こたなたよりこんなこと

「登場人物」と「人物設定」は「フィクション」です。人物・企業・団体は実在のものとは関係ありません。

「弥生時代人」の謎

2019年01月03日 | 博物館・科学館

 昨日は「年の始めは博物館」って事で「国立科学博物館 上野本館」へ行ってきまして、その「企画展」で「砂丘に眠る弥生人 -山口県土井ヶ浜遺跡の半世紀-」を見て来ました。

 さて、「弥生時代」ですが、ご存知の方は「農耕」が始まった時代であり、「弥生人」は「大陸からの渡来人」である。という事が一番初めに思い浮かぶのでは無いでしょうか?ただ、最近はこの「弥生時代」に関する研究が進み、以前とは違った見方の「弥生時代」が見えてくるようになりました。

 「弥生時代」は「明治17年」に「東京都文京区向ヶ丘弥生町」で発見された「縄文式時」とは違う「シンプル」な「土器」が発見され、後にこの種の土器が使用されていた時代が「弥生時代」となりました。しかし、土器は発見されましたが、「弥生人」としての人骨が本格的に発掘調査されるようになったのは「昭和28年」の「山口県土井ヶ浜遺跡」の調査からだそうです。この発掘調査は「昭和32年」までに5回の調査がおこなわれ、その後も19回に渡る発掘調査により、300体近くの弥生時代の人骨が発見されたのです。

 その発掘調査により、「弥生人」の分布が「九州方面」だけでも「渡来系弥生」「西北九州弥生」「南九州弥生」と大きく3つに別れ、地域性に特色が多い事が解り、さらに、当時の「土着民」であった「縄文人」との混血も早かったようです。この事は「渡来系弥生人」や「西北九州弥生人」の「核ゲノム」を解析すると「渡来系弥生人」は「朝鮮半島や中国」の現代人よりも現代日本人に近く、「西北九州弥生人」も「縄文人」よりも「現代日本人」に近い関係にある事が解っています。

 また、「西日本」では「受傷痕」のある「弥生人」の人骨が多数発見され、一つの遺跡からも大量の「受傷人骨」が発見された報告もあり、これらは「倭国大乱」と当時「クニ」同士が争った事があったことを教えてくれています。

 また一方で「関東以北」の「弥生人」は「DNA鑑定」では「典型的な縄文人」の遺伝子を持っており、頭蓋骨の特徴も「縄文人」の特徴が見られ、「弥生時代」には「弥生人と縄文人が混在していた」といえるでしょう。

 最新の研究により「弥生時代」がどんな時代だったのか謎がますます深まるばかりです。

 それでは、本日の登場人物は「博物館」の話題でしたので、この方。「ベルジアンタービュレン」の「Chiefille」で「人類学」の中 でも「古代美術」を専攻している「ベルギー国立博物館」の「学芸員」である「リリアーヌ・コラフェイス」さんコト「リリア」さんです。調査解析の進む「弥生人」。その広がり等は新たな発見が多く、弥生時代のやぞは深まるばかりなのです。ちなみに背景が「砂丘に眠る弥生人 -山口県土井ヶ浜遺跡の半世紀-」の入り口なのです。

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