晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

不安定狭心症 その2

2015-08-07 10:24:43 | Weblog

 退院3日目、ゆっくりとした生活。少し散歩をしたがほんの少しの上り坂もきつい。ショッピングセンターに行くが、人が多く感じてしまい交差が上手くできない。少しずつ元に戻すことができればと願う。

 発端は、7月24日(金)7:00前の朝食時胸がつかえたような苦しさ、しかし間もなく消える。会社へ行こうと準備をしていた7:30頃、再び息ができないような苦しさ、我慢できないこともないが、普段とは違う。会社に、胸が苦しいので病院に行ってから会社に行きますと連絡する。間もなく消える。8:00過ぎ、再び苦しさ、病院は9:00からだが、早い方がいいと判断する。救急車は隣近所も含めて大事になるのでタクシーで大きな病院へ行く。

 教訓:判断の基準は、我慢できる、できないではなく、普段と違うかどうか。

 病院の待合には100人を超える患者が待っている。苦しいことを説明すると、問診、診察を急病扱いで直ぐに対応していただく。4回目の苦しさがやってくる。直ぐに、検査室へ搬送。

 カテーテル挿入。右手首の局所麻酔だけなので、意識もあり、医師、スタッフのやりとりも全部聞こえる。造影剤を入れると心臓にある3本の冠動脈のうち1本の根元のところ1か所が完全に詰まっているところがある。バルーンで血管を広げる時、医師にこれをすると直ぐに楽になりますと言われる。その瞬間から本当に快適になる。バルーンは、圧力と加圧時間の設定が重要なのだろう。10気圧とかストップウォッチで20秒などと計測している。その後、ステントという金属の管を挿入。これも管径と長さの設定が重要と思われた。検査から処置まで1時間から1時間半くらいか。

 手術中は、スタッフの動きや会話から緊張感が伝わり、かなりやばいのかなと不安になる。死に対する現実化を感じるが、ただ、このまま死ぬことはないだろうとは思っていた。

 その後は、集中治療室で3日間。左腕点滴2か所、右腕は止血のため完全固定、導尿管、絶食。定期的に採血をして、酵素の濃度を測る。冠動脈が詰まって心臓の筋肉に血液が流れなくなると壊死が始まり、血中の酵素が増えるのでその経過を測定しているとのこと。結果的には詰まってから3時間から4時間が経過していたが、酵素の濃度がそれほど上がってなく、心臓へのダメージは少なくて済んだとのこと。ダメージが大きいと「心筋梗塞」という病名になる。

 翌週の28日(火)、2回目の処置。前回の検査で見つかっていた冠動脈が細くなっている2か所にカテーテルを入れて、バルーン、ステントを入れる。一度経験しているので緊張も無く医師を信頼していた。

 予定では、数日間の入院予定だったが、その後、発熱と頭痛で3日間点滴と投薬。血管を広げる薬の副作用なのか、院内のウィルスに感染したのかは不明。経過を見ながら8月4日(火)に退院。約1か月余りの自宅療養の診断が出る。まだ、時々頭痛があったりしてすぐれないが、かなり弱った体力の回復を図りたい。

 幸運:もし発作が翌日の25日(土)に起きていたら、その日から1泊2日でバスを使ってお客さんを引率して田舎にいく仕事があり、きっと全体に迷惑をかけられないとギリギリまで我慢しただろうし、また近くに適切な処置のできる病院があったかどうかもわからないので重篤になっていたかも知れない。

 幸運:これまでの知人たちの話からこの病院はいいよという評判を聞いていたので、どこに行こうかと考えた時、良い判断ができたと思う。担当の医師も腕もいいし、大変信頼できる方だったし、看護師ほかスタッフも連携が取れていて、献身的に看護をしていただいた。

 

 

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