美しい副産物



手間隙かけての梅仕事。

一年後の美味しい自家製梅干の出来上がりのことを考えると、まずはホッとしますね

毎日少しずついただく自家製万能薬のようなものですから「 これで安心、大丈夫 」と。

梅干の出来栄えや、美味しさの楽しみも、もちろんです。

美味しくて、頼もしい梅干ですが、大人になってからも長い間、ほとんど意識したことは

ありませんでした。嫌いではありませんでしたが、おむすびの具の一つ、くらいなもの。

自然のもので体の調子を整えることを望むようになっていったのは、子供が生まれて、

そして母が癌で亡くなってからでしょうか。

梅干を作ると、梅干並に嬉しく頼もしい副産物ができます。

それは、紫蘇漬けと、梅酢。

紫蘇漬けは、干して粉にすると 「 ゆかり 」 です。ごはんにパラパラ、香りよろしく。

私はそのままの紫蘇漬けが大好きなので、刻んでいろいろに混ぜます。

それから、梅酢。

梅の下漬けの時に上がってきた水分、これが 「 白梅酢 」。

土用漬けの時にできているのが 「 赤梅酢 」。

どちらも、なんとも美しい色です。

水は一滴も入っていない、梅と塩のみで上がってくる純粋な液体。

今日は、蕪の浅漬けをお弁当用に作りました。

蕪をスライスして、赤梅酢を振りかけ、和えてしばらく放置。馴染んだならギュッと

絞って出来上がりです。ほんのりとピンク色です。

酢ですから、酸味はもちろんありますが、強烈にしょっぱいのです。なんたって、塩分

20%の梅干から出た水分です、赤い色で梅風味の塩水、といってもいいでしょう。

このさっぱりとした風味の塩味をイメージして、どんどん作ってみています。

隠し味、で効かせられたら上級ですね。

私は、シンプルに和え物のドレッシングに、そして、季節の野菜の新鮮な浅漬けに、が

得意です。

美しい赤い液体がたっぷりとストックされている喜びは、ここ2~3年の私の変化と

そして、ささやかな成長のしるしなのです。





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初めまして



今年の夏の終わりに、初めて 「 京茄子 」 を食べました。

なんて美味しい!

身崩れしないのですね、京のなすびさんは。

例によって、レパートリーの数がとっても少ない私は、ほとんど全部、自分の一番好きな

調理方法でいただいてしまいました・・・・蒸し茄子です。

半分に切って、蒸す。

たーっぷりのおろし生姜と大さじ1杯ほどのお醤油を混ぜて、

蒸しあがって冷ましておいた茄子を器に盛り付け、この生姜醤油をこんもりとのせます。

パクリ・・パクリ・・・

小さな種のまわりの果肉が、丸くポコリと剥がれる感じ・・・長茄子や普通のあの茄子

( 本名はなんていうのでしょうか? )のような、とろりとした口どけではないのです。

この食感、面白い! 程よく柔らかいのですが、程よくしっかりともしている。

そして、甘い。この甘味にたっぷりの生姜醤油の組み合わせが良いのです。

この京茄子は、稲葉さんの無農薬・無肥料の畑で採れたもの。

味が濃いのです。皮も安心して全て美味しいく食べられます ( ま、普通の流通野菜達

も我が家では全部たべておるのですが )。

艶やかなまん丸の姿も愛らしく、来年もきっと再会したいなあ、と思っています。



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大人の幸せ



本格的に寒くなってきましたね。

寒くなってくると、冷え対策がまずあって、身につけるものを防寒第一に考えて

あれこれと着替えたり、追加したり、と面倒です。

重ね着がどうも苦手な私は、寒くなればなるほど、溜息まじりに 「 夏が恋しい・・ 」

と、心の中でボヤきます。

でも、冬に文句をいってもねえ、カッコ悪いですね。

いっそ、冬の楽しみをもっと楽しみましょうか。そうしましょうか。

温かな料理をはさんでの、差し向かいのテーブルには、とびきり美味しい日本酒、なんて

いかがでしょう。 酒屋さんであれこれ聞いて選んだ本日の一本です。

せっかくですから、器も選んで。

徳利もいいですが、日本には 「 片口 」 なる美しい実用器があります。

注ぎ口がついた焼き物の容器のことですが、だし汁やドレッシング、たれ、クリームなど

を入れて多様な使い道ができるステキな器なのです。

今回は、この片口に日本酒を。

渋いグレー地に釉薬が垂れて、少し枯れ草色が混じって、味わい深い景色があります。

お酒の色がよく映えるのです。

片手で胴の部分を、こう持って、とととーっと注ぐ。

小さな色っぽい注ぎ口から、日本酒の芳香が広がります。

乾杯です。至福です。おかわりです。

大人同士の酒宴には、良い器をさり気無く。

実用的な日々の器を得意とする、佐藤 清美さん作の片口です。

女性の作り手ならではの優しいライン、

でも日用品に徹した作風は、なかなか剛毅でごくシンプル、”さり気無く ” テーブル

を盛り上げてくれるのです。





佐藤 清美作
片口 ( 大 )1500yen
   ( 中 )1500yen
   ( 小 )1200yen




 

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藤陽祭



今年で50回目だそうです、藤女子大学の大学祭、『 藤陽祭 』。

友人に会いに3人で行くわけですが、私達の参加も今年でなんと5回目でした。

過去の写真を見てみると( 毎回、入口の立て看板 『 藤陽祭 』の前で息子と私は写真を

撮ってもらう ) 初めての年は、息子がまだベビーカーに乗ってました!

