昼間の京都先斗町を歩いてみました。店は閉まっていてひっそりとしていました。京都先斗町に雪は降るのでしょうか。
『現在の立脚点』 その1
私の寿命が尽きる頃から現在を見た場合、あと20年から30年くらいあればいいのだが、私も含めて「今、ここ」を生きている人々が期待や関心を持ち、その動向に一喜一憂している事柄、それは特に政治や経済、社会に関することだが、それは既に修復が不可能なほど劣化が進み、何をしても有効な対策にならない地点に達しているのではなかろうか。
反対に、様々な局面において、これからの未来社会の形状を示す兆候や萌芽がありながら、私たちは鈍感なことにそれに中々気付いていないのではないか。
例えて言うと、幕末の志士達、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が佳境に入っているが、坂本龍馬などは幕府と藩に対して異国という概念は持っていただろうが、この国、日本という概念をどこまで持ち合わせていたのか、ドラマで「ニッポン、ニッポン!」と叫ばせているのは、現在に合わせた後付けの台本であろう。
今の日本という観念は、明治になってから天皇を中心とした国民国家という擬制を作り上げた結果であり、龍馬の時代は「脱藩」<脱国家>までが限界であったと考える。
さて、我々の「今、ここ」に戻ると、我々の現在も国民国家という擬制の延長線上で考えているが、今必要なのは<脱国家>、国民国家の枠組みを超えて考える必要があるのではないか。
未来社会の可能性は、より広いレンジで捉えると「世界市民による世界共和国」(グローバル)、もっと身近な地域における人間と人間の関係の再構築「アソシエーション(協同)社会」(ローカル)から構想できるか。