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『新しい左翼入門』 その2

2012-08-05 14:39:44 | Weblog

 テレビ番組がオリンピックに占拠され思考停止状態である。定時のニュースまでがロンドンの結果一色である。後から振り返るとこういう時に諸般の事柄が進んでいるというのが私の経験則である。

 

 著者はストレートに左翼の欠陥を「現実の人間を理念の手段として踏みにじってしまう」(P7)と指摘する。抑圧からの人間の解放を理念としながら、その人間を手段としてしか見ることのできなくなる倒錯した意識。これは「疎外」(P31)と言ってもいいだろう。これが、左翼に親和的である私自身も自戒を込めてこのブログで指摘してきた、「自分(たち)だけが正しいと思い込む人(々)」の持つ致命的欠陥である。

 著者は、この国のこれまでの左翼運動の考え方を2つに分類する。①「理想や理論を抱いて、それに合わない現状を変えようとする道」、革命的意識を無知な大衆に外部注入する、いわゆる前衛党理論である。

 この運動には、「中央集権で指導部の意思のもと個々人を束縛する」(P58)、「上からの押し付けが生身の個々人への抑圧になる」(P171)、「現場の諸個人の暮らしや労働の事情から遊離して、理論や方針を外から有無を言わさず押し付けて、現場の個々人に抑圧をもたらす」(P211)などの欠点が指摘される。

 もう一つの、②「抑圧された大衆の中に身を置いて、立ち上がる道」(P31)では、運動に統一性が無いため、「小集団の自主独立を尊重したら、その小集団の内部の個性が圧殺され、腐敗した幹部の独裁がまかり通る」(P58,64)、「大衆の実感に依拠する道は、その実感が、世界に通じる普遍性のあるものか、ある特定の職種なり、ある特定の民族なり、身分なりにしかあてはまらないものかが区別できないという短所」(P105)、「現場の視野が内向きになって外部に配慮を欠いたり、小ボスの利権と支配が発生したりするのを許してしまいやはり人々への抑圧となる」(P171)、「他集団ことを配慮に入れず、外部に害となる集団エゴ行動をとったり、伝統的因習に無反省でメンバーを抑圧したり、小ボスによる私物化が発生したりする」(P211)、などの欠陥が指摘される。

 いずれも「少数者による専制主義、官僚主義が行なわれる」(P65)という危険性を孕んでいる。私がこのブログで指摘してきた「変革の中での権力性の発現」、「自由の孕む他者への権力性」の問題と本書の問題意識が重なる部分が多いのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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