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電話室便り
クロワッサンで朝食を / Une Estonienne a Paris
2013-11-08 / 映画
10月2日、シアターキノにて。
啓子さんが観たとおっしゃっていて、H女史も観たヨって。 それで、どれどれと
キノの上映時間をチェックしたら、ちょうど朝一番の回ですと、店の開店時刻に余裕で
帰ってこられるようなので、夫と二人で観てきました。
なんといっても、やはり ジャンヌ・モロー、圧巻!
この作品の深みと、繊細かつビターな味わい、長く余韻として残る優しみは、この戦後の
フランス映画史に輝く大女優が85歳にして主演してこその、彼女からの贈り物でしょう。
人が年をとってゆくとどうなるか?
ああ、年をとるとは、こういうことか。
華麗なるキャリアを誇る伝説のジャンヌが余すところなく見せてくれます。
わたくしの美貌を、年月はこんなふうに仕上げているのよ、と。
この残酷さ、容赦なさをご覧なさい、神の法則からは何人たりとも逃れ得ないのよ、と。
絶頂期の彼女を観ている者にとって、それはちょっとした衝撃でありまた感嘆でもある
のではないでしょうか。
外見は無残に ( といっても許してもらえるでしょう ) 変化していました。
しかし、あの他を圧倒する輝き。
ジャンヌ・モローその人を貫く何かが不変なのです。
何か・・・・何でしょうか?
フリーダ ( ジャンヌ・モロー ) が愛しているのは、亡き夫とステファンだけ。
かつて愛人関係だったステファン、男女の仲ではなくなっていったのはいつの頃からなの
だろう。息子といっていいほど年下のステファンだって、今や少しお腹の出てきた中年男
になって、フリーダに持たせてもらったカフェの経営者として忙しい。心配をかければ
来てくれる。でも、そうそう顔を出してはくれなくなった。
若かりし頃、エストニアからパリに出てきたフリーダに、パリの贅沢の全てを与えてくれ
た大金持ちだった夫のおかげで、限られた人した住むことができないパリの高級な地区、
贅沢なな調度品と、音を吸い込む絨毯、凝った組み木のフロアーの、広々とした格式のあ
るアパルトマンにフリーダは暮らしている。
日常着はシャネル。
朝食は ”クロワッサンと紅茶だけ ” が長年の習慣。
いくら年齢を重ねていようと、女心は少しも衰えてはいない。毎日きちんとメイクを
施し、髪を整えて、マニキュアをして、ステファンだけを待っている。
老化も衰えも嫌というほど解っているし、ステファンが自分を重荷にかんじていることな
んか、ずっと前から解っているけれど、身勝手でも独りよがりでも、ステファン
だけに心配してほしい、優しく接して欲しいのだ。
だから、ステファンが家政婦を送り込んでくることは俄然気に入らないし、当然受け入れ
たくなんかない。
絶対に馴れ馴れしく傍へは寄らせはしない。世話などしていらない欲しくない。
老いゆくにつれて起きてゆく変化に折り合いをつけることができない、
それがフリーダ。
この、一筋縄では決してゆかない老女を、ジャンヌ・モローが演じるのです。
少女の瞳でステファンに腕をしっかりと絡ませて、新しい家政婦を牽制し、パリにしか生
息し得ない高級マダムの優雅を事も無げに纏い、わがまま放題だけれど結局全てを解って
いる、悟っている、その孤独。
ジャンヌ・モローとフリーダが観客の中で自然に交差します。
傲慢、孤独、老獪、その奥に、
媚びることを知らないある種の美しさ、無垢な潔さ、そして人生の深い味わいを滲ませる
ジャンヌ・モローの至芸。
『 クロワッサンで朝食を 』という邦題は、どうしたものでしょうかねえ。
その後ろに 『 ティファニーで朝食を 』 があるのがわかって笑えますが、ほんとは
直訳すると、『 パリのエストニア人 』 になるのですよね。
つまり、エストニア出身の老パリジェンヌ、フリーダ、そしてエストニアからフリーダの
もとへとやって来た新しい家政婦のアンヌ、この二人の 「 パリのエストニア人 」 の
お話なのです。そして、映画は、離婚、子育て、介護と看取りを経て抜け殻のようになっ
ていた中年女性アンヌのパリでの新しい人生の兆しを描く流れが主軸でしょう。
つまり、『 Une Estoniennne a Paris 』 だから、エストニア女性は、複数ではなくて、
どちらか一人なわけで、どちらか? は、アンヌでしょうね。
アンヌ役の本物のエストニア人女優 ライネ・マギ。エストニアという東欧の雪国から
憧れのパリに出てきたときめき、垢抜けないぎこちなさ、真心と優しさと強さを演じた
みごとなブロンドと脚線美の、素晴らしい女優さんでした!!
ですが、観終わって約1ヶ月以上経った今も、私が思い出すのは、フリーダなのです。
思い返すのは、ジャンヌ・モローだけ。浮かぶのは、ジャンヌ・モローばっかり。
圧倒的な存在感。演技を超えている演技。
外見がいかに変化しようとも、少しも変わらない、ジャンヌ・モローの何か・・・・
それは、たぶん、鋼のような、” 決断する力 ”と思います。
ジャンヌは、愛のためだったら、迷いなく犯罪者になってみせるでしょう。
そしてフリーダも。 そう感じさせる何か・・・・。
最後のシーンで、フリーダは、アンヌを受け入れます。
「 ここは あなたの家よ 」と。
フリーダは、決断を下したのです。
フリーダの心の深奥は?
真相探究は、観客へと投げ出されます。
ジャンヌ・モローの不変の強い眼差しの底にあるその決断の意味の深さを思い、思索し、
私は幾度となく考えさせられるのです。
ジャンヌ・モロー、恐るべし、そして、あっぱれ! と。
是非、観てみてください。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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わたしも観ました。タイトルに食べ物がつく映画はそれだけで、興味がわいてしまい観に行きます。
どこからどうみても、ジャンヌ・モローのために創られた映画だと思いました。
(ここだけの話ですが。アンヌがスーパーでクロワッサンを買うシーンのとき「それはないでしょ!」と心のなかでつぶやいてしまいましたが、そういう現実も描いていたんでしょうねぇ。)
明日のパスキューライブに参加します!
ライブご参加ありがとうございました。
小雪降る中、本当にうれしかったです。
( ここだけの話ですが、私もアンヌに声をかけたく
なりました。それはきっとあのおばあ様に返品されま
すよ、と。)
こういうシーンで、エストニアという国の現状とパリ
の華や文化を上手に対比させてるなあ、と感心しまし
た。日本って、そう言う意味では妙に情報過多ですよ
ね。素晴らしくもあり、つまらなくもあり、かな。
タイトルにつられて・・・って!
ゆかさまホントに食いしん坊!!(笑)