ブームいろいろ




はあ~ろお~!!






でかくてイイのがあったぜ、 ホーイホイ!








ひだりのぽっけに、ぐいっ、









もひとつあったぜ、

これも

ひだりのぽっけだ、

ぐいいいいっ、

ちびっとばかし きついぜ、





もひとつぎゅっ!

きょうは なんだか ひだりのきぶん ♪

こら、アリ、なにみてるんだあよう~?








アリ、あっちいけーい、

( ジャッ )





2010年。

まだ雪深い年明けから、雪解けの3月4月をピークに、「 はなくそ食べ 」 が流行ってお

りましたが、どうやら終了 ( ほっ )。

そして、進級とともに、蟻やダンゴ虫バスターになっちゃって、

言葉遣いもワルっぽくなっちゃって

「 ヤメロー 」 、「 アッチイケヨー 」 とか、その手のセリフ。

あとなかなか素晴らしいのは、

「 まーちゃん ( わたしのこと )、オレとあそばないか ? 」 ですね。

「 いいよ、何して遊ぶ? 」

「 ぶーぶ ( ← くるまのオモチャ )であそぼう。 」 だって!

プププッ! かわいいというかなんちゅうか・・・・・。 


そして、今、「 ポケット石詰め 」 ブームがきてます。

詰める石は、ただのジャリ石、というところに渋いこだわりが 。

一体どんなオモシロさがあるのかさっぱりわかんないこのブーム、

夏の間中はぐいぐいいきそう、詰め込みそうな勢いがあるのです。

もちろん、我が家はジャリ石の持ち込みは、残念なのですがお断りしておりますので、

家の玄関にて、ズボンごと撤収させていただいておりますが。



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読書・2010年上半期






2010年の半分が終了しようとしています。

今年の上半期に読んだ本を、忘れないうちに記しておこうかな、と思います。




『 朗読者 』 
ベルンハルト・シュリンク著


映画 『 愛を読むひと 』 を観た事に伴い再読。

30代に初版を読んだ時とは大きく違った読後の感想に少々驚く。

静かで深いそのテーマ、10年後に再々読することがあったなら、一体どんな感想を

持つだろうか・・・。 主人公ミヒャエルが、村上春樹の物語の主人公のタイプ ( 育ち

が良くて教養も十分で几帳面 → 男子としては◎なのでしょうけど、ワタシはどうも・・・

) で、そこが唯一私がノレない部分。




『 ドリアン・グレイの肖像 』
オスカー・ワイルド著


紅顔の美青年ドリアン・グレイ、彼の肖像画を描いた新進画家バジル、バジルの悪友ヘンリ

ー・ウォットン卿、この3人の男色嗜好を隠し味に、イギリスの上流社会への風刺、

若さと美の変容を描いた退廃的かつ恐ろしいメルヘン。

このヘンリー卿ってのがもう、どうしょうもなく悪なんです。

ドリアンをヘルムート・バーガーが演じた映画版があるそうな。観たいです。

デヴィッド・ボウイの愛読書でもあるのですって。納得です。




『 小さき者へ 生まれ出づる悩み 』
有島武郎著


「 生まれ出づる悩み 」 が、こんな小説だったなんて!! ちょっとした衝撃だった!

