2010年 ごあいさつ







2010年、いよいよ今日を除いてあと2日、ですね。

パスキューアイランドの年内の営業も今日が最後になりました。

あと2日で今年が終わってしまうなんてねえ。

年末の細々とした作業に追われておりますが、あれこれやりながら

「 ああ、暮れも暮れ、大晦日に間に合うかしら・・・ 」 と、毎年飽きずにあせっている

私、困ったものです。

皆様の ” 暮れも暮れ ” の今日・明日・あさって、どのようにお過ごしでしょうか?

どなたにあっても いろいろあったこの1年。

途中で息が切れちゃってペースを落としては、また元気を取り戻して一気にコーナーを

まわったり、声援に胸が熱くなったり、転びそうになったり。

頑張りましたよね、私たち。うん。

誰もがマラソンランナーみたいです。

この道は、結局 自分ひとりで 自分が右と左の足を前に出し続けて進むしかない

孤独な道なのですね。

喜びも 苦しさも 悲しみも、全てを飲み込み、日本中に厳かに鳴り響く除夜の鐘の音。

この鐘の音が、今年きた道を浄化してくれ、そして続くゆく道を開いてくれる・・・・・。

本当に?

本当ですとも! そう信じます。



仲通りのこの小さな店に、今年もたくさんのお客様にお越しいただきました。

心より感謝いたします。

ありがとうございました。

2011年、さあ、もうすぐ始まります。

シューズの紐を キュっとしっかりと結び直して、

軽やかに、勢いよく走り出したいと思います。


新年は、1月4日 ( 火 ) より営業いたします。

来年も、どうぞよろしくお願いいたします。




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4歳になりました






人は、いつでも変われる。

変化 ( 成長、成熟などなどともいえる )していくプロセスこそが人生そのもの

・・・・・ そう考えます。

幼いこどもが大人といわれる年齢になり、自分で生きていくようになるまで、環境の及ぼす

影響力は、計り知れない、とも思いますが、一方では、一概にはそうともいえないなあ、

とも思います。同じ屋根の下で育った兄弟姉妹だって、好みも考え方も、つまり生き方は

てんでばらばらなことがほとんどですしね。

そうは解っているのですが、その上で、親となった身としましては、一応親の価値観、

判断基準のようなものを決めていかなくてはなりません。

父親なり母親なりの生活への取り組み方を示していく事が、なんといっても

最大最良の子供への贈り物なのかなあ、と思うので、

我が家は倹約質素を旨として ( 笑 )、

心身ともに強く太い子供に育てたい。

子供って、物質的には、「 必要最低限 」 でなんら問題ナシなんじゃあないかいなあ?

うちの子を見ていると、与える甲斐ナシ、、、というくらい壊すし汚すし、飽きるし。

よく、子供のうちからホンモノを与えたいもの、とは聞きますし、

ほんとにそれは大事なことだとはわかるのですが、

肝心の親がホンモノを使いこなし身についている生活の見本である場合はそうでしょうが、

そぐわない場合には、与えるモノだけを上等にしてもだめだよね。

そこんところが気になるわけです、ウチの場合。

まあ、そういうわけで、必要最低限のモノたちを、使って洗ってお直しして、という部分

をしっかりと沁み込ませ、そうして次なるもの・ことへ・・・。

同時に親のポジションでいようと思うと、私たちも日々これ鍛錬なんですなあ。

便利さを取り入れつつも、頼りにしすぎず、暮らし = 生き方 を自分で作っていくのが

楽しい! と考えられるように育っていってくれたなら、先々そうそうビョーキにならずに

やっていけるのではなかろうか・・・ そう願うのです。


息子、無事4歳になりました。

この1年間、保育園では異年齢混合クラスになり、四季折々の行事、マナーやお友達との

やりとりなどなど、様々な体験させてもらえました。おかげさまで随分な成長振り! 

先生方には本当に頭が下がります。

お口も大変達者になり、今、彼の最上最強の親に対するケンカぜりふは、


「 ババクソ 」 「 チンチンババア 」


 ・・・・・・・


ババクソって、ちょっとアンタねーーーーーっ!!!

最初唖然としましたが、脳みその皺の本数でいくと、まあこんなもんか、と、

叱りつつも内心大笑いですね。

悪態ついて、ヤクザなものいいを覚えこんできては家庭内で実用してみて、叱られて。

うんとかわいくって、いとおしくって、悩ましくも、毎度うんざり。

このような怒涛の子育て中にあっても、親の品格を保ち向上させ共に成長していかなくては

ならないとは、まっことに難儀なことでありますなあ。

チンチンババアと言ってた息子が大人になった時、

ウチの親の背中はいろんなものを背負っていたが、なかなかさっぱりとしていて潔い背中

であった、そう思い出して欲しいから、

我々も、日々頑張って生きてゆく甲斐がある ・・・・・。



4歳児との毎日は、修行の毎日なんです ( わはは に トホホ )。




















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セーラーとペッカ






私の2010年の大収穫!

