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戦後左翼史 その8 1961年① 安保が終って・・

2016-02-07 13:41:03 | Weblog

 朝から、北朝鮮の「事実上の弾道ミサイル」報道が続いている。まるで示し合わせたような段取りで。妙な空気がこの国を覆っている。マイクを突き付けられた時、言ってはいけないことが予め決まっているかのような。昨日観た映画「恋人たち」は、この見えない空気を見せてくれた。狸小路「新倉屋」のぜんざい。

 

 戦後左翼史 その8 1961年① 安保が終って・・

1961年(僕6歳、4月小学校入学)に国内外であったこと。

中ソ論争公然化、ジョン.F.ケネディ第35代大統領就任、駐日大使にライシャワー氏、韓国で軍事クーデター

1961.1.8アカハタ 「1961年の世界経済と日本」‘ドル危機’複雑な影響、池田内閣―海外進出の野望、ケネディ新大統領

1961.1.21道新 騒乱事件後のハンガリー 芸術にも大きな空白 モスクワにて 園部三郎(音楽評論家)

1961.21、22アカハタ 「施政方針演説と日本人民の闘争の方向」志賀義雄中央委員会幹部会員、党国会議員団長)、池田首相、小坂外相を批判

1961.1.22、23アカハタ 「ソ連は平和勢力でないという社会党の評価について」井伊弥四郎中央委員、1960.12.18付け社会新報は、主張「社会党は右傾化したかー日本共産党の非難に答えるー」で、社会党はソ連を冷戦の一方の当事者であると捉えているが、これに対して、共産党は冷戦ではなくて、戦争勢力と平和勢力の対立という認識だと社会党を批判した。

 *(*は、僕の考え)資本主義勢力(米国)は悪で、社会主義勢力(ソ連)は正しいという思考停止の認識。これが、後の部分核停止条約に対する評価につながり、日共は社会主義勢力は平和勢力なのだから、それらの核実験も「きれいな核」を使うのだから反対はしないという主張に繋がる。これは、日共がいかにソ連、中国共産党の影響下にあり、自前の世界観を持っていないかを示すものである。今になって日共が主張する、大国の覇権主義に反対する自主独立路線などというのは全く事実に反する。

 1961.1.23アカハタ 共産党都道府県委幹部中央学習会終わる 宮本顕治、松島治重、袴田、土岐強、井伊弥四郎

(参考)・松島治重:日本共産党名誉幹部会委員

・井伊弥四郎:全官公庁共闘会議議長、1958年(昭和33年)に日本共産党中央委員に選出、党本部で労組対策を担当、第11回党大会で解任。

1961.1.29アカハタ 「国民会議の活動再開にあたっての問題点」

1961.1.29アカハタ 主張「十四中総決議の討議と実践におけるいくつかの問題」

1961.1.29アカハタ 「81か国共産党・労働者党声明を読んでー教育学者としてー」五十嵐顕東大助教授(教育学)

(参考)・五十嵐顕:東大教授、教育財政学、マルクス主義教育学、ソビエト教育学を研究

1961.1.29アカハタ 「日教組、日高教合同教研全国集会に望む 世界史の動向を読んでー集団主義的人間づくりの土台を」矢川徳光(教育学者)

(参考)・矢川徳光:公職追放、ソヴィエト教育学研究会会長、日本共産党員

*子どもたちに対する「集団主義的人間づくり」というのは、どの様な教育なのか。日共の組織原理は民主集中制であるが、これに類する教育方法を現場へ適応するというものであればとても乱暴な議論だと思う。僕は、『滝山コミューン1974』(原武史著)(このブログ2013.3.31)において、当時当事者だった著者がそこにいた子どもたちにとって、そこで実践された教育は地獄だったと述べていることを思い出した。また、それが現在とは無縁なことではないと思う。現在の教育現場で叫ばれている「絆」や(事実上強制されている)ボランティアなどに対しても見えない権力が働いていて、子どもたちにとっては危険な側面を持っていると考える。

1961.1.29アカハタ 「原理的な前進と成功を」高林二郎(現場教師)

1961.1.30道新 「社会党の構造改革論 主張と批判」「大衆の幸福を通じ社会主義実現図る」江田三郎日本社会党書記長、「改良主義の危険、運動理論など三つの疑問」清水慎三経済長期政策委員会事務局長、「直接行動に力点、社共統一の方向に進む」和田耕作民主社会主義研究会事務局長

