真冬日が続き、外でのリハビリ―は回避。室内でのペダル漕ぎでエネルギーを消費し体重を何とか維持している。春を呼べ!
本の整理を始めたが、懐かしいような、切ない気持ちが押し寄せてきて、中々進まず。捨てることができないが、捨てなければいけない。
戦後左翼史 その6 1960年② '60年安保
1960.1.19 日米新安保条約がワシントンにおいて、岸首相とアイゼンハワー大統領との間で調印。反対闘争の目標は、調印阻止から批准阻止へ。5.19衆議院で新条約批准を強行採決。6.19参議院通過、自然成立、発効。安保闘争が佳境を迎える。
*(*は、僕の考え)共闘組織の安保条約改定阻止国民会議(総評、社会党など13団体が中央幹事団体)において、日共はオブザーバー参加であった。この意味するところは不明。日共が傍観者的なスタンスを決め込んだのか、共闘組織から信頼を勝ち得ることができずオミットされたのか。
1960.5.25アカハタ 通達「新しい事態の闘争のために」日本共産党中央委員会書記局
1960.5.31アカハタ 主張「安保阻止闘争の全般的利益にために、トロツキスト集団に断固たる態度を」
1960.6.4アカハタ 6.3中央委員会幹部会声明「岸打倒、国会解散、安保批准阻止、売国・ファッショ的暴挙粉砕」、政府声明の不当と虚偽に断固抗議する、今日全国で愛国、正義の大闘争
1960.6.5アカハタ 6.4中央委員会幹部会声明「6.4ストの偉大な成果に立ってさらに前進しよう」6.4大行動、米日反動に通弊
1960.6.11、12、13アカハタ 「知識人の思想と行動―一部の人々の誤った見解についてー」蔵原惟人(これひと)中央委員会常幹部会員文化部長
・5.23『週間読書人』清水幾太郎「最悪の事態に立って」、6.4『図書新聞』竹内好「民主か独裁か」、『世界』7月号「心境と見通し」に対する批判
1960.6.12アカハタ 人民日報(1960.6.10)が論評「安保闘争 しっかりと人民大衆に依拠して」
1960.6.12アカハタ 「アイゼンハワー来日をめぐって この瞬間の歴史的意味」宮川寅雄(日本AA連帯委員会担当常任理事)
(参考)宮川寅雄(戦前1931年入党、1967年中国問題で除名、日中文化交流協会理事長、1985年死去)
1960.6.15毎日 全学連の反主流派、主流派とどう違うか
・主流派は、共産主義者同盟、唐牛健太郎全学連委員長、「反岸」
(参考)唐牛健太郎(北海道大学、1957年入党、その後共産主義者同盟結成大会に参加)
・反主流派は、日本共産党、リーダー黒羽純久(東京教育大4年)、ハガチー新聞係秘書来日乱暴事件、「反米」
(参考)黒羽純久(よしひさ)(1960年全国学生自治会連絡会議議長、構造改革派、後に離脱)
1960.6.15~19アカハタ 「日米修好の「百年」」(1)~(4)井上清(京大助教授)
(参考)井上清(在野で、歴史学研究会などで講座派マルクス主義の立場からの日本近代史研究の第一人者、後に、中国文化大革命、全学共闘会議を支持。1967年除名)
1960.6.17アカハタ 「日米修好百周年と新安保条約」 大ウソの「日米新時代」、岸のやり口、明治専制政府顔負け
1960.6.18アカハタ 「アイク訪問中止の国際的波紋、米帝国主義の新しい敗北」岡倉古志郎(日本AA連帯委員会担当常任理事)
(参考)岡倉古志郎(岡倉天心の孫、アジア・アフリカの民族運動を研究、2001年死去)
1960.6.19アカハタ 主張「新しい勝利にたってさらに前進しよう」6.10ハガチー来日、6.16アイゼンハワー大統領来日中止
1960.6.25アカハタ トロツキスト共産党本部を襲撃
*6.15東大生樺美智子が殺された。6.23国民葬に日共は不参加。これに対して全学連は憤慨し、党本部にデモをかけた。日共は、死んだのはトロツキストでそれは自業自得だ。ひとりの人間が亡くなった事実に対して人間としての哀悼の意を示すことをせず、思想の異なった者は死んで当然という態度。これは当時も現在も変わらないが、大衆が日共に対して抱いている共に闘うという信頼感を持てない原因である。
1960.6.26アカハタ 解説「日本のトロツキスト 反革命分子の集団 米帝との闘争を否定 反ソ、反共の挑発行動」
