キムチを売る女

8月26日月曜日、のお休みの日は、『 キムチを売る女 』 という

少々風変わりな映画を観てまいりました。

蠍座にて。 整理券は3番でした。

今、蠍座は 整理券を配る映画館なのですよ!

いやあ、感慨深いものがありますねえ。 しみじみ。

最初の頃って、いつ行っても 気の毒なほど誰もいなくってさあ、

パスキューでも映画好きそうなお客様に宣伝したりしてたっけ。

今や盛況の蠍座、嬉しい限り!! ホント やったねっ!次郎サン!!

奢ることなく 蠍座らしくサービスの質を上げているのが感じられて快適ですよ。

例えば スタンプカード、以前は6個たまると1本無料鑑賞だったのが5個になって

満杯にしやすくなった とか コーヒー豆を良いの使ってる とか 

コーヒーにちょっとした一口お菓子がついている とか 活けてあるお花の種類が

増えていたり とか 販売している焼き菓子をのせているトレイが 白い大きな陶器に

なっていたり とか ああ、あとなんといっても最大のサービスが 鑑賞席のシートを

立派にした とか ね。 ( 真っ赤な座席シートは 新品の時より 1年たってなじみが

でてきて座り心地良くなりました )



そう、それで キムチ女、でした。

いただけるチラシはなかったのですが、蠍座に貼ってあるポスターを観ると、

この作品を撮った監督の刺激的な鋭いセンスにどきどき。

そのポスター、欲しいかも・・・ってちらっと思った。

ELLE DECORATION UK版 ?て思うくらい尖がっていてかっこいい。

お話は 絶望的です。 悲劇。 そして、とても観念的。

セリフを極端にすくなくしてあり、役者達のアクションや表情も

ものすごく抑えられている。 音楽も無し。 

だから ワンシーンにおける沈黙、映像の空間構成に観客はいろいろな思いを馳せる。

シーンごとの、” 哲学的 ” とすら思える ” 意味 ” を求めて映画に入り込む・・・。



映像は 透明感に溢れていて、ポスター通り 特異なセンスです。 良い!