1961.2.2アカハタ 「社会党の構造改革論について」アカハタ評論員、二つの敵論

1961.2.5アカハタ 「81か国共産党・労働者党声明と「よびかけ」(1960.11)学習の正しい態度」袴田里見幹部会員

1961.2.6道新 社会党の新運動方針第一次草案まとまる 組織、行動力を強める、生活と権利を守る国民運動を積み上げ、地方自治体改革の戦い

1961.2.12アカハタ 「モスクワ声明を学ぶ正しい態度 一、二、三の基本的な誤りについて」石田精一アカハタ編集委員

(参考)・石田精一:第21回大会で顧問

1961.2.15アカハタ 「十四中総決議と八十一か国党声明を正しく学ぶために、「前衛」三月号を読んで」橋本

1961.2.16、17、18アカハタ 「第25回の真相はゆがめられているー小野義彦氏に答えるー」豊田四郎、「エコノミスト」(1960.12.23)「東洋学者会議からの報告」を批判。東洋学者会議とは、1960モスクワにて開催されたソ連科学アカデミー主催国際東洋学者会

1961.2.22アカハタ 「日本社会党の1961年の運動方針案について」3月定期大会、党員47,000人、反独占国民連合。日共は民族民主統一戦線

1961.2.24、25アカハタ 論壇時評(上)「社会党の「構造改革論」をめぐって」石田精一アカハタ編集委員、(下)「国際情勢を評価する二つの立場」岩田英一

(参考)・岩田英一:宮本路線を批判、日本共産党第8回大会前離党、子に経済学者岩田昌征。

1961.2.28戦旗 「共産主義者同盟、階級闘争とプロレタリア党の論理、自らの革命的止揚と革命的マルクス主義者の原則的統一のために」青山到、1960.7同盟(ブント)解体、革命的共産主義者同盟全国委員会との原則的統一を部分的保留をのぞいて決意し決定

(参考)・青山到(守田典彦、福岡ブント結成)

1961.3.6アカハタ 主張「浅沼精神にかえって前進をー社会党大会によせてー」

1961.3.9アカハタ 社党大会終わる、米帝、構造改革、共産党関係などで原案に批判集中、 河上丈太郎委員長、江田三郎書記長

1961.3.10アカハタ 第六回東京都党会議終わる、団結の基礎固まる、弱点を克服し党大会めざして前進

1961.3.14、15アカハタ 「三・一五(1928年)、四・一六(1929年) 党勢拡大に応じて入党した新しい同志へ」志賀義雄幹部会員

1961.3.17アカハタ 「知識人党員の若干の問題について 都党会議での文書発言」宮本和彦千代田地区代議員、三上富夫文教地区代議員、研究者である前に党員である自覚をと主張。

*「研究者である前に党員である自覚を」は問題発言である。真理を追求するためには学問の自由が保障されなければならないという原理は普遍性を持つと思う。研究よりも党の見解を上に置くというのは言語道断。この党員たちの認識は、教会が天動説を唱えれば、いかに科学的な証拠があったとしても地動説を主張できないという、コペルニクス的転回以前のレベルであると考える。

1961.3.17アカハタ 「ILO87号条約批准と関係国内法の改正問題」組合弾圧の布石、難航する政府、自民党の意見調整

1961.3.18図書新聞 「中小企業の資本と労働」渡辺睦明大講師(中小企業論専攻)、旧理論からの脱却~要望される共同研究、拡大した企業規模~労使問題も複雑化

1961.3.25アカハタ 論壇時評(下)「構造的改革か民主的改革か 注目すべき社会党四氏(黒田寿男、田中稔男、松本七郎、岡田春夫)の訪中報告」石田精一アカハタ編集委員

1961.3.30アカハタ 「東京都千代田地区党会議 自由主義的傾向を克服して前進 新地区委員会のもとに十四中総決議の実践へ」

1961.4.2アカハタ 解説「昨年4月の南朝鮮人民統合の歴史的意義について」竹本、1960.4.19人民抗争

1961.4.3アカハタ 「『学習の友』4月号「構造改革特集号」の反労働者的内容について」阿部泰中央委員会労働組合部員、中山隆(架空人物か?)、編集部に残念

(参考)・阿部泰:1997年第21回党大会で名誉幹部会委員、2000年第22回党大会で名誉役員

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