ライナスの毛布

世にいう 『 ライナスの安心毛布 』 の状態とはいかなるものか、

この目で初めて極近距離にて観察しています、日々。

息子は家にいる間中、大小2枚のタオルをほとんど何をするにも持ち歩くのです!

1枚は、出産のお祝いに、と、私の叔母が贈ってくれたパイル地の真っ白なバス

タオル。しっかりした厚地で、共地のフードがついていて、バスローブにもなる

ので、うんと赤ん坊のころから、お風呂上りに彼をくるんでいたタオルです。

もうひとつは、これも出産時に、義姉から贈られたタオル一そろいの中の、

ハンドタオル。こちらは、たまご色が1枚、淡いオレンジ色が1枚。

この大小のタオルの共通点は、厚地で目がつんでいてしっかりしている点で、

厚地であるが故、角の重なり部分は、結構な厚みになっていて、

彼は、この角を、歯が生え始めた頃から、がしがし クチュクチュとかじり、

しゃぶり、今に至っているのです。

そして今や、これらを、 ” オオキイタオル ” と ” チイサイタオル ” と

呼び ( そのまんまなネーミングですっ!! )、1歳半くらいから偏愛するよう

になりました。

遊ぶ時も、食べる時も、ねんねの時も、一緒です。

夜中に寝ぼけて泣く時も、「 オーキータオルーッ!! 」その後に続けて

「 チーサイタオルーッ!! 」 と叫びます。

毎度のことなので、寝ている彼の傍らに、必ず大小を置いておくのですが、

寝ぼけ状態のヤツの顔に、「 ほれ、ここに 」 とばかりに掛けてやります。

すると、その大小2枚を ( 寝ぼけながら ) 抱きしめて、じきに再び

深い眠りの中へ ・・・・・。

起きて活動している間は、大小を前に抱えて、もしくは、ライナスのように

引きずって移動し、うんちで踏ん張っている時は、もう、絶対に必要で、

握り締めたり顔をうずめたり、脱糞までの拠りどころ・・・・・。

当然、チイサイ方の四つ角は、縫製はほつれ、タオル地もやられ尽くして

ぼろぼろで無残な姿。

オオキイ方だって、春や秋は洗濯物の乾きが遅いので、禁断症状に陥らないように

する為には、このオオキイがいかにばっちいかをよーくよーく言って聞かせ、

どこまで理解できているかはもうしらないけど一応本人の了解のもとに2週間に

いっぺんくらいしか洗えなかったことなんかもあって、

元の真っ白のふかふかバスタオルとは程遠い薄汚れたデカ雑巾といえなくもなく。

さすがに保育園まで連れて行くことはできませんし、息子もそれは2歳児なりに

踏まえているのか、問題はなかったのですが、そのかわりに、通園用のリュック

をずーっと背負いっぱなしでした。最初の2ヶ月は、昼寝の時さえ背負ったまま

の日もあったそうで、”青いリュックのチカちゃん ” で通したようです。

私自身は、そんな偏愛の対象があったという記憶もないし、ぬいぐるみ遊びも

そんなに熱心ではなかった子供でしたので、” 安心毛布 ” と一緒の子供時代

がある人がうらやましくもあります。

どうしてうらやましく感じるのかなあ?

どんなふうにして安心毛布と過ごすものなのかなあ?

いつお別れするのかなあ?

今までいろいろ思っていたことの答えを得るべく、息子を興味しんしんで眺めて

いるヘンな親、ですね、私。











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THE WRESTLER

待ちに待った 『 レスラー 』 を観てきました!!!

泣けた。

泣けました。

いやはや、素晴らしかった。期待以上。

主演は、80年代にハリウッドのセクシーな二枚目俳優としてスターだったものの

その後、どんどん坂を転げ落ち低迷、この10数年はどん底生活だったという、

ミッキー・ローク。

そして、

スター俳優の主演を求めていたスタジオからの要請を、

主演はミッキー・ローク以外にはいない!と強行に突っぱね、その起用を死守した

監督、ダーレン・アロノフスキー。

大幅な製作費カットという過酷な条件を受け入れて完成した当初は、

本国アメリカでの配給会社すら決まっていなかったという無名の低予算映画

『 レスラー 』  は、

2008年のヴェネチア国際映画祭最高賞の金獅子賞を受賞し、

アカデミー賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞などの

なだたる映画賞の主演男優賞を総ナメにし、全世界の映画賞54冠に輝く、という

一大センセーションを巻き起こす!!  