また、砂利道をゆく自転車のタイヤの音、扇風機の羽音、

水道から迸る水の音、胡瓜をむさぼる音、など なんでもない生活音なのに、

異常なくらいの緊張感が感じられます。 

「 キムチの露天商で生活を営んでいる母と息子 」 の映画、私はてっきりもっと民族色

が全面に出ていて、ほつれ髪の、猥雑な界隈での、哀れきわまる親子の道行きかな、って

想像しておりましたが、全然、もう、ぜんっぜん 違いました。

なにしろ開演前のポスターが ELLE DECO、でしょ。 

母は若く美しく無口。 さびしい人気のない通りに自転車をとめ、荷台にのせた

ガラスのショウケースに数種類のキムチをボールに入れてプラスティックのざるで蓋を

して売っているの。 いらっしゃいませ、とか おいしいですよ、とか 無添加ですよ、

とかセールストーク一切無し。 ただ黙って横に立っている。

ぽつり、、、、ぽつり、、、とお客がぼそっと来て、ぼそっとキムチを買ってゆく。

朝鮮、韓国、中国方面の あの 血のたぎるような激しさは皆無です。



とても変わった映画、でしょうね。

かなり高い水位にあった絶望感が 少しずつさらにせりあがり、

ある時、ある決定的な出来事により 決壊してしまう。

その時 人間はどうするか。 どうなるか。

ラストシーンは、 私達観客に委ねられた、ほとんど抽象的な、一枚の絵画・・・・・。



このような映画、たまにはじっくりと鑑賞して

おのれの感覚に砥石をあてたい 芸術の秋。  なーんてネ。







 
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マイルスを聴けば

永遠不滅の都会ミュージック。

私は マイルス・デイビスを聴くたびに そう感じます。



明るくない。

不機嫌。

癒されない。

一人ぼっち。

漂っている。

不安定。

冷たい。

鋭い。

不穏な感じ。

不吉。

予感。

言葉少な。

繊細。

敏感。

・・・・・・・。


こんなイメージ。 マイルス・デイビスそのひとの外見のイメージとも重なります。

成功してお金持ちになっても贅沢太りしなかった

数少ない、ほとんど稀なミュージシャン。

彼の体と精神には、贅肉というものは存在しなかったようです。

上記のような、精神状態を落ち込む方向に向かわせるかのような感想を抱きながら、

一体 どんな時にマイルスを聴くわけ? と思うんだけど

聴くとねえ、落ち着くのですね。 何故か。

突き放されて、あきらめられる、自分を苦笑いできる。

そうしていつのまにかマイルスの硬質な芸術世界に入り込んで

大都会の雑踏に紛れ込むような不思議な安堵感を手に入れられるのです。



Miles Davis,  trumpet

Wayne Shorter,  tenor sax

Tony Williams,  drums

Ronald Carter,  bass

Herbie Hancock,  piano


今回の写真は 『 E.S.P.』 というアルバムで、

メンバーはこの5人。

このクインテットの時期の作品が なんといっても ” 不穏感 ”全開だと思うんです。

危うく、不安定で、けだるくて。 

そして、結晶のような美を味わえます。

5人中、リーダーのマイルスとドラムのトニー・ウイリアムスはもう他界していて、

残り3人にジャック・ディジョネットのドラムスを加えた 『 The Quartet 』 が

10月17日 ( 水 ) 札幌にやってきます!

” マイルス・デイビスに捧ぐ ” なーんて謳っちゃってるけれど、どうなのかしらん?

でも、しかし、観に聴きにいってきます。

生音であの不穏な音楽が聴けるかもしれないし・・・・・。

店を早じまいしていってきます。
















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BLOOD DIAMOND

8月13日 ( 月 )、蠍座にて観ました。

混んでいたのですが、先に2本立ての1本目を観ていた友達と待ち合わせでしたので、

席は彼女のお隣にスルリ。 ちょっとズルしてしまいましてゴメンナサイ。



この 『 ブラッドダイアモンド 』 は、観たいけど観たくない作品でした。

だって、アフリカものですもの、恐ろしいシーンがあちこちに埋め込まれているに

決まっていますし、『 ホテル ルワンダ 』、『 ナイロビの蜂 』 と観て、

もちろんこの他にもアフリカの現状を映画化したものは何本もあり、全部見ている訳では

ないのですが、かの大陸の、あまりの搾取のされかたの凄まじさに

観終わった後のショックが大きくて・・・・・。

なぜ観る事にしたのかわからないのですが、でもやっぱり 観ました。

映画が始まっても前半が終わるくらいまでは 

「 ああ、やっぱり止めようかな。 」

「 席を立とうかな。 」

と、心の中でのせめぎ合いが止まず。

一体、アフリカ大陸の肥沃さは 資源のないこの日本から比べるとどれほどのものなのか

計り知れず、国・民族間の混乱具合も、同じく。

今回の大国の搾取の対象は ダイヤモンドです。

” 給料の3か月分 ” のエンゲージリングが店頭にきらびやかに並ぶまでに

アフリカでどのようなことが行われているか。

1人は ダイヤモンドの採掘場に強制連行された地元の漁師。

1人は それを暴こうと、ニューヨークからやってきた女性ジャーナリスト。

そしてもう1人、アフリカで生まれ9歳で両親を目の前で惨殺され、内戦の中で生き

延びた白人アフリカンのダイヤの密売人。

この3人のそれぞれの命がけの目的と思いが絡み合い、悪魔的な混乱と恐怖からの

脱出劇が進行します。

前半戦、「 これは エ・イ・ガ ! 」 ってわかってはいても、おっかな~いシーンに

くじけそうになっていた私でしたが、後半になってどんどん引き込まれてゆきました。

ダイヤ密売人 ダニー・アーチャー ( L・デカプリオ )31歳!が変化してゆくから

です。密売稼業で大金を稼ぎ、荒れたこの地から自由になることだけが人生の目的だった

孤独な男が、愚直な漁師 ソロモン・バンディーの家族への思いに翻弄され、

ダイヤモンド市場の裏に広がる闇の真実の証拠をつかもうとする マディー・ボウエンの

タフな情熱に出逢い ・・・・・・。

そうそう、ヘミングウエイの 『 誰が為に鐘は鳴る 』 のラストシーンが彷彿される

そんな終焉、かな。

ダニー・アーチャーは ラスト、満ち足りた微笑を、たぶん9歳以降のかれの人生で

初めてその顔に浮かべたのだろうなあ。 

デカプリオ、よかった!!入魂の演技!



観終わって、お隣の友と一緒に、 

「 よかったねえ。 」

「 いやーっ、深い映画! 」

「 デカプリオ、見直したぞ 」

「 J・コネリーもよかった! 」

「 日本が戦後侵略されずにすんだのは 資源がなかったからだよねえ 」

「 アフリカの恐ろしい魅力 」

などなど、ぺちゃくちゃしながら 大満足して

34度の外気の中へと押し出されました。


観て、ほんと よかった!!






 







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ムカデ

少し前の あの強い雨の日の夜。

我が家の壁に ムカデ ( ” 百足 ” と当て字する、アレです ) がいました。

白い壁に ひたっと一匹!

体長4~5センチの 真っ黒いのが!

百本の細い足を全部静止させて!

なにげなしに視線を向けたら いたんですーーーー!!!!

一瞬 絶句、そして ぎゃーーーーーーーーーーーっ!!!!!

腰を抜かさんばかりに驚いて、 「 ム、ム、ムカデがいる! あわわわわ! 」


常日頃、木が好き、木陰が最高、なんて口走っているくせに

虫、怖いんです。

それでも、あんまり大声を出してムカデが驚き、冷蔵庫の後ろなんかに移動されては

たまらん、と、心臓早打ちさせながらも ちびっと冷静な頭も働いたりして。

幸い夫がいたので、ムカデの速攻退治の指令を出しまして、

「 わーー、そこっ、そこっ、」

「 おおーーっ!! その裏におちたーーっ!!! 」

「 ちがうっ! それっ、そこの籠の下ーーーっ!!! 」

もう、ムカデの逃げ足の速いこと速いこと。 さすが足100本。

音もなく逃げようとするムカデが半死状態で牛乳の空きパックの中に捕獲?され

窓から開放?されたのは 発見後10分くらいたって、でした。

はあーーーーーーーっ、ぜいぜい、ふーーう。

それにしても。

何故 ムカデ?

何故 うちに?

どこから どうやって中へ?

謎は残り 黒々としてけっこう大きなムカデの姿が目に焼き付いて・・・・・。

その後はお目見えしておりませんが、雨が降ると、思わず壁づたいに

目を光らせてしまい、もう どきどきひやひや。

まったくもって 私は意気地なし!

で、” ムカデ ” で思い出したのは、この春に読んだ 梨木 果歩の『 家守綺譚 』。

春は 梨木 果歩特集を組んでずーっと彼女の作品を読んでいたのでしたが

この『 家守綺譚 』 はなかでも異色作だな。

100年程前の ” 庭つき池つき電燈つき二階屋 ”の家守をすることになった

” 新米精神労働者 ”の綿貫征四郎の日々のお話。

物語中、 100年前の日本にはあちこちに普通に生息していたであろう小生物が

次々と登場して。 子鬼、河童、タヌキ、桜の精、人魚、番犬ゴロー、etc. etc.

そんな中に、「 長虫屋 」 というのが何度も出没するのですが、


     ― ご主人、お宅は百足が出るでしょう。

    つられて、

     ― はあ、百足は出ますね。 ほれぼれするくらい見事なものが出ます。


このようなやりとりから始まって、長虫( ムカデやヘビなどの長いもののことらしい )

を捕っておいてくれたら買い上げますよ、という商売をしているこの男の誘いかけを

主人公・綿貫 征四郎は心惹かれつつ断り、そして、

長虫屋は  ”ちょっと気が削がれた顔をして、”


     ― そりゃ残念です。 百足の宝庫のような家だのに。


そう言い置いて帰ってゆくのでした。



この物語を読むと、ほんの百年程の間に失ってしまったものへの愛が淡々とした

ユーモアに包まれて描かれていて、なんともいえない郷愁のようなものを感じます。


” ほれぼれするようなムカデの宝庫の家 ”


一昔前の日本家屋は、そうだったのでしょうねえ。

( たぶん )生まれて初めて間近にムカデを見た私。

一匹のムカデに大騒ぎしてしまう私。

そんな有り様の自分になんだかがっかりしつつ、

でも ムカデ 怖いし。


ああ、なんと遠くにあることか。

天地自然とのやり取りの中にあった、のびやかな暮らしは・・・・・。


雨の夜のムカデ騒動、

ちょっとそんなこと思ったりしたのでした。












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