舞台は北海道。岩内町。土地の言葉の素晴らしさと、作家が厳しく選び抜いた語句の

美しさ。今や失われてしまった日本語というべきか。読んでいて、泣けてくるほど。

特に、青年が父と兄と漁に出て、大嵐に見舞われ死闘する段は、もうもう、溢れる涙を

止めることができませんでした。


「 あなたが助かってよござんした 」

「 お前が助かってよかった 」


読み返しても泣けてくる・・・・・。





『 居酒屋 』
エミール・ゾラ著


ルーゴンマッカール叢書を読破しようという密かなる野望を改めて誓いつつ、ゾラ2冊目。

「 ジェルミナール 」 の主人公エチエンヌ・ランティエの母さんジェルヴェーズの物語。

はじめに、ゾラによる序文があり、これが全く痺れます。

これを数行読むだけで、大作に向かう自分にぐっと本腰が入ったのを感じます、まず。 

そして、褌のひもを締め直し ( 精神の、デス )、背筋をびしっと伸ばし、これから始ま

る予想をはるかに超える悲惨な物語の第一行目に飛び込むのでした。

「 ジェルミナール 」 もそうですが、「 居酒屋 」 においても、ゾラの描写力の緻密さは

圧倒的。ジェルヴェーズとヴィルジニーの洗濯場での大乱闘、当時の洗濯店の女職人達の

生態や作業の様子、物語の折り返し地点となるジェルヴェーズの誕生祝いでの大宴会、

グージェの鍛冶工場、などなど、まさにゾラ以外には書ききれないというくらいの名場面

がいくつもあり、重厚な読書の幸福にとっぷりと浸れました。

それにしても、悲惨。陰惨。愚か。救い無し。

ゾラは、それをそのまんま、教訓めかず、安易な慰め一切なくして19世紀末のパリの

貧民労働者の生活を暴露したってわけです。

日本人憧れの ” PARIS ” の街の石畳の下に流れる庶民の歴史の一片を知るための

驚愕の作品。






『 カラマーゾフの兄弟 』
フョードル・ドストエフスキー著


約2年越しで読了、というなんといっていいかわからん大読書、でした・・・。

というのも、もうはっきり覚えていませんが、確か出産後ちょっと落ち着いてから着手

して、当時、ああ、いよいよ 『 カラマーゾフの兄弟 』、勇気を持っていってみよー!! 

と、始まったんでしたが、息子が乳児期から幼児期に入り、家での読書時間が全くとれなく

なって、加えて、読んでいたその版が、世界文学全集のでっかくて厚いハードカヴァー

( カラマーゾフがなななんと1冊に収まっているんです! ) でして、いくら私でも、

通勤の行き帰りに持ち歩くには少々重たすぎ、因って三分の二くらいまでは読み進んで

いたのですが、自然に中断されてしまって早2年の月日が経っていたのでした。

ところが今年、メトロ文庫で同じ翻訳者での文庫版を見つけ、もう忘れかけていたくらい

だったのですが、「 ああ、これで読破だ、読み終われる、ということだ。 」 と。

前半の詳細を忘れてはおりませんでしたが、あまりにも長期にわたり休止していた為、

ここでこの物語の感想なりを述べるには、出直して来い、というものです。

そして、少し前に話題になった新訳で再挑戦したい! と強く思いました。

この世界の根源的な二面性 ( 善と悪、とか 神の存在の有り無し、とか ) の問題が

網羅されている。どの部分を読み解こうとしても、一大研究テーマになる感じ。

もう1度一気に読むのは勿論ですが、

ドストエフスキーもその著作群は マスト、でしょうねえ。






『 なにもかも二倍 』
『 はじめてのことがいっぱい 』
よしもとばなな著


めぐたんが貸してくれました。

よしもとばななのエッセイってとってもおもしろい、とは以前より思ってましたが、

この2冊も ” 特殊 ” におもしろかった。

2007年と2008年のウェブ上での日記です。1年分を各一冊ごとに文庫化しているも

ので、数年前からの人気シリーズらしい。過去のも読みたいなあ。

なぜ、どんどん読めてしまうのか・・・・ナゾじゃ。

毎日更新。食べたもの、行ったところ、会った人たち、チビちゃん ( 息子・2007年

で4歳だったかな ) の言動、時折 ここんところはビシッと言っておきたいのよね、と

いうようなコト・モノについてのばなな's 見解 ・・・・などなどの繰り返し。

彼女の文章力に負うのでしょうけど、それにしても、不思議。

このことは、サトミちゃんも同じく不思議がってました。


チビちゃん就学前に虫歯すぎ~

よしもとさん 風邪でゼッ不調の時はいくらお仕事でもお酒止しましょうね~


なんてことは繰り返し感じた小さなコト。

それにしても、書店に平積みされている近著の表紙写真、本人も書いてたけど

どっちり貫禄のオバサマ然となっていらっしゃって、アラまあまあ ・・・・・

こちらもびっくり。





『 愛の妖精 』
ジョルジュ・サンド著


随分昔から実家の本棚にあった1冊。

でも父も母も弟も誰も読んではいなかったし、私も今まで手にすらしていませんでした。

( じゃあ何故本棚にあったのかなあ? 誰が買ってきたのかなあ??? )

