(庄次郎)ら構造改革派に対する粛清が続く。

1961.7.4アカハタ 「反共政策の一つの視点 米最高裁判所の裁定」佐々木武一アカハタ国際部長

★1961.7.9道新(夕刊) 「共産党の春日(庄次郎)統制監査委員会議長 新綱領で対立、離党を表明」、春日(庄次郎)は、反主流派(国際派)で主流派の野坂参三、徳田球一と対立、1950年除名、1955年復党していた。

1961.7.10アカハタ 「春日庄次郎の反党的裏切り行為について」野坂代表が談話発表

1961.7.10道新 高まる中ソ“不和節”対米評価で再燃? 裏付ける西側“七つの不思議な対立”

1961.7.11アカハタ 「1961.7.10日共中央統制委員会春日庄次郎の反党的反階級的規律違反行為についての声明」

1961.7.11アカハタ 主張「党破壊者の理論と実践」

1961.7.14アカハタ 「春日庄次郎の党破壊の策動について」日共中央委員会書記局、桜井治夫元自治体部員、遊上孝一元農民部員が同席

1961.7.14アカハタ 主張「党破壊者にたいする闘争と団結」

1961.7.14アカハタ 「知識人、学生党員の任務について 第7回都党会議(6.26)での春日正一都委員長の報告(要旨)」

(参考)・春日正一:1965年から2期参議院議員

1961.7.14アカハタ 「知識人党員として 第7回都党会議(6.26)での発言、樋口一郎千代田地区大学教職員細胞」

1961.7.15アカハタ 「日本共産党の三十九年の闘争と第八回党大会」袴田里見中央幹部会員、プラウダ紙掲載論文

★1961.7.17道新 波乱呼ぶ日共大会 新綱領草案の決定をめぐり両派(主流派、反主流派)激突は必至、反主流派(春日、亀山、紺野与次郎、山田、内藤、波多然)の大会延期のアピールに日共幹部会が非難、春日氏ら7名を除名(春日、山田、西川、亀山、内藤、内野、原金吾)

(参考)・波多然:1963年脱党

*離党と除名について。自らの意思で党組織から離れることを離党という。当該党員の意思にかかわらず党の決まりに照らして党員としての資格をはく奪することを除名といい処分になる。僕は、なぜ離党の意思ある者に除名という追い打ちをかけるのかという疑問を持っている。まるでヤクザの「指をつめろ」と同じではないか。さらに日共に特徴的なことは、除名の理由に党活動上の反党的な行為に加えて、必ずと言ってもいいくらい異性問題や金銭問題など日常生活上の問題を上乗せして、人格攻撃を加えるところにある。何度も繰り返すが、党の体質は、その党が政権に関与した場合、国民に対しても同様なことを行う可能性を持っているということだ。

1961.7.17アカハタ 「党破壊分子の新たな挑発行動について」日共中委幹部会、春日ほか6名、以前の脱落者としては、佐藤昇、力石定一(ペンネーム杉田正夫)、桜井、遊上、安東仁兵衛

1961.7.20アカハタ 「反党分子粉砕を決議」広島県委総会、松江澄県委員を機関から罷免

(参考)・松江澄:1959年日共初めての広島県議、通算五期。1961年内藤知周らと社会主義革新運動を結成。その後労働者党建設。1948年から1961年の党員の間、3度の党内闘争で2度除名、機関罷免処分1度。

1961.7.21日本読書新聞 「真理と革命のために党再建の第一歩をふみだそう」声明、新日本文学会(党員メンバー)ついに踏み切る、“誠実にして理性ある党員各位”にアッピール、共産党問題で派閥支配を弾劾、21名:安部公房、泉大八、大西巨人、岡本潤、旦原純夫、黒田喜夫、栗原幸夫、小林祥一郎、小林勝、菅原克己、武井昭夫、竹内実、玉井五一、中野秀人、野間宏、花田清輝、浜田知章、針生一郎、広末保、桧山久雄、柾木泰介

(参考)・安部公房:1961年に、綱領を決定した第8回党大会に批判的な意見書を公表したため党規律違反で除名。

・泉大八:1962年2月、前年の第8回大会にかんして、安部公房らと共に党中央を批判する文書を公表したため除名。

・大西巨人:1950年代前半、新日本文学会の事務局に勤務、会再編の方法と野間宏『真空地帯』を論じた「俗情との結託」での作品評価をめぐって宮本顕治と論争。(党員かどうかは不明)

