晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

東郷和彦 フォーラムin時計台

2009-03-29 15:19:36 | Weblog
 週末ランだけでは練習量が不足して身体が戻ってしまいます。年度末は会社の送別会や歓送迎会という飲み会が重なります。

 それに加え、先週は、コンサ戦、フォーラム時計台、土曜の夜の営業と続きました。ランニング日和の本日は、ゆっくりランで少し足を伸ばしました。



 東郷和彦 フォーラムin時計台 2009.3.26

 4th Series『フォーラムin時計台』が「 世界を視るー分断から連帯へ向けて 一歩踏み出すー」をテーマに再開した。

 3月26日は、元オランダ大使というよりロシア局長を長く勤めた東郷和彦氏(現テンプル大学日本校客員教授)の話だった。
 
 氏によると外交官の仕事は3つに分かれる。情報収集、交渉、そして国内世論の形成。氏は、2001年3月イルクーツクで行なわれたプーチン・森会談では戦後における日・ロの距離が最も近い所まできたが、その後の日本側の国内事情(鈴木宗男の失脚、佐藤優と並び東郷和彦氏の更迭)により頓挫した。これは、国内世論の形成に失敗したことを意味するとのこと。

 氏からは、交渉が順調に推移していれば、今頃北方領土問題はかなり前進(2島返還)していたのではないかという悔しさが感じられた。最近、再びこのイルクーツク会談にもどる言説も出てきている。

 講演で氏は、靖国参拝、従軍慰安婦、対韓国、中国、台湾に対する歴史問題、原爆投下、東京裁判などイデオロギーの対立している問題について、「左右の主張を読んでほしい。」ということを協調していた。左翼の言説の例としては、丸山真男、家永三郎などを挙げている。

 その理由としては、左右の対立にエネルギーを費やしているうちに、中国、インドが台頭し、この国は国際的に取り残され、地盤沈下が目立つ、そしてこの国はこれからどこへ行くのかという危機感を持っている。歴史問題のコンセンサスが必要である。

 前の大戦に対する氏は、対米戦争は、帝国主義国間の戦争として侵略を免れるために止む無し。なお、氏の祖父は、開戦及び終戦時外務大臣東郷茂徳。しかし、中国をはじめとするアジアとの戦争で行なった日本軍の残虐行為は看過できないという認識である。(参考:「本 読書人の雑誌」2009.1講談社P55~57 東郷和彦「均衡のとれた歴史認識のために」)

 このことから、氏は、過去の歴史を全肯定する田母神俊雄空将の論文「日本は侵略国家であったのか」を批判する。また、現在の自衛隊の中で、この田母神論文を支持する隊員が多いことに警鐘を鳴らす。

 講演を聞いて、東郷氏は外交官としてバランス感覚のいい比較的リベラルな思想の持ち主なのだと感じた。外交という仕事は、国家という看板を背負い、国家利益と国際平和を追求することなのでそれ自体を否定するつもりはない。

ただ、機会があれば聞いて見たいと思ったのは、国家という境界の無い世界、私の世界に対する究極のイメージ、国家の廃絶についてどう捉えているかである。

 今後の参考に、ネット上「フォーラム神保町」で検索。文献「歴史と外交―靖国・アジア・東京裁判」(東郷和彦著 講談社現代新書 2008年刊)
 
コメント
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