そう言えばもう世間の学童・学生さんたちは「春休み」なんですね。すっかり忘れてしまっていましたよ…。「かはく」コト「国立科学博物館」では現在「特別展」として「マチュピチュ「発見」100年 インカ帝国展」が開催されています。当然のコトながら私も行ったのですが、まぁ凄い人ですよ…。大体普段の休日並みじゃないでしょうか?今日は「平日」でしかも9:30の時点でですからね。土日だったらどうなってしまうのでしょうかね?
混雑に関してはここまでにして、この「インカ帝国展」の主題となっている「インカ帝国」ですが、「アンデス文明最後の国家」と言われており。「1533年」にスペインによって最後の皇帝である「アタワルパ」が処刑されて終わりを告げた「最後の先住民族国家」でして、高度な技術と文明を持ったと言われています。でもこの「高度な技術と文化」ですが、結構偏っていたりもします。
さて、会場の方ですが、こちらは入ってすぐに「プロローグ」と称しインカ帝国以前の「アンデス文明」の紹介や「南米」の「アンデス文明」の位置などが紹介されています。そこを抜けると「第Ⅰ部 インカ:帝国とその始まりと本質」と題し「首都クスコ」の歴史。そして「インカ」と言えば「黄金」と「太陽信仰」ですね?その皇帝、なんでも皇帝は12人いたようでして一人の皇帝に対しての国家ではなかったようです。「工芸、芸術」は「儀式的意味合い」が強い「アリバロ」、要は「壷」で「とうもろこし」で作った「酒」を入れて捧げた物で多くには装飾、インカでは神聖とされていた「ネコ科の動物」「ピューマ」の顔がつけられています。また「ケロ」と呼ばれる「コップ」があり、これも「儀式的役割」が強かったのですが「2つで1つ」の「対」となっているものが重要とされ「対」の物がおおくあります。「服」は現在の「アンデス」と同じような独特の衣装で、その当時から「リャマ」と「アルバカ」の毛で作られており、400年以上経った今でも色あせる事無く綺麗な状態を保っているのはさすがです。あと「建築技術」ですが。これは「12角の石」で有名なぴっちりと隙間が無い石垣があります。これは石を組むときに組む石と石同士をこれまた「石」で削って隙間の無いように加工したそうで気の遠くなるような作業だったのでしょうね。
第Ⅱ部は「インカ:帝国の統治」として「南北4,000km」もあったといわれるインカ帝国、その統治には「道」が重要な役割を果たしており、「インカ道」なる石で「整備された道」が各都市に張り巡らされ、その「総距離」は「4万km」と地球一周と同じ距離。「インカ道」には「宿場」や「食料基地」が整備されており、その街道を「情報伝達」のため「飛脚」が1日「駅伝方式」によって「280km」走ったと言われています。そして「伝達」に使われたのが「キープ」と呼ばれる「縄束」なのです。今回私が一番興味を持ったのはこの「キープ」でして、道は整備されているのに「車輪」や「家畜を乗り物」とする事が無く、さらには「文字」さえ持たなかった「インカ帝国」の「偏った文明・技術」。もちろん「情報伝達」に「口頭」なんて正確性に欠ける事は出来ません。ではどうやって情報を伝えたのか?それがこの「キープ」なのです。「キープ」は先ほど書いたように「縄」の「束」でこれに「文字」や「記号」を書く事は出来ません。でも、印を付ける事は出来ますよね?「結い目」によって印を付け、その「結い目」の「数」で数を表す事が出来たのです。「数の位」は結い目の位置で決まりましたので正確に伝える事が出来ます。ただ「キープ」に関しては現在「数の表現」しか「解読」されておらず、「縄の色」や「結い目の位置」によって「暗号」のように使われた可能性があるのです。当時「紙」はありませんし、それに紙ですと、持って走るには「入れ物」が必要になりますけど、「縄」でしたら、腰に巻いたりすれば「入れ物」は必要ないので手軽ですからね。「キープ」を作るには専門の「学校」があり「4年制」で身分の高い「貴族の一部」がなれたことから「名誉職」の一つだったのかも知れません。「インカ帝国」は「連邦制国家」で「征服」した後の統治は各地に任せていたようですが、たまにその民族の「文化」に介入したり「移動」させたりしてたようです。これにより、ある時代を境にその地域の文化がガラッと変わったりもしたのです。今回はその一例をして「ミイラ包み」で有名な「チャチャポヤス地方」では「埋葬方法」がすっかり前後で変わってしまっているほど。今回その「ミイラ包み」の1つを「CTスキャナ」にかけて解析し、映像による解説がなされていました。「ミイラ」も4体ほど展示されています。
繁栄を極めたインカ帝国もいよいよ終わりが近づいてきます。第Ⅲ部「滅びるインカ、よみがえるインカ」では「1533年」の「スペイン」よる侵略により「インカ帝国」は崩壊します。これで「インカ帝国は終わった」と思われるでしょうが、実は違っているのです。「インカ」が崩壊し「スペイン」よって「植民地」とされたのですが、「インカ」の「貴族」たちはスペイン本国と同じような待遇を受け「キリスト教」を受け入れます、しかしその「祭り」に「インカ独自」の「祭り」も混ぜていったのです。つまり「帝国」としては崩壊しましたが「文化」としての「インカ」は現在も受け継がれているのです。
今回のもう一つのテーマである「マチュピチュ「発見」100年」は第Ⅳ部「マチュピチュへの旅」で紹介されます。「1911年」に「ハイラム・ビンガム」がマチュピチュを発見します。それで「マチュピチュ」ですが、よく「空中都市」と呼ばれていますね。その場所は「標高2,400m」と「富士山5合目」とほぼ同じ場所にあります。しかし「インカ」の首都である「クスコ」は「標高3,400m」の所に位置しています。そうなのです実はクスコよりもマチュピチュの方が低い場所に有る訳ですよ。これでも「空中都市」と呼べるのでしょうか?ともあれ「マチュピチュのジオラマ」は見ものです。
インターバルとして「アンデスの特産~動物、織物など」があります。ここでの目玉は「綿花」「リャマ」「アルパカ」の繊維に触れるってトコでしょうか。「綿花」よりも「リャマ」の毛の方が細く暖かいのですが、「アルパカ」はそれよりもさらに「細く」「ふわふわ」で暖かいのです。これは実際に触れて確かめてみてくださいね。
最後は「マチュピチュの旅 3Dスカイビューシアター」です「3D4Kプロジェクター」3台によるマチュピチュを完全再現した「CG」と「実際映像」で案内をします。「3D」は「メガネ式」ですがさすが「4Kプロジェクター」の画像は綺麗で「立体感」はかなりあります。以前の「アンデス文明シリーズ」の「ナスカ」や「シカン」展と比べるとその技術は相当なものです。ここ数年における映像技術の発展は凄いですね~。
これで「第一会場」は終わりです、第二会場では「考古学」「人類学」「歴史学」の「研究者が読み解くインカ帝国」や「キープ」を実際に読んでみたり、作ってみることが出来るコーナー。そして「ミュージアムショップ」があります。
それと「日本館」では「企画展 ものづくり展」の2011年度版が開催されています。今回はパネル展示が多く実物は少ないですが、普段何気なく使っているものに、凄い技術が使われている事もあったりして「地味ながら日本の技術」の凄さを実感させてくれます。それに会場の作りもかなり手が込んでいますよ。
それでは、本日の登場人物は「かはく」の話題で「古代文明」でしたので、定番のこの方。「ベルジアンタービュレン」の「Chiefille」で「古代美術」を専攻している「ベルギー国立博物館」の「学芸員」である「リリアーヌ・コラフェイス」さんコト「リリア」さんです。「アンデス文明最後」と言われる「インカ」その謎を知るために、アンデス民族衣装を着ています。ちなみに背景が「マチュピチュ「発見」100年 インカ帝国展」入り口近くの看板です。