・岡本潤:戦後は民主主義文学運動に参加、アナキズムからコミュニズムに転換し入党するが、1960年除名

・栗原幸夫:もと日本読書新聞編集長。ベ平連,アジア・アフリカ作家会議で活動、共産党系を排除したあとの新日本文学会で中心的に活躍

・小林祥一郎:新日本文学会事務局から平凡社に入社。『世界大百科事典』『日本残酷物語』などの編集部をへて、『太陽』編集長、取締役編集局長。この間、平凡社に在籍のまま、『新日本文学』編集長

・小林勝:1948年入党、50年代党の分裂時期には、所感派(徳田球一)で火炎瓶闘争に加わって逮捕。1961年、第8回党大会を批判する共同声明に参加、党規律違反で除名

・菅原克己:1947年入党、1961年、第8回党大会を批判する共同声明に参加、党規律違反で除名、その後は、新日本文学会の中心メンバーとして活動

・中野秀人:戦後、新日本文学会などに参加、入党するが1961年脱退。

・野間宏:戦後入党。1964年、ソ連に追随したとして除名

・花田清輝:1949年入党、1961年、第8回大会にあたり、新日本文学会の党員グループによる運営を批判する声明を公表、党規律違反で除名

・針生一郎:1961年、60年安保闘争時の党の指導方針を批判して除名

*「新日本文学会」の党員作家.評論家グループ14名は、これに先立ち7.19に「中央は綱領草案の民主的討議を妨げたから、党大会を延期せよ」とする意見書を中央委員会に提出していた。結果的には、党は新日本文学会内の党員文化人を多数排除した。僕は、これは党にとって大きな損失と捉える。政治方針は、議論の後、一定の方向を定めなければならないと思うが、文化に多様性が保障されなければ社会から余裕が失われ、息が詰まるような重苦しさが漂う社会になってしまう。この結果、その後の党の文化基盤は、大衆の感性から遠く隔たった幅が狭く薄っぺらなものになり、宮本顕治に象徴されるように妙に道徳的で官許的なものになった。見よ!今の日共幹部のボキャ貧ぶりを。雪崩を打つ人材流出!

★1961.7.22アカハタ 「春日庄次郎、山田六左衛門ら(7名)の除名処分について」1961.7.21中委書記局

1961.7.22アカハタ 党出版物紹介『前衛』8月増大号「第八回党大会のための特集」に除名前の内藤知周、内野壮児論文が掲載されてしまう。

1961.7.23アカハタ 「新たな挑発・分派策動を粉砕」東京千代田区委決議、盛田勇之進、栗原幸夫、津田道夫、池山重雄、深沢了、田川敬吾、相原俊徳(合同出版)らを党員権停止、中央勤務員細胞の遊上、桜井を除名

(参考)・津田道夫:「現代のトロツキズム」出版。「現状分析」を主宰、1961年除名

1961.7.24アカハタ 佐藤昇、大橋周治、前野良らを除名

(参考)・佐藤昇:戦後入党、1959年井汲卓一らと「現代の理論」創刊。1961年除名。構造改革理論で社会党江田派をリード

1961.7.26アカハタ 「野田弥三郎ら5名に対する除名処分にかんする決議」山本正美、西尾昇一、増田格之助、芝寛、武井昭夫、「安東仁兵衛ら3名に対する除名処分にかんする決議」小川太郎、棚橋泰助、第14回東京都委員会総会(7.24)

(参考)・野田弥三郎:大正・昭和期の共産党活動家、除名

・山本正美:戦前に中央委員長を経験、戦後「湯本正夫」の名で評論活動、1961年除名、統一労働者党の結成に参加

1961.7.30アカハタ 党千葉県委員会 山本正美を除名 野田弥三郎らとともに反党活動

1961.7.31日本読書新聞 「党生活40年及び離党の感想」春日庄次郎

1961.8.3道新 日共中央委総会 幹部会員の九氏全員を再選 議長野坂、書記長宮本、志賀義雄、袴田里見、蔵原惟人、春日正一、聴涛克己、鈴木市蔵、松島治重

新日本文学会の野間宏、安部公房、花田清輝とは、話し合い

1961.8.3全学連再建準備ニュース 全学連17回大会ついに流会、中執派、統一の要求ふみにじる

1961.8.28、29、30アカハタ 「事実をねじまげる反党分子の策動」井上林中央委員会党宣伝放送文化部員

 

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