1960.6.27アカハタ 主張「トロツキスト徒党への断固たる闘争の勝利」、小島弘、糠谷秀剛、香山健一、藤原廣久、北小路敏らを批判
(参考)・小島弘(1957年全学連副委員長、その後世界平和研究所参与)
・糠谷秀剛(全学連執行部、その後弁護士)
・香山健一(1956年共産主義者同盟結成、その後学習院大学教授)
・北小路敏(さとし)(1954年入党、1958年離党、その後革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派))
1960.6.29アカハタ 安保体制打破道民会議常任幹事会でトロツキスト除名決議、北海道学芸大学札幌分校が拠点。岩見沢、函館、釧路、旭川分校、札幌医科大学、北海道大学における共産主義者同盟員(社会主義学生同盟員)は2百数十名
1960.6.29アカハタ 民青同盟文化祭宮本書記長演説、安保破棄への条件は十分、青年の未来とざす米日反動
1960.6.29アカハタ ブカレスト会議12か国共産党労働者党共同声明を発表、平和共存と戦争阻止、1957.11モスクワ宣言の正しさ確認、(12か国:アルバニア、ブルガリア、ハンガリー、ベトナム、ドイツ、中国、朝鮮、モンゴル、ポーランド、ルーマニア、ソ連、チェコスロバキア)
1960.7.1アカハタ 「米日反動の政策と新安保条約にたいする今後のたたかい」志賀義雄中央委員会幹部会員の東京千代田公会堂での記念講演から
1960.7.4アカハタ キューバ革命の前進 アメリカ石油工場を接収、武力干渉ねらう帝国主義
1960.7.4道新 ブカレスト会議「戦争と平和をめぐる理論的対立」、中ソの食い違い妥協なる、「分業関係」作られる、西側ゆすぶる?両面作戦
1960.7.5アカハタ 「安保闘争と経済干渉 次期政権への援護射撃、政府・独占、逆宣伝に狂奔」
1960.7.6アカハタ 1960.7.1第11回日本共産党中央委員会総会「愛国と正義の旗の下に団結し前進しよう」
1960.7.7アカハタ 主張「十一中総(6.29~7.1)の決定と意義」
1960.7.9アカハタ 「トロツキズムと小ブルジョア急進主義」豊田四郎中央委員会宣伝教育部長、
ハンガリー事件の影響もあり、1958年全学連第12回大会以後全学連中央執行部30名全員が共産主義者同盟に結集。中執は、香山健一、島成郎、森田実、革命的共産主義者同盟は、元全学連中執、塩川喜信、土屋源太郎により結成されたが、黒田寛一系の同志会と書記局派に分かれている
(参考)・島成郎(1950年入党、1960年全学連書記長、その後精神科医)
・森田実(1958年共産主義者同盟結成、その後政治評論家)
・塩川喜信(1958年全学連委員長、その後東大助手)
・土屋源太郎(都学連委員長)
1960.7.11アカハタ 「たたかうキューバ人民―対米従属の脱却と民主主義の前進をめざしてー」池上幹徳(ジャパンプレス理事)
1960.7.14アカハタ 「7.15に思う」春日庄次郎
1960.7.18アカハタ 「樺美智子葬に対するわが党の態度について」橋本貢(中央委員会宣伝教育部員)、6.24中央委員会幹部会声明で「国民葬」不参加を決定
1960.7.19道新 35年度の経済白書発表 驚異的成長ぶり 上昇の成熟期を迎える
1960.7.23、24アカハタ 学生の思想と小ブルジョア的革命性の問題をめぐってー学生の暴走の背後にあるものー、―トロツキストを孤立化し粉砕せよ―
1960.7.28アカハタ 主張「社会党の「政治方針解説」の文書について」
1960.7.28、29アカハタ 「民主勢力の団結強化のために 社会党「政治方針解説」を検討する」二つの敵、米帝と独占、革命論、統一戦線、学生運動への対応で対立
1960.7.30アカハタ 全国都道府県委員長会議(7.5)における宮本書記長の総括
1960.7.30アカハタ 「最近の日本経済の動向」中央委員会経済調査部
1960.7.30、31アカハタ 「国際情勢の見方に現れたトロツキストの立場と役割―かれらは米帝国主義をどのように美化するのかー」西沢富夫中央員会経済調査部副部長
1960.7.31アカハタ 「35年度経済白書についてー転機に直面する日本経済の問題」土岐強経済調査部長