ゾラとドストエフスキーという超ヘヴィ級のあとは、しばらくは完璧にハッピーなもの

しか受け付けなかったからかしらん、何かスッと選んで読んでいました。

目的大達成♪ 選んで大正解♪ のどかで楽しくて、素敵にかわいい、善い一篇でした。

フランスの田舎コッス村が舞台ですが、のどかでみずみずしい自然の描写に癒され、気持ち

も明るくなるのでした。

シルヴィネとランドリという裕福な農家に生まれた双子の兄弟と、森の中に住む薬草使い

のファデばあさんの孫 野生の小動物のようなファデットという女の子の、成長と恋の

物語です。 著者のジョルジュ・サンドというひとにも多大なる興味をもちましたが、

きめ細かで丁寧な物語の作り方進め方は、サンドの持ち味なのかなあ?

やっぱりこのお方も、他の作品も読んでみたいな。





以上8冊が読み終えた本でした。

ふう、もっと読みたいのですが、今のところは、こんなペースでしょうなあ。

そして、ただ今読んでいるのは、『 チャタレイ夫人の恋人 』 なんです。

もう、夢中です。

ご報告は、年末に。 ああ、コニーよ、メラーズよ、二人はどうなっちゃうのおー!!!

























 
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クリーン / CLEAN







5月に蠍座にて。

蠍座の田中さんに以前、「 『 夏時間の庭 』 蠍座でやってくれませんかー? 」 って

伺ったところ、( 上映 )すると思っていてイイヨ的なお答えをいただいたんですが、

この 『 クリーン 』 は、同じオリヴィエ・アサイヤス監督の作品。

『 夏時間の庭 』 を上映する前に、こちらを先にかけてみて状況判断しようかなあ、と

いうことかしらん、、、 とは私の勝手な独り言。

マギー・チャン演じるところのダメダメ女は、実はダメダメ母さんでもあって、そして

歌手として成功する夢を捨てる事ができない、生き方に悩み傷つく本質的な真面目人間

でもあり、この複雑なキャラクターを、マギー・チャン、本当に素晴らしい解釈力説得力

をもって、しかも力演とは正反対の、透明な感じがするようなシンプルさで

演じきっていました。

映画好きマギー・チャン好きの私の友人が 「 映画では何一つ映していないし語られては

いないけれど、彼女 ( マギー・チャン = エミリー ) って、一体どんだけ嫌な女で、

どんだけのことをしてたか、っていうのが夫が死んでからの周りの人間の彼女に対する

態度でよおおーっくわかるよねー!! 」 って言ってたけれど、ホント、そうなのです。

エミリーは、ロックスターとしてかなりイイ線まで昇ってきていた夫・リーにとっては、

かなりの悪妻だったみたい。しまいには、自分も夫もジャンキーになっちゃって、

ある晩、夫婦喧嘩の末にホテルから飛び出し、そして、夫はその間に部屋でドラッグ過剰

摂取で死んでしまった ・・・・・・ !!!