朝10時のスタートと同時くらいに行って、まずは古本市へ直行。

専門書、かなり古い雑誌類、実用書、文庫本に単行本、少し洋書と児童書と盛りだくさん

の教室を、うろうろとしばし物色。

友人に会って、しばし談笑。

それから、シスターのお店へ。

藤女子、といえばグレーの法衣のシスターズ。

シスターの皆様が手作りされたジャムやお菓子、化粧水、小物類のバザー、という内容の

お店で、俗世の流れとの微かな隔たりを感じるような、感じないような・・・・・

レジを担当されているのも、やや若手?の品の良いシスター様。 かわいいお店です。

そちらで、焼き菓子は必ず買って、小物類を物色。

お次。

雑誌 『 ビッグイッシュー( ホームレスの人達の自立応援雑誌 )』 のバックナンバー

のお店兼模擬店にて、花の女子大生のオネエチャンたちに迎えられて、たこ焼きとか

焼ドーナツとかを買って、その場のテーブルにて3人で食べる。

ついでに先のお店のシスター特製のお菓子も食べる。

オネエチャンが息子にサービスでくれたキャンデーも食べる。

以上なんです。

これでおしまい、11時少し過ぎには、地下鉄北18条駅へ。

夫は店へ。 私と息子はじいじの家へ。


5年間続く、秋のお楽しみ、『 藤陽祭 』。今時の女子大生の風俗も伝わり、いいもので

すよ。格式ある藤女子大のキャンパスも、魅力です。

また来年も行きます、もちろん!


今年は、古本市にて、長田弘さんの 『 深呼吸の必要 』 を30円で、シスターのお店では

シスターの手作りクリスマスカード 250円にて手に入れ、大満足でした。






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ジャズライブ



11月11日 月曜日。

路面がうっすらと白くなる雪の降る小寒い夜、

ここパスキューアイランドのちいさな空間で、2回目のジャズライブを開催いたしまし

た。前日の閉店後、什器類を全て店の奥の事務スペースへと移動させ、

まるで引越し後のごとくすっかりと空けたそのスペースが、妙にガランと感じられ、

明日、本当にお客様で埋まるのかなあ・・・とふとドキドキしておりましたが、悪天候の

平日の夜にもかかわらず、心ある皆様が次々と来店くださり、本当にありがたく、嬉しか

ったのでした。

改めまして、ありがとうございました。

生の音を、ごく近い距離で聴いていただきたい、

それがわたくし共のライブ企画のテーマなんです。

今回は、

アコースティックベース 小林 こうき

テナーサックス     大関 智也


の、デュオ演奏、初めての顔合わせでした。 小林さん、ありがとうございました。

ベースの先端が、店の天井から下がる小さな照明器の古いガラスのシェードに時折当たり

「 カンッ 」 というかわいい音がしたものの、オーディエンスの皆様が温かい笑いに

包んでくださり、素敵な演奏を盛り上げてくれていました。

季節の1曲、ということで、『 枯葉 』を選んだそうですが、いかがでしたでしょうか?


また、来年も、時々企画したいと思っております。

興味のお有りの方、御都合の合うタイミングで、是非一度、ご参加ください。

ジャズ、ジャズ以外、いろいろな演奏家の方々との出会いを大切に、いろいろな企画で

ゆきたいなあ、と思っています。


パスキューアイランドの、立体企画、今後もご期待下さい。
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クロワッサンで朝食を / Une Estonienne a Paris



10月2日、シアターキノにて。

啓子さんが観たとおっしゃっていて、H女史も観たヨって。 それで、どれどれと

キノの上映時間をチェックしたら、ちょうど朝一番の回ですと、店の開店時刻に余裕で

帰ってこられるようなので、夫と二人で観てきました。

なんといっても、やはり ジャンヌ・モロー、圧巻!

この作品の深みと、繊細かつビターな味わい、長く余韻として残る優しみは、この戦後の

フランス映画史に輝く大女優が85歳にして主演してこその、彼女からの贈り物でしょう。

人が年をとってゆくとどうなるか?