この素敵な絵本のことを、どう表現したものか、どう伝えたものか・・・・・。

ただただ、ものすごく好みで、刺激的で、開くたびに新鮮、

だれにも教えたくないような・・・でも、みんなに教えたくてたまらないような・・・

そんな絵本なのです。

ヨックム・ノードストリューム作 『 SAILOR  OCH  PEKKA ( セーラーとペッカ ) 』 の

シリーズです。

全部で5冊で、


       『 セーラーとペッカ、町へいく 』

       『 いったいどうした セーラーとペッカ 』

       『 セーラーとペッカの日曜日 』 

       『 セーラーとペッカのうんだめし 』

       『 セーラーとペッカは似たものどうし 』


というタイトルなのですが、

春先に出会って、毎週月曜日に、一冊ずつ購入していきましたが、

手に入れるのが最高にウレシイ反面、全部買ってしまって、シリーズが終わってしまうこと

がものすごく寂しくて、

本当に久しぶりにウキウキどきどきしたお買い物でしたねー。

ヨックムさんはスウェーデンの現代美術家で、ドローイングやコラージュの技法を使った

絵画で知られているほか、イラスト、オブジェ、アニメーション分野でも活躍している

人らしいのですが、絵本作品はこのシリーズのみ。

引退した船乗りのセーラーと犬のペッカ、この二人のおかしな日常生活を、

丹念に ( 全ての物語にいえると思うんだけれど、どんな服をどう着ている、どんな食事

をどう摂っている、どんな部屋にどう暮らしている、e.t.c. e.t.c. こういう細部の

描写の丹念さが重要で、おもしろさの50%くらいは占めているんじゃあないかなあ、って

思うんです ) 描いています。

たいして大きな事件は起こらないの。

セーラーのセーターがどしても見当たらない、とか、セーラーが重い肺炎に罹った、とか、

遅いランチをしに行ったビリヤード場でケンカに巻き込まれそうになった、とか、

仲良しのジャクソン夫人の部屋の壁紙を取り替えてあげた、とか。

なんだけれど、淡々と流れる二人の日々は、夢のように自由で、おかしみと愛に

満ちているのです。

コマ割のような画面構成、コラージュを混ぜ込んだウマヘタ ( ←なつかしい言葉? )な

絵、へんてこりんな登場人物、タトゥーとかゴスペルとか賭博とかビリヤードとか、およそ

子供向けとはいえない挿話が仕込まれていて、その異質なセンスが渋く輝くのです。

そうですね、この絵本、全体的に、いぶし銀のような渋さに満ちています。

アート作家の計算づくの作品なのです。



タクシーのラジオから流れるのがビリー・ホリディー、


タバコ専門店にサッカーくじを買いに行く、


ビリヤード場には男の人ばかりで、球のはじける音が、あちこちからきこえる、


入り江では、さびた貨物船がいかりをおろしている、


町へきたついでに、タトゥーをいれる、


ピエロがトランペットで、きれいなバラードをふく、



などなど、渋いでしょう。

子供向けではありませんよね。全体の色彩も渋めの鈍いトーンで描かれています。



細部に作者の嗜好がぎゅっと詰まっているのです。

美術作家が描く子供のための本、 子供のための本というスタイルの美術作品、

うーん、そのどちらもアリ、なんでしょうね、このシリーズ。

なので、絵本好きの大人じゃなくても楽しめますし、おかしな登場人物たちがなんとも

おトボケで、へんてこりんで、そのため、彼らが巻き起こす日常のさざなみのビートは

美術のことなんかちっとも知らない子供たちもすごーく大好き、なのでしょう。 

まさに、” 大人から子供まで ” の絵本なんだなあ。


「 似合わん 」

「 はですぎる。おれの趣味じゃない 」

「 うるせえ、このチビ! 」

「 ナイフがなんだ! ガン! 」


ある時、息子が着替え中に、そして遊び中に言ってるのにはびっくり&大笑い&冷や汗!