さあ、エミリー、この後どうする? っていう映画です。

エミリーとリーの間には、5歳 ( だったっけな? ) になる息子がいて、でもずっと

リーの実家バンクーバーでおじいちゃんおばあちゃんに育てられていて、

ハイ、私がママですよ、パパは死んじゃいました、だからママも一人ぽっちになっちゃった

んで、さあこれからは一緒に暮らしましょうネ、、、、、などという都合のよい具合には

いくわけねーだろっ!!! ママと名乗り、ママとして扱われたいのなら、それなりの

仕置きを受けて、それなりの懺悔をして、改心の証拠をとくと見せてもらおうじゃないか、

というお話でもあります。

そこに登場するのが、息子のおじいちゃん、夫の実父、エミリーの舅であるところの

アルブレヒトです。演じるのは、ニック・ノルティ。

この、最悪最低の状況から一人の女がもがき苦しみながら再生していくプロセスを、

信じられないほどの人間的な暖かさをもって見守り、サポートしていく役をつとめます。

その、考え方の公平さ、心の柔らかさ、人生を信じる強さ・・・・・男性の在り方として

私の理想のタイプだなあ。 画面に初登場した時は、ホームレス??と思われてもしょうが

ないぼさぼさおやじなんだけれど。

このドラマは、このアルブレヒトが要になって成り立っているといってもいいと思う。

エミリーがどうやらトンネルから出られそうかな、というところまで辿りつけたのも、

この舅あってこそ、だと思うのです。

私の感動の大半も、この素晴らしいバンクーバーの田舎親父の存在でした。

ラスト近く、アルブレヒトがエミリーに言うセリフが、本当に素晴らしい。

そう、そう、そうだよね。

でも、いざ、という時、それを言ってくれる人、ほとんどいないよね。

勇気でますよー、この時の彼のセリフは。

観ている間、ずーっと 「 アルブレヒトがうちの ( 実家の ) お父ーサンだったなら、

エミリーはもう終わってるよなあ、、、うん確実に。 」 って思ってました。

まあ、普通はそうでしょうねえ。


観にいった日は平日だったわけですが、どちらかというと空いていた蠍座、

さて、『 夏時間の庭 』 の上映は、実現するのでしょうか・・・?

『 クリーン 』 の入りは、どうだったのかなあ。











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イングロリアス・バスターズ / INGLOURIOUS BASTERDS




4月に観たのでした。

随分と日が経ってしまってます、蠍座にて。


こういう映画を観ると、9年間も英語教育なるものを受けていて未だ全く聴けず書けず

読めず話せずの、英語ノーノーノーッ!! な典型的日本人である自分を悔しく思います。

そしてさらに、映画について世界についての知識がもっともっとあったらなあ、と。

そうしたら、さらに10倍楽しめたに違いないが、まあしょうがないねえ。

始まったと同時に、オッ、遊んでるな、と一気に期待感。 そういうオープニング。

そして、この後がんがん展開ですよ、皮肉と知的おふざけと、悪質であるが

最高にクールなユーモア。 タランティーノの世界です。

そしてそれらは彼の映画への熱愛と敬意を表明するための独自の方法。

字幕を追っていてもそういうことがヒリヒリと伝わってくるんだけれど、でも英語の

セリフそのまんまで聴けたなら、彼の毒と知性を正しく無駄なく十分に味わえるんだなあ

という感じも同時に十分伝わる。

詳しく正しくは解らない、故に ゲラゲラと思いっきり笑う事ができない & でもなんか

強烈にオカシイこと言ってるやってるのはわかるククク、というような、

痒いところに手が届かない身悶え感を抱えながら一気に観ました。

この映画は戦争映画でも反戦映画でもなんでもありません。

舞台が第二次世界大戦中のパリが中心であり、その設定にのっとったストーリーでは

あるのですが、実際そのくらいのことは普通に行われていただろうという戦中行為と、

ありえねー!!というタランティーノ・オリジナルもののミックス加減が痛快痛烈。

” ユダヤ・ハンター ” ランダ大佐役のクリストフ・ヴァルツの怪演がなんといっても

話題になってた感がありますが ( 実際彼の流暢な英仏独は発音までが完璧だそうで

す )、今作でのブラッド・ピット、かーなりいい!!と思う。

練りに練られた次どうなっちゃうのお!!なストーリー、

ハイセンスなキャスティング ( バスターズのメンバーのユダヤ人役二人については、

あまりにユダヤ人らしい特徴を得ていてお見事!!と、N.Y.C.に住んでた人が大笑い

してた。)、セリフ一つ一つの遊び心 ( ← ここんとこが思いっきり味わいたいのに味わ

いきれず、の身悶え部分 ) をこれでもかと投入して創り上げられた、

タランティーノ監督の ”ありえなーいっ ” と ” そこまでやっちゃうか ” に貫かれ

た繊細でマニアックで職人魂てんこ盛りでロックな傑作娯楽映画! でした。

好きだなあ、こういうタイプの映画は。


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芸術の森 ・ 片岡珠子展






5月17日の月曜日、行ってきました 「 芸術の森 」 に。

1回目はイサム・ノグチ展、2回目は四谷シモン展、なので、

今回は十年以上振りの3回目。 片岡珠子展です。

我が家からですと、まずバス → 地下鉄東西線 → 地下鉄南北線・終点 真駒内駅

→バス、というコースを辿ります。 

” 気軽に行けるよね! ” とは言い難く、” かなり遠いよね、やっぱし。 ”