ああ、年をとるとは、こういうことか。

華麗なるキャリアを誇る伝説のジャンヌが余すところなく見せてくれます。

わたくしの美貌を、年月はこんなふうに仕上げているのよ、と。

この残酷さ、容赦なさをご覧なさい、神の法則からは何人たりとも逃れ得ないのよ、と。

絶頂期の彼女を観ている者にとって、それはちょっとした衝撃でありまた感嘆でもある

のではないでしょうか。

外見は無残に ( といっても許してもらえるでしょう ) 変化していました。

しかし、あの他を圧倒する輝き。

ジャンヌ・モローその人を貫く何かが不変なのです。

何か・・・・何でしょうか?


フリーダ ( ジャンヌ・モロー ) が愛しているのは、亡き夫とステファンだけ。

かつて愛人関係だったステファン、男女の仲ではなくなっていったのはいつの頃からなの

だろう。息子といっていいほど年下のステファンだって、今や少しお腹の出てきた中年男

になって、フリーダに持たせてもらったカフェの経営者として忙しい。心配をかければ

来てくれる。でも、そうそう顔を出してはくれなくなった。

若かりし頃、エストニアからパリに出てきたフリーダに、パリの贅沢の全てを与えてくれ

た大金持ちだった夫のおかげで、限られた人した住むことができないパリの高級な地区、

贅沢なな調度品と、音を吸い込む絨毯、凝った組み木のフロアーの、広々とした格式のあ

るアパルトマンにフリーダは暮らしている。

日常着はシャネル。

朝食は ”クロワッサンと紅茶だけ ” が長年の習慣。

いくら年齢を重ねていようと、女心は少しも衰えてはいない。毎日きちんとメイクを

施し、髪を整えて、マニキュアをして、ステファンだけを待っている。

老化も衰えも嫌というほど解っているし、ステファンが自分を重荷にかんじていることな

んか、ずっと前から解っているけれど、身勝手でも独りよがりでも、ステファン

だけに心配してほしい、優しく接して欲しいのだ。

だから、ステファンが家政婦を送り込んでくることは俄然気に入らないし、当然受け入れ

たくなんかない。

絶対に馴れ馴れしく傍へは寄らせはしない。世話などしていらない欲しくない。

老いゆくにつれて起きてゆく変化に折り合いをつけることができない、

それがフリーダ。


この、一筋縄では決してゆかない老女を、ジャンヌ・モローが演じるのです。

少女の瞳でステファンに腕をしっかりと絡ませて、新しい家政婦を牽制し、パリにしか生

息し得ない高級マダムの優雅を事も無げに纏い、わがまま放題だけれど結局全てを解って

いる、悟っている、その孤独。

ジャンヌ・モローとフリーダが観客の中で自然に交差します。

傲慢、孤独、老獪、その奥に、

媚びることを知らないある種の美しさ、無垢な潔さ、そして人生の深い味わいを滲ませる

ジャンヌ・モローの至芸。



『 クロワッサンで朝食を 』という邦題は、どうしたものでしょうかねえ。

その後ろに 『 ティファニーで朝食を 』 があるのがわかって笑えますが、ほんとは

直訳すると、『 パリのエストニア人 』 になるのですよね。

つまり、エストニア出身の老パリジェンヌ、フリーダ、そしてエストニアからフリーダの

もとへとやって来た新しい家政婦のアンヌ、この二人の 「 パリのエストニア人 」 の

お話なのです。そして、映画は、離婚、子育て、介護と看取りを経て抜け殻のようになっ

ていた中年女性アンヌのパリでの新しい人生の兆しを描く流れが主軸でしょう。

つまり、『 Une Estoniennne a Paris 』 だから、エストニア女性は、複数ではなくて、

どちらか一人なわけで、どちらか? は、アンヌでしょうね。

アンヌ役の本物のエストニア人女優 ライネ・マギ。エストニアという東欧の雪国から

憧れのパリに出てきたときめき、垢抜けないぎこちなさ、真心と優しさと強さを演じた

みごとなブロンドと脚線美の、素晴らしい女優さんでした!!

ですが、観終わって約1ヶ月以上経った今も、私が思い出すのは、フリーダなのです。

思い返すのは、ジャンヌ・モローだけ。浮かぶのは、ジャンヌ・モローばっかり。

圧倒的な存在感。演技を超えている演技。

外見がいかに変化しようとも、少しも変わらない、ジャンヌ・モローの何か・・・・

それは、たぶん、鋼のような、” 決断する力 ”と思います。

ジャンヌは、愛のためだったら、迷いなく犯罪者になってみせるでしょう。

そしてフリーダも。 そう感じさせる何か・・・・。

最後のシーンで、フリーダは、アンヌを受け入れます。

「 ここは あなたの家よ 」と。

フリーダは、決断を下したのです。

フリーダの心の深奥は? 

真相探究は、観客へと投げ出されます。

ジャンヌ・モローの不変の強い眼差しの底にあるその決断の意味の深さを思い、思索し、

私は幾度となく考えさせられるのです。

ジャンヌ・モロー、恐るべし、そして、あっぱれ! と。

是非、観てみてください。
















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