という、読んでいるだけでも興奮してくるプロローグがついている1本だった

わけなのです。

かつては、マジソンスクウェアガーデンを満員にしたスター選手だったけれど、

20年が経ち、今や落ち目で地方のドサまわり興行で細々と生計をたてている

レスラー、ランディ。 老いと孤独を抱えて生きる彼に、引退を余儀なく迫る

心臓発作が起きてしまいます。新しい仕事に就き、絶縁状態だった娘との関係を

もう1度取り戻し、心のよりどころの存在のストリッパーのキャシディーに

想いを伝えて、まともな生活を立て直そうと再スタートを決意するのですが・・・

映画の主人公ランディーと、彼を演じるミッキー・ロークを重ねて観てしまうのは

無理なからぬことでありましょう。

ミッキー・ローク ・・・・・ 80年代、映画館に通いはじめていた私は、

彼がスター街道を登りつめていく過程の出演作をいくつか観ています。

当時、世界で最も美しい男の1人に数えられていたローク。

『 ナインハーフ 』 での煙のようなささやき声、セクシーな流し目線、

オシャレの見本のような洗練されたスーツが掛けられたクローゼットを退屈そうに

さまよう指の持ち主、それが、ミッキー・ロークでした。

ざらついて荒れた肌、むくんだ顔と指と、厚い爪、長年の酷使で傷だらけの肉体を

ぎしぎしいわせながら地方巡業先のリングに上がる、落ち目の元スターレスラー

を演じるミッキー・ロークに、そのようなかつての美しい面影はもうありません。

ですが、それらに変わって今は、手の中にあったもの全てを失ってなを

人生のどん底を生きてきた男の、晒されたような清潔感と、

粉飾することを卒業した正直な存在感がありました。

老いと孤独と死の予感を抱えて、自分の生きてゆけるたった1つの場所=リング

に再び戻るランディーの ” 勇姿 ” に泣かずにはいられない。

生きるということは、こんなにもつらく、どうしようもなくいとおしい。

ミッキー・ロークの演技は自然。だからなおさら素晴らしく、

なおさら沁みるのでした。

共演のマリサ・トメイも、場末のストリッパーという汚れ役を演じて最高だったし

旧友ミッキー・ロークがこれまでの人生全てを賭けて演じると誓い挑んだこの映画

のために、ブルース・スプリングスティーンが無償で提供したという主題歌にも

最後にも1度泣かされました。

是非、観てください。

















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佐伯祐三展に行ってきました


6月6日の土曜日に、道立近代美術館にて 『 佐伯祐三展 』 を観ました。

今回は、息子も一緒につれて行きました。彼に絵画の鑑賞をさせたい・・・という

高尚な教育目的で、などでは全くなくて、連れて行かざるを得なかったから、

そして、まあ、美術館くらいだったら迷惑をかけずに無事終えられるであろう、と

踏んだからでした。 もしかしたら、大きな絵を目にして、びっくりしたり、

何か言ったりするかもなあ、それもオモシロイかも・・・くらいの感じ。

当日は快晴、地下鉄西18丁目駅で降りて、美術館までの道をのんびり歩き、

「 この界隈もゆったりしていて緑が多くて、いいですねえ、ゆっくり散策したい

ですなあ、、」 などとおしゃべりしつつ行きました。

佐伯祐三というひとは、パリで、30歳で亡くなっているのでした。

今回の展示では、彼の絵画人生を最初から最後まで一気に鑑賞する事ができ、

短い生涯中、晩年は、びっくりするくらいのペース( 1日1作品! ) で作品を

描いていて、まるで、もうすぐ自分に死がやってくるのを悟っているかのような

そんな感じすら受けました。

明治30年( 1898年 ) 生まれの画学生が、美術学校卒業後、フランスは

マルセイユに初上陸したのは、1924年。世界中の情報が瞬時に手に入れられる

今と違って、当時の、日本からの感性過敏な芸術家が全身で受けとめた感動の

フレッシュさ、大きさを想像しながら1つ1つの作品を眺めてゆきました。

パリの街角、裏通りを描き始めた佐伯。

最初はたんなる街並、風景の描写だったのですが、重ね貼りされているポスター、

看板などのサイン、広告などなど、パリの街中にあふれるフランス語のグラフィッ

クが作品に多く表れるようになってきます。

どんどん増えていって、とうとうそれが象徴性をもって絵自体から文字が

