チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「灘のけんか祭り」見聞録

2009-10-17 12:03:42 | お出かけ・散策
10月17日(土)

 
 
   

 「ヨーヤ、サーッ」の掛け声で担いでいるのは「神輿」ではありません。中に人が乗って太鼓を叩いている「屋台」なのです。
 その昔、奉納された米俵をお旅所のある山頂まで運び上げたというのが始まりで、次第に装飾が豪華になり、このような「神輿屋根型屋台」になったそうです。

 毎年、10月の14、15日に行われる姫路市松原八幡神社の「灘のけんか祭り」。勇壮かつ豪快という点で、日本の祭りの中でも屈指の祭りです。
 「練り合わせ」と言われる、三基の宮神輿のぶつけ合いと倒し合い、さらに豪華絢爛な屋台どうしの押しくらまんじゅうが見どころです。

 明石から山陽電鉄に乗って20分ほど、姫路市街の南東の白浜の宮駅に着きました。商店街もないふだんは寂しい駅なのですが、この日ばかりは特急も止まって大賑わいです。

 駅のすぐ南に神社がありました。海側の南から迂回すると朱色の鳥居と楼門の間に広場があります。
  
 一見ゴルフトーナメントのギャラリースタンドのようなところに観衆が。よく見ると、土台から柱まで鉄筋コンクリート製の、なんと常設の桟敷席なのでした。

 楼門をくぐると社殿です。

  三基の宮神輿
  

 拝殿前では、これも新聞で紹介されていた「毛獅子舞」が奉納されていました。
  

  そして、旧七ヶ村の各地区から続々と屋台が
  
 各地区で色を分けているようで、写真は緑の旧木場村の屋台です。赤の松原、黄色の宇佐崎、ピンクの東山、オレンジは八家といった具合に、まるで運動会の色分けのような雰囲気で、実に華やかな色彩絵巻が繰り広げられるのです。


     天高く五彩舞ひける宴かな   弁人


 でも、いかにもありそうな青がない、なにか物足りないと思ったのですが、青の中村地区は「練り番」と言って、その年の当番に当たっていたのでした。「練り番」の地区は宮神輿の担当となるのでこの日は屋台を出さないのです。

 ということで、屋台は全部で六台のはずなのですが、
 実は前日の宵宮での練り合わせで一名死者が出てしまい、一地区が自粛ということになり、この日は五台になってしまいました。
                - 黙 祷 -

 最後に、練り番中村の総代と練り子が到着。拝殿前での神事の後、いよいよ宮神輿の登場です。
  

 神輿が楼門から桟敷前の広場に出ると、最初の見せ場のぶつけ合いに
  

 神輿は、応神天皇の御霊の「一の丸」、神功皇后の「二の丸」、天照大神のお子様の比(ひめ)大神の「三の丸」の三基。
 担ぎ手はそれぞれ、37才以上、27~36才、17~26才と年齢で分けています。したがって、「三の丸」がいちばん元気がよく利かん坊で暴れ回る雰囲気ですが、ぶつけ合いになると経験の差か、あっけなく倒されたりします。
 
 ひとしきりぶつけ合った後、三基の神輿を先頭に各地区の屋台が「お旅山」に向かいます。

 山の麓までは歩いて10分ほどです。段々畑のような山肌がすり鉢状になっていて、そこにできた巨大なスタジアム。観衆は警察発表で10万人。信じ難い光景です。
  
    

  地元の人、練り子の家族、みんな総出で、弁当持参の祭り見物
  

 すり鉢の底で繰り広げられる神輿の格闘と屋台の練り合わせ
  
       


     神輿屋根播磨の秋に谺せり    弁人


 怒涛のように響きわたる歓声と掛け声。そして太鼓の響き。男性的な力強さと色彩美の饗宴。まさに豪華絢爛たる錦絵の世界の様相。しかし、この荒々しく乱暴な祭りには、いかにもという感じの地方の港町の匂いと素朴さが漂っていて、華麗さに欠ける感じは否めません。

 祇園祭のような優美な都の祭りと比べるのは論外ですが、たとえば、三社祭のような東京下町の祭りの粋でいなせな格好良さとはかなりかけ離れています。
 江戸っ子が神輿を担ぐと、掛け声は「ソリャ、ソリャ」とテンポもいいのですが、こちらの屋台は大きくて重すぎるのでしょう、とても軽快なリズムでは担げません。したがって冒頭のような「ヨーヤ、サーッ」という力のこもった掛け声になるのでしょう。

 練り子の褌姿も、さすがにけんか祭りという感じが表れているものの、どうしても粗野な感じは否めません。近頃は三社祭などでも尻丸出しの褌姿の担ぎ手がいて、品のなさに苦笑してしまいますが、やはり、白の半股引きに白足袋草鞋という出で立ちで、足元もリズミカルに揃っているのが爽快なのです。担ぎ手というのは、力強く威勢がいい中にもそれなりの品が備わっていてほしいものです。

〔※ ひとこと
 播磨の人だちが品がないと言っているのではありません。あくまでも出で立ちにに対する個人的な感想にすぎませんので。もし地元の方がこの記事を覗かれて「なに?!」と思われたらごめんなさい。〕

 さて、練り場での格闘で拍手喝采を浴びた後は、標高5、60m位なのでしょうか、お旅山の頂上まで担ぎ上げます。
  当然ながら、これがかなりの難行苦行
  

 お旅所に詣でて、下山は夕刻。再び、すり鉢の底の練り場での格闘が始まるのです。
  最後の屋台が下って行く頃はすっかり夕闇の中
  

 三脚が立てられず、ブレがひどく夜の練り合わせは動画でしか残せませんでした。画像は期待できないので、音声だけでも聞いてみてください。

  

 ところで、夜の部ですが、この日は二十六日の月で闇夜に近い夜でした。毎年十五日に行われるということは、おそらく昔は旧暦の九月十五日の満月の日の祭りだったに違いありません。もし夜空から月の光が差し込んでいたらと考えると残念でなりませんでした。土日にこだわっていないのですから、どうせなら旧暦の十五日にすればいいのにという感想を抱きました。


     山間いに歓声谺し月思ふ   弁人


 夏のお盆休みがまさにそうですが、新暦を基準にして季節を合わせると「月遅れ」でということになるのでしょうか。それだと味気なくなってしまう行事がけっこうあって残念です。



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