全てこの絵本中のセリフなのです ・・・・・ 。


どこまでも青く、ないでいる海からの潮風が、全編とおしてセーラー&ペッカの世界に

心地よく吹いています。

そして、いつでも、何度開いても、必ず私を幸せにしてくれるのです。













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ビヨンド ザ ミズーリスカイ  / beyond the Missouri Sky







自分のものなのに、意思だけでは踏み入ることのできない心の中の鍾乳洞みたいな

場所って、確かに存在するんだなあ、と、このアルバムを聴いているとわかります。

その鍾乳洞は、無音に近いくらいの静けさで、遠い昔に出会ったいろいろな場面や、

いろいろなもの、人、音、匂い、色、景色、なんかが、壁や柱に全部埋め込まれ、

そのまま保存されているのです。

すっかり忘れてしまっていたかっての出来事とその時の感情、その時の自分。

なんとも懐かしく、いとおしく ・・・・・ 

そして、人生とはいかにかけがえの無い瞬間の連続であるか、と、さざなみ立つ感情に

揺れながら思うのです。


人が心の奥の奥に無自覚に持っているとても親しくも遥かな場所に導いてくれるのは、

二つの弦楽器とその操り手たち、

ギター : パット・メセニー 、ベース : チャーリー・ヘイデン 。

このアルバムでのパット・メセニーは、決して前に押し出ることなく、常に控えめです。

ギター小僧の神様の一人である彼の通常のエレクトリックな超絶技巧の音楽世界から比べる

と、物足りないでしょうか? らしくない?

そして、チャーリー・ヘイデンのベース、速く弾くとか、見せつけ目立とうとするような

派手なベーシストとしては知られていません。 地味すぎるでしょうか?

このアルバムは、アメリカ・ミズーリ州の片田舎、リーズサミット ( パット ) と

フォーフィス ( チャーリー ) でともに育った二人が、長い間温め望んで、やっと実現さ

せたデュエットアルバムなのです。

パットはアコースティックのみを望んだそうですが、話し合い、音楽の幅を広げるために

いろいろなインスツルメントを織り交ぜて。


控えめでいながら、一音一音がそれ以外にはないという感じで迫ってくる、

” 意味 ” のあるギターとガットストリングのベースの音、音、音、そして

重なり佇む残響の優しさ。

選ばれている楽曲は、二人でここでやりたかったことをより一層私達に伝えます。

( チャーリー・ヘイデンのオリジナル曲の中でもその美しさと物悲しさで際立つ 『 First-

Song 』は、スタン・ゲッツがその死の直前のライヴアルバム 『 People Time 』で演奏

していて、テナーサックスとピアノ( ケニー・バロン )という同じデュオ演奏の聴き比べ

も機会があれば是非! どちらも最高に沁みます! )


このアルバムは、きっとどなたも繰り返し、繰り返し、幾度となく聴き続けるタイプの

一枚だと思います。

演奏する二人とは、国籍も年代も環境も、何もかもが違う、なのに、心掻き立てられ、

ちょっと不安になり、寂しさ、かつて愛した愛された確かな暖かさ、遠くかすかな思い出

に泣きたくなる ・・・・・ 人間的な、脆くもいとおしい様々な感情を伝えたい、という

メッセージが、彼らの紡ぐ音楽によってきちんと届く、聴く人一人一人に。


弦楽器が得意とする技で、名手が奏であげた、珠玉の短編集、といったところでしょうか。

聴き終えると、その日はずーっと 四曲目の 『 Two for the Road 』 のフレーズが

頭の中に流れ続ける私です。












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白磁のプレート




人によっていろいろ、なのですが、

私の食器の 「 最低限、これさえあれば大丈夫 」 は、白磁のプレーンなお皿3サイズ。

あ、日本人だから、飯碗はあるとして、ですね。

あ、それから、汁物用のボール型も、これに加えていりますねえ・・・別途ご用意くだ

さいね ( わはは、スミマセン )。



まず、一番大きな直径26cm。

これに、主食、副菜を一緒にのせて、というワンプレートの盛り付けは簡単で楽しく、

また、カレーライス、スパゲッティ、炒飯、などのおなじみ人気メニュを心置きなく、

そして、お客様の時には、おもてなしの料理を美しく、たーんと、


お次は、直径20~21cm。

朝のパン、トーストがちょうどいいし、

取り分け用にもゆとりがあって使いよく、

2~3品のおかずをその日の適量で盛り付けてるにもよいですし。



最後は15~16cm。

ちょっとだけのつまみ、、、チーズ、オリーブ、ピクルス、チョコ、塩辛、目刺し、など

家で静かにお酒を楽しむ時にちょうどいい。

それから、パウンドケーキやクッキーを半分だけ、とか、おやつ用に。

お醤油用にも。サイズに余裕があって、使いやすいです。



磁器は、何よりも扱いが楽なのです。

誰にだって洗えますし、拭くのだって簡単です。

レンジ、食器洗い機にもすんなりと対応してくれます。

ということは、丈夫なのです。

さらに、真っ白がいい。

いろいろな食べ物の色が映えますね。



これから暮らしを始める若い方、なんとなく今ある食器が飽きてきていて、シンプルな

ものに替えていきたいなあ、とお考え中の方、

白磁のプレート、オススメします。

気になる価格も、白磁器類は、どのメーカーのものでもそう高価ではないようです。

特に業務用のものでしたら、なおのこと。

ちなみに、写真の3種類、1260yen ・ 740yen ・ 530yen ですもの!