でしたが、片岡珠子展、素晴らしかった!ので許す。


日本を代表する画家の一人である片岡珠子。

2008年1月16日 103歳で亡くなったそうですが、その芸術の基礎部分を育んだの

は、生まれ育った北海道は札幌の豊かな自然と街の風物、それから北海道人の

暖かな人情、とおっしゃるのですから誇らしいではありませんか。

その作品は、私の中の 「 日本画 」 のイメージからかけ離れていました。

初めて日本美術院 院展に入選した 『 枇杷 』 からしばらくの初期作品は素人目にも

日本画だなあ、という作風なのですが、それからあとは、徐々に凄くなっていくんです。

荒々しいとか、豪快とか、生命感溢れる、とか、エネルギッシュ、とか、そのような形容詞

は全部あてはまり、言い表してはいるのですが、「 面構 」( つらがまえ ) の連作など

を観ていると、 ”脳内宇宙 ” とでも言いたくなるような、真の芸術だけが持ち得る

パラダイスを感じるのです。 とてつもないドライヴ感! 自由! 命懸けの凄まじさと

相反する恐ろしいほどの静けさと。

そこには奇跡が普通に存在しています。

人間、、、いいえ、生物一体一体が宇宙そのもの、全部、 という考え方があり、

私はそんなスピリチュアルな思想を、理論うんぬんの前にすんなりとそうだな、と受け入れ

られる方なんですが、

芸術家とは、まさにそのような思想を、現実世界で私達が実際に五感を使って体験できるよ

うな仕様に変換する使命を受けて生きている人達なのだ、ということがすごーくよく理解

できます、片岡珠子の絵は。

実際、私は驚きました。 

明治生まれのおばあちゃん、日本画界の大御所、デパートの上の方のフロアで展示会をよく

やっている有名だけれどちょっとそういうのに多い垢抜けない雰囲気・・・・・ などと

心の中ではちびっとそんなイメージを勝手に持っていたんです。

バカでした。ゴメンナサイ。恥ずかしい。



   人のかなしみ、苦しみのときにその人のこころに何か点じられるような、そう

   いう絵が一枚でも描けたら、と、私は、それをねがいながら、これからの毎日を、

   生き生きと勉強をつづけてゆきたい、と思います。



片岡珠子 69歳の時の、新聞掲載の文章の一部だそうです。

やはり、そういう絵であったか・・・・・。 

その日、超だっこモードだった息子とべったりとくっついて ( くっつかれて ) 何とか

二周し観ることができた50作品18写生。

自覚無しにまたしても埋没しつつあった私の魂をガッツーンとぶん殴ってくれ、

目を覚ましてくれました。

そして、

生きるということの並々ならぬこと、とか、孤独、とか、美、とか、自由、というような、

人間にしかないであろう様々な感覚について身を添わせていることを、

なくても十分しあわせに生きていけるであろう、” 芸術 ” というものについて

理解し、憧れ、目指す志を、

決して決して失くしてしまわないように、と、叱ってもくれたのでした。


久しぶりの快晴のその日の札幌、

観終わって、美術館の前庭の広々とした芝生にて食べたお弁当も楽しかったし ( 子供づれ

親子いく組かも同じようにランチしていて、その風景もとってもよかった! )、詳細は省

きますが息子が、フルチンでその芝生を走り回って気持ちよさそうでうらやましかったし、

偶然会場で会ったうちのお客さんの生後3ヶ月の赤ちゃんの清らかな寝顔も見せてもらえ

て幸せだったし、

充実の展覧会の一日 でした!



   















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