飛び出してくるかのようになった時期の一連の作品が特にいいなあ、と思った。

帰りに売店で買ったポストカードも、この時期の作品を選びました。

追い求め、悩み、形にしては、破壊し、また変化発展させながら、その繰り返しに

実人生が重なりながら創り上げられる何ものか。

享年30歳とは、短すぎる。 ” 夭折の天才 ” といわれる人たちは、

その短すぎる生涯であっても凡人の数十倍の早さと濃さで「 自分とは 」 を世に

問い、答えを残せた人たちだとは知っているけれど、それにしても、

歳を重ねていく過程ごとのその芸術の変容を観てみたかった、そう思わざるを得ま

せんでした。

観終わって ( 息子も、1度絵の前の柵越えをやりそうになったけど、大丈夫でし

た、ホッ ) 親子3人、美術館前の池と庭で気持ちよく休憩してから地下鉄へ。

素敵な土曜の午前中を過ごしたのでした。

そうそう、ちょっと感じた事、それは、美術館のスタッフの方たちみなさんが、

幼児に対して、とってもウエルカムなムードで、にこにこして接してくれた事。

売店のスタッフの方も、みなさんです。

子供づれでの来館をもっともっと増やそう、そんな方針があるのかなあ、

で、実際、前庭も含め、本当によい時間を過ごせましたので、

道立近代美術館にて、親子で絵画 オススメですよ!



















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Hampton Hawes / The Green Leaves of Summer

木々の緑が瑞々しく美しくなるこの時期になると聴きたくなる

1枚のレコードがあります。

『 The Green Leaves of Summer 』

ピアニストのハンプトン・ホーズのトリオの作品で、1964年の録音です。

このアルバムの誕生には、おもしろいエピソードがありまして、

ハンプトン・ホーズは、ウエストコーストのジャズピアニストなのですが、

1958年の夏、ロスでおとり捜査によって逮捕され( もちろん麻薬所持で )、

10年の判決をくらい、刑務所暮らしが始まります。

このアルバムのタイトルにもなっている、A面の2曲目、

『 ザ グリーンリーブス オブ サマー 』 は、( ムショで )4度目の

クリスマス に観た映画 『 アラモ 』 の中の曲で、

ハンプトンの頭からずーっと離れず・・・・・

もし、もう1度お天道様を拝む事が出来た日にゃあ、この曲をレコーディング

しよう!と心に決めた、そうなんですよ。

1963年は、同じジャズピアニストのソニー・クラークが、N.Y.で死んだ、と

いうことを噂できき、また、同年5月、バド・パウエルがパリで薬漬けで心身共に

デロデロになっている、とも。心ざわめくハンプトン。

そして、8月16日。

過去5年間やっているように、起きて、歯を磨き、食事を摂りにいく、という

いつもの変わらない1日が始まるのですが、その朝は、ガードマンに止められて

事務所につれていかれます。

「 グッドモーニング!! ハンプトン! 」と、入るなり医長からの挨拶。

彼の後ろには、アメリカの国旗と、健康促進のスローガン旗の2つの旗、

その間に、JFK ( 時の大統領 JFケネディー )の特大写真が。

そして、さらに医長は、

「 いい知らせがあるよ、ハンプトン! 」

「 はあ~?!! 」

「 ( 君の )苦闘は終わった。」

彼の顔を見て、そう言うのでした。

刑期5年終了、残りの5年は、ナシ。

アメリカ大統領が、恩赦をくれたのです!!!!!

( ムショで )3年目のクリスマスに、JFKが大統領に就任。

そして、そして、本人は忘れていたけれど、ハンプトン・ホーズ君は、1962年

に、大統領あてに、恩赦を願い出る、許しを請う手紙を出していたのでした。

まっさか、まさか、ホントに許してもらえるなんて!! ってとこでしょか。

そして、晴れて娑婆に出た彼が真っ先にレコーディングしたのが、コレ。

ジャケットの写真からして、違います。

そよ風に揺れる、木々の葉っぱのグリーンをバックに、床屋から出てきたばっかり

の、眉毛もりりしく、ひげもすっぱりとそり落とした涼やかなお顔。

真っ白なシャツ、ネクタイ、ベージュのジャケツ ・・・・・

まるで、アイビーリーガーみたいじゃあありませんか、ハンプトン君!!