パスキューの定番商品なので、だいたいいつもあります。

なので、もちろん買い足しができます。


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秋に届いたおいしいもの






届いた箱包みをわしわしと開けると、

真っ赤な林檎 と 黄金色の梨 が、ごわりざらりとしたそれは魅力的な茶色い紙に

ざっくりとくるまれてこちらを見上げておりました。

林檎と梨の、しっかりと実って充実したおいしさもさることながら、

そのごわごわのクラフト紙のテクスチャーに、原点回帰の思いがしました。

まず、厚さがいいんです。それから、色。

クラフト紙は、パスキューが始まって以来ずーっと包装紙や紙袋として使ってきた紙、

今現在も、包装紙は、クラフト紙を全紙で買ってきて、いろいろなサイズにカットして

お買い上げいただいた贈り物用の商品をラッピングしているのですが、

今回のこの秋の実りの贈り物をいただいて、

次回クラフト紙を買う時は、これと同じ厚さのものにしよう!!

そう決めまして、しわしわのその紙をとってあるのです。

今使っているものよりも厚みがあり、色も濃い。

今選んでいるクラフト紙、別に問題はないのですが、何といいますか、、、クラフト紙を

使う醍醐味、意味、良さ、この紙への愛、のようなものを表現しているかどうか、

となると、今ひとつぼんやりとしているな、と。

未晒しの荒っぽい味わいと、独特のリッチさ、とでもいいましょうか。

クラフト紙一枚でも十分、完璧に ” 伝えられる ” んですよね、ええ、

スピリット、のようなものを。

常に些事にこそ気持ちを込めて、フレッシュさが廃れないようにしなくては。

若々しさって、そういうことですよね。

お店も人も、同じね。

そんな気持ちを思い出させてくれた、秋のおいしい贈り物、ありがとうございました。
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引継ぎ






この9月20日に 母が逝ってしまいました。

長かった残暑の日々を、頑張って頑張って、 

もう少しで窓からの微風に秋の到来が感じられるところだった、今夏の一番最後の日に。

とても悲しいはずなのですが、

ずーっと悲しくありません。

とても寂しいはずなのに、

いつも いつも 寂しくつらいわけではありません。

母はもういない、が、まだよく解っていないのでしょうか。

この先、やがて、どーんと落ち込んだりするのでしょうか。

どうなのかなあ・・・・。

ふと思い出し、脳裏に浮かぶのは、あの時、このときの、母の満面の笑顔ばっかりです。

ふと聞こえてくるのは、私を励ましてくれ続けた母のあの声のトーン、あの口調。

私の目の前に居る感じがするんです。

とても落ち着きます。

気弱になってる私に元気がよみがえる。

ふと考えます。

もし、病気が治って、普通の生活に戻れていたなら、母はどうしたかったかなあ、と。

きっと ・・・・・・

おいしいご飯やおかずをこしらえて、父や、人数も増えて賑やかになった家族みんなを

喜ばせたかっただろう。

荒れ放題になっていた庭の樹木や花、草のお世話を十分したかっただろう。

うっすらと埃がたまっていた家中をすっきりさせ、大きな窓のカーテンもさーっと開けて

通るご近所さんとのたわいもないおしゃべりを楽しみたかっただろう。

眼鏡のレンズを交換して、ゆっくりと読書をしたかっただろう。

長年所属したコーラスグループに復活し、堂々と歌いたかっただろう。

そして、おしゃれして、パンプスを履いて、父と二人で街を歩きたかっただろう。

・・・・・・

そんな、ささやかな日常茶飯事ばかり。

でも、きっと、そうだったでありましょう。

なので、だから、それじゃあ、

親孝行を先延ばしし過ぎた不詳の娘が、代わってやらせていただきますね。

繰り返しに思える日々の暮らしの細々を、二人分のつもりで、死んじゃったらもう出来ない

って言い聞かせながら、心を込めてやりましょう。

母の全て、だった、家族。

母が私に遺してくれたその思い、しっかりとお受けいたしやしょう。

「 お願いだから、いつもキレイでいてちょうだい。

  口紅くらいつけなさい。 」

実家の玄関を出入りする時に、必ず言われたこのせりふ、

承知しました、オッカサマ、これからは、肝に銘じて、私、頑張りまあーすっ!!!

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