次の日は観光です。昨日は深酒(台北の夜は屋台がいっぱいあり、遅くまで飲めます。屋台の衛生状態は良くなく腹痛や、食あたりになる日本人が多いと言われましたが、無事でした。)したせいか、朝は寝ぼけていました。バスに乗り遅れましたが、なんとか出発です!
まず「孔子廟」という孔子を祭ってある儒教の殿堂にいきました。中国からの建築様式である、きらびやかなそれは、日本の建築様式は違い派手ハデ・・・やっぱり日本の建築様式の方が好きです。ここは学問と健康とお金にご利益があるそうです。おみくじをしましたが、意味が分かりませんでした。
次は台湾の行政府や軍の最高司令部の置かれている「総統府」に行きます。というよりも通過しました。ここは日本の統治下に置かれていたときに、日本政府の台湾総督府として建築されたもので、こんなに凄い建物を7年ものの歳月をかけて建築したなんて、当時は台湾を日本の一部、そして時の日本人達は台湾の近代化に向けて一生懸命だったんだな~と思いました。
現在に残る台湾のインフラのほとんどは当時の日本が情熱をかけて整備したとか・・・その片鱗が至るところで見受けられます(感動)
次は「中正記念公園」へココは蒋介石が没した記念に建てられたメモリアルパーク。大きな建物があります。蒋介石を偲ぶ記念公園だが、はたして蒋介石が台湾民にそこまで慕われていたか疑問!?彼は戦後中国大陸の共産党政権から逃れてこの地にやって来た人。それまで日本が統治しており、日本軍やその民を追い出したという意味では台湾民からは歓迎されようが、それまで秩序が保たれてきた台湾に突如中国民が渡ってきた。これを揶揄する言葉に「イヌ去りて ブタ来る」とはよく言ったもんだ。2・28事件がそれを意味していますね。それから戒厳令を施行し、白色テロを持ち込んだ当人がはたして台湾民に歓迎されたであろうか・・・。まぁこれはこれとして次に行きます。
広場にボクが立っています。小さいのでわかるかな?
次は「故宮博物院」に行きました。ここはルーブル美術館、大英博物館に匹敵する博物館とか。ここも蒋介石が関与しているらしい。中国歴代王皇帝が収集したものを台湾に運んだらしいです。人が多くて良くわかりませんでした。残念!
立派な構えです。
次は「忠烈祠」ですここは日本で言う靖国神社だそうです。衛兵が立哨勤務しているのを交代する「衛兵交替式」は見事でした。一糸乱れぬその動きは凄かったです。
靖国神社に似た厳かな雰囲気が漂っていました。でも建物が派手!
厳粛な雰囲気の中、僕達のような観光客がヘラヘラしていて何だか恥ずかしかったです。
さて、一般市民が暴走族となったような道をタクシーの運ちゃんにココ行ってと頼んで次なる目的地は小籠包を食べに・・・。車からバイクまで皆荒っぽい運転で肝が冷やされます。無意識に両脚に力が入ります。これも台湾名物とか。しかも事故現場を目撃!原付バイクの兄ちゃんが苦しそうにしていました。バイクは大破!さて、シュウマイや餃子やらを頂きます。さすが!「うま~い」ビールが進みます。ラーメンは日本の方が旨かったけどね!
眠ることを知らない台湾の夜を過ごしました。
そして帰国の日が来ました。異国情緒を充分味わえて感動の日々を過ごせました。過去、共に日本と同じ歴史を歩んだ「こう言うと日本本位の言い方ですが」台湾を訪れることが出来て感動しました。そして、僕達の祖父達がこういった国々で新境地を求めて生きていたのだという歴史の片鱗を触れることが出来ました。
祖父は支那、ビルマ、フィリピンの前線で戦い抑留を得て帰ってきたのですが、祖父達は戦中、そして銃後の日本の為に頑張ってきたのだな~と少し感動しました。
台湾の空港(松山機場)!
まず「孔子廟」という孔子を祭ってある儒教の殿堂にいきました。中国からの建築様式である、きらびやかなそれは、日本の建築様式は違い派手ハデ・・・やっぱり日本の建築様式の方が好きです。ここは学問と健康とお金にご利益があるそうです。おみくじをしましたが、意味が分かりませんでした。
次は台湾の行政府や軍の最高司令部の置かれている「総統府」に行きます。というよりも通過しました。ここは日本の統治下に置かれていたときに、日本政府の台湾総督府として建築されたもので、こんなに凄い建物を7年ものの歳月をかけて建築したなんて、当時は台湾を日本の一部、そして時の日本人達は台湾の近代化に向けて一生懸命だったんだな~と思いました。
現在に残る台湾のインフラのほとんどは当時の日本が情熱をかけて整備したとか・・・その片鱗が至るところで見受けられます(感動)
次は「中正記念公園」へココは蒋介石が没した記念に建てられたメモリアルパーク。大きな建物があります。蒋介石を偲ぶ記念公園だが、はたして蒋介石が台湾民にそこまで慕われていたか疑問!?彼は戦後中国大陸の共産党政権から逃れてこの地にやって来た人。それまで日本が統治しており、日本軍やその民を追い出したという意味では台湾民からは歓迎されようが、それまで秩序が保たれてきた台湾に突如中国民が渡ってきた。これを揶揄する言葉に「イヌ去りて ブタ来る」とはよく言ったもんだ。2・28事件がそれを意味していますね。それから戒厳令を施行し、白色テロを持ち込んだ当人がはたして台湾民に歓迎されたであろうか・・・。まぁこれはこれとして次に行きます。
広場にボクが立っています。小さいのでわかるかな?
次は「故宮博物院」に行きました。ここはルーブル美術館、大英博物館に匹敵する博物館とか。ここも蒋介石が関与しているらしい。中国歴代王皇帝が収集したものを台湾に運んだらしいです。人が多くて良くわかりませんでした。残念!
立派な構えです。
次は「忠烈祠」ですここは日本で言う靖国神社だそうです。衛兵が立哨勤務しているのを交代する「衛兵交替式」は見事でした。一糸乱れぬその動きは凄かったです。
靖国神社に似た厳かな雰囲気が漂っていました。でも建物が派手!
厳粛な雰囲気の中、僕達のような観光客がヘラヘラしていて何だか恥ずかしかったです。
さて、一般市民が暴走族となったような道をタクシーの運ちゃんにココ行ってと頼んで次なる目的地は小籠包を食べに・・・。車からバイクまで皆荒っぽい運転で肝が冷やされます。無意識に両脚に力が入ります。これも台湾名物とか。しかも事故現場を目撃!原付バイクの兄ちゃんが苦しそうにしていました。バイクは大破!さて、シュウマイや餃子やらを頂きます。さすが!「うま~い」ビールが進みます。ラーメンは日本の方が旨かったけどね!
眠ることを知らない台湾の夜を過ごしました。
そして帰国の日が来ました。異国情緒を充分味わえて感動の日々を過ごせました。過去、共に日本と同じ歴史を歩んだ「こう言うと日本本位の言い方ですが」台湾を訪れることが出来て感動しました。そして、僕達の祖父達がこういった国々で新境地を求めて生きていたのだという歴史の片鱗を触れることが出来ました。
祖父は支那、ビルマ、フィリピンの前線で戦い抑留を得て帰ってきたのですが、祖父達は戦中、そして銃後の日本の為に頑張ってきたのだな~と少し感動しました。
台湾の空港(松山機場)!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます