チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

北野の天神さんへお参りに

2010-01-26 11:42:03 | お出かけ・散策
1月26日(火)

 学問の神様の菅原道真公。お誕生日が6月25日で、お亡くなりになったのが2月25日と伝えられています。
 つまり、25日は「月命日」、そしてこんな言い方は聞いたことがありませんが、いわば「月誕生日」ということで、全国の天神様では毎月25日に「月次祭(つきなみさい)」が行われるそうです。

  そして、その年初めての25日が「初天神」
  

 昨日は日差しが全くなく底冷えのする京都でした。お昼頃からは雨もポツポツと。
  でも北野天満宮は大変な賑わい
  



    初天神へ白梅町より歩きけり   弁人


 もちろん参道にはいろいろな出店がぎっしりでした。

  参道の脇には古着や衣料品の店がたくさん
  
 他にも、骨董品や植木のお店もいっぱい並んでいて、これまで出かけたお祭りとはちょっと違った雰囲気でした。

  楼門をくぐると、お店もなく落ち着いた雰囲気
  

  拝殿前は大鈴を鳴らす順番を待つ人の列
  

 私も、KAZU君が向学心旺盛な少年になることを祈ってお参りしました。


 ところで、道真公というと、「梅」と「牛」でしょうか。

 京都から太宰府に西下する際に、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠んだところ、梅の花が太宰府まで飛んで行ったという伝説はあまりにも有名ですが、幼少の5歳の時には「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」という歌を詠んだとも言われています。

 大寒から数日しか経っていない冷え込んでいる京都です。さすがに道真所縁の梅の花は全く期待していませんでしたが、それでも境内には早咲きの梅が何本かあって、ほんのりとした香りを漂わせていました。

  八重の紅梅
  

  白梅とその向こうに蝋梅
  

  もうひとつの由縁は「牛」。その石像
  
 道真公は丑年生まれだそうです。また、死後に「柩の車を人に引かせずに牛の行くところにまかせて墓所とせよ」という遺言のとおりにしたところ、その場所が都府楼の丑寅(北東)の方角であったという話も伝わっているということです。



    春待つや梅の蕾も牛の眼も   弁人


 私も丑年なので、ちょっと牛の頭を撫でて帰って来ました。


コメント
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