” 更生 ” この2文字をこれほど見事に伝える写真って珍しいよ、ホント。

演奏は、” フレッシュ! ” の一言に尽きます。

音楽を演奏する喜びに、1音、1音、が飛び跳ね、

自由の身に戻れたことへの喜びと、おそらくは感謝に、全フレーズが歌っている、

そんな感じなのです。

念願の 『 グリーンリーブス オブ サマー 』 の演奏がなんといっても素晴らし

いのですが、すべての選曲のバランスもいいと思う。

ジャズらしいスタンダード曲 『 ヴァード ブルース 』 『 セントトーマス 』

アメリカのスタンダード曲 『 シークレットラヴ 』 『 ブルースカイ 』、など

馴染みのある曲で、なをかつ取り合わせが柔らか過ぎず、とんがりすぎず、って

いう風に。

6月の、初夏を感じる気持ちの良い日は、木漏れ日をイメージしながら、

うんと冷たいアイスコーヒーに、冷たいミルクとシュガーシロップを注ぎつつ、

かつてあったジャズクラブの昼間のカウンターで、聴いてました、コレ。

まつわるエピソードも、その時に教えてもらったものです。

季節がくるとと、やっぱり聴きたくなるんです。

あの、濃くておいしかったアイスコーヒーは注文できないのですが。




参考までに、更生前のハンプトン・ホーズ氏のお写真、下にご紹介いたします。















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This is Hampton Hawes Vol. 2 : The Trio ( 参考写真 )

逮捕前、更生前、の ハンプトン・ホーズ氏 ( 1955年 )。

目の下、黒い。
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目の保養、心の元気

あわただしい毎日。

気力も体力も下降気味 ・・・・・ どうもやる気が起きんなあ、という時に、

ふと思い出して、ページをぱらぱらとめくっていると、

いつも元気を復活させてくれて、刺激を与えてくれるのです。

外国のインテリアの雑誌。

私は、『 marie claire maison 』 『 ELLE DECORATION / UK EDITION 』 の

2誌を、見つけた時に買っておきます。

国内雑誌は、発売日が遅れたりする事はまずありえないけれど、

外国雑誌は、まあ、ひどくいいかげん! 発売日を問い合わせたところ、

” だいたい ”月末頃、しかも毎月入ってこないこともあり、との事なので。

きれいなもの、おもしろいもの、意外な組み合わせ、超高級なもの、いろいろと

載っていて、毎回宝箱です。

その中の、古びた木のテーブルにのっている、たっぷりと大きなティーカップ、

生けてあるお庭の草花の雰囲気なぞにカツを入れられて、

「 よっしゃっ!! 」 と、気を持ち直し、腰を上げる、という流れです。





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わたしのノート

スケジュール帳のたぐいを、いままであれこれ使ってきました。

一時期などは、ファイロファックスの分厚い革表紙のシステムダイアリー

なんぞも持っていた。まるでクラッチバッグみたいな、大げさなやつでした。

そういうものを、かっこつけて持っていたかったのでしょうね、当時。

ただでさえごちゃごちゃと荷物沢山のバッグをさらに重たくして、

毎日通勤時には、うんと肩を鍛えてました。

マンスリースケジュール、ウィークリースケジュール、1日の時間帯ごと、

当月とその前後のカレンダー、えーと、あとなんでしたっけねえ・・・。

あれこれ細々と書き付けて、忙しくやっておりましたが、

根が持続性に欠けるのと、面倒がりやなのとで、ほどなくコンビ自然解消。

そもそも、そこまでのスケジュール管理がいらないってことなんです。

私なりの使いやすさと、必要な機能を考えながら試していって、

今、だいたいの完成形に至りました。

私には、ただのノートが良かったのでした。 あーああ。

なんにも線が引かれていない、カレンダーもアドレス帳もついていない、

のっぺらノート。 サイズは少々小さめ、縦開き、リング綴じ。

月光荘の縦開きのスケッチブックに巡りあって、

「 あっ、私達、相性いいかも。 なんだか仲良くやっていけそう ・・・・・ 」

それから新コンビを組んでみましたが、予想通り、たいそう快適です。

ページの上に年号 ( 私のクセで、必ず書く )、そして月、日、曜日を書き込み

そして、その日にやるべき( やりたい ) 事柄を、とにかく片っ端から書く。

沢山ある日、そんなにはない日、いろいろですが、

とにかくできるだけ細かく箇条書きで書き付けます。

商品の発送、発注などから、帰り道の買い物品、保育園に持っていく物、

枕カバーの取替え、じゃが芋ゆでる、e.t.c. e.t.c.・・・といった具合にです。

そして、なによりも私にとってこのスケッチブックが使いやすいのは、サイズ。

持ち運ぶにも程よい大きさ ( 13 x 18 cm )なんですが、余白がたっぷり

あるので、雑多なメモ書き、走り書きがいっぱいできるのです。

程のよさは紙の質にもあって、硬すぎず、柔らか過ぎず。厚過ぎず、薄過ぎず。

リング綴じなので、見開いたり、半分にたたんだりもとても楽です。

そして、終了した項目を、ピッとチェック。

残っていたら、翌日以降、また書き付けます。 その繰り返し。

惜しげなく、乱れ書きできて、表紙の色選びも買い換える時のお楽しみとなり、

この先も、ずーっと仲良くやっていけそうです。

 





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