鉛筆





鉛筆、好きです。

使えば使うほど、短くなっていき、新品時代のすらりぴんっとしたスマートさから

少しずつ丈が短くなっていって、しまいには、チビっちゃくて愛らしくなり、

その時々の風情や持ち心地に変化があるのが楽しいし、

いろんな線が書けるし、安いし、好きです。

「 鉛筆一本と紙があれば、世界を変えられる 」

と言われたら、本当にそうだな、と思う。

高度にシステム化された近代的な工場で生産されているのでしょうが、

鉛筆って、まだなんだか手が届きそうな、近しい感じのする工業品だ。

お尻に消しゴムがついているタイプの鉛筆がさらに好もしいんだけれど、

そのちっちゃな消しゴムの在りようや、それを本体とジョイントさせている金物の、

アールデコなエンボス模様とか、プチっと窪ませているエクボみたいな点の

かわいさったらありません。

第一、今時にしてこの鉛筆と消しゴムの接続の仕方って、何ともいいなあ。

昔ながらで、これ以上でもこれ以下もなくて、手作りでは絶対にだせない味。

安い大量生産品にしかだせない、物凄い魅力です。

芯の先っちょから本体に至る円錐の広がり、そこから続く真っ直ぐに伸びる軸本体、

そして、金具と消しゴムまで。

なんと美しく、正直でありましょうか。

芯が丸くなってきたら、きこきこと小さな鉛筆削り器で削って尖らせます。

( この、小さな鉛筆削り器、という道具の魅力も、もうもう、たまらないのですが、

今回はやめときます。 ) 

しゅるしゅるしゅるっとレースのような、フリルのような削りカスが現れる瞬間、

鉛筆は木で出来ていたんだった、と気づきます。

ああ、木の匂い。

そうそう。 鉛筆って、木で作られているから、こんなに好き、と思うんですね。




















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甘酒





この冬、好きなものが一つ増えました。

甘酒です。

おいしい酒粕が手に入り、それがきっかけで、まあ、甘酒でも作ってみますか、と。

そうはいっても、甘酒ってどうやって作るのかよくは知らないので、

本をみながら、きっちりと量り、板酒粕をちぎって水とあわせてこねこねしたり、

鍋でぐるぐるしたり、ことことしたり。

そうして、ふわりと、まったりと、熱々の甘酒が出来上がり。

お碗に注いで、両手でもって、ふーふーしながらすする甘酒のうまいこと、うまいこと。

体がほかほかしてくるし、酒粕のふくよかな香りでなんだかほろ酔い?

まだ実家にいた頃は、毎年大晦日は弟と2人で除夜の鐘を撞きに行ってました。

まずは、橋を渡ってすぐの頓宮 ( 北海道神宮の ) さんにお参りに行き、そして

その並びにあるお寺の鐘を撞きに行くわけですが、

当時、頓宮さんでは、参拝客に甘酒を振舞ってました。

紙コップに注がれたその甘酒でしたが、

なんとなく甘すぎるような、コップに付いちゃった甘酒で指がべとべとするような、で、

あまり好きだった記憶がありません。

それでも、しんしんと冷え込む深夜に外に出ているという非日常感と、

あと数分で新年!というおめでたさで、

この毎年の大晦日甘酒は、うれしいものだったなあ。

実家をでてからというもの、甘酒を改めて作ったり飲んだりしたことが何故かなく、

今年の再会は、懐かしさと、そのおいしさへの驚きで、

私にとっては、ちょっとした ” 事件 ” ともいえるくらいでした。

しばらくは、甘酒ブーム、続きそうですよ。





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愛を読むひと / The Reader






感想文がとても難しい映画。 私にとって、ですが。

蠍座で観てからもう随分経ちます。その間、あれこれ考え、感想をまとめようとしてはいた

のですが、うーむ。なかなか。


原作の 『 朗読者 』 を、刊行の2000年に読んでいたました。

当時の私は、「 ふうーん・・・・・。 」 程度しか反応できず、どちらかというと、

無感動に近い、あまり良く思えなかった1冊だったのです。

なんだかよく解らなかった、ということなんですね、当時の私には。

10年を経て、このたび映画化されたものを観たわけですが、

映画版のあまりの素晴らしさに驚き、これは原作をもう1度読まなくてはなるまい、という

ことで、( メトロ文庫から借りて、なんだけど ) ( ていうか、そう思った時ちょうど

メトロ文庫にあったので )再読。

今度は、じっくりとこの小説を味わうことができました。

と同時に、今回の映画化は、ほぼ原作通りで、

ハンナ役のケイト・ウィンスレット、少年時代のマイケル ( 原作では、ミヒャエル。ドイ

ツですから )役のデビッド・クロス ( 驚きのうまさ! )、大人になってからのマイケル

役のレイフ・ファインズ ( レイフの十八番的キャラクター ) が、原作のイメージそのも

のだったのだ、見事な演技だったのだ、ということも十分に解りました。

また、ハンナの住んでいたバーンホーフ通りと、そのアパートの造りや、部屋の感じなど、

映画によって、原作のイメージがくっきりと立ち上がってくるのです。

原作も、映画も、それぞれどちらかだけでも十分なのだけれど、両方揃うと、映像と文章が

補い合い始め、この物語全体のヨーロッパ的な色調、時代感、などがより深く味わえるよう

に思いました。

でも、そこからさらに具体的な感想を、となると、やっぱり唸ってしまう・・・。

この物語には、太い柱が3本、立っているんです。

その3本とは、 ① マイケルの人生 ② 第2次世界大戦でのドイツの罪について

③ 真の教養とはなにか  この3本でしょう。

完璧な物語の例に漏れず、この 『 愛を読むひと / 朗読者 』 も、全てのエピソードが

密接に影響しあいながら、3本のテーマに繋がり、養分を送り送られながらがっちりと

成り立っています、まるで人体のように。そして、まるで有機的なエネルギーを発している

かのごとく私たちの人間としての何かを刺激してきます。

私たちの人間としての何か・・・3つのテーマは、この ” 何か ”に、こう問うのです、

「 あなたは、どう思いますか? 」 と。


第2次世界大戦後のドイツ。

ブルーメン通りの、19世紀末に建てられたどっしりした一戸建ての3階にすんでいた

主人公マイケルは、15歳のときに偶然出会った、21歳年上のハンナと恋に落ちます。

マイケルを十分大人にしたその恋は、しかし、ハンナの突然の失踪によりあっけなく終わ

りを告げます。何故ハンナは突然マイケルの前から姿を消したのか?

その後、大学の法科に進んだマイケルは、意外な場所でハンナと再会します。

ナチス時代の強制収容所をめぐる裁判の法廷で。

ハンナは、収容所の看守の一人として、被告人席に、

マイケルは、法科のゼミの学生の一人として、傍聴席に。

審議が進むにつれ、その不器用なまでの頑固さが災いしてハンナは次第に追い込まれ、責任

を追求され、同罪の他の看守達の刑の軽減分を全て被せられてしまいます。

そして、マイケルは、全てを理解するのです。

何故、ハンナが愛し合う前に、儀式のように必ず、マイケルに様々な本を朗読させたのか。

何故、2人で出かけた自転車旅行の時、全ての手続きをマイケルに委ねたのか。

何故、突然いなくなってしまったのか・・・・・。

今やこの世で唯一人、ハンナの真実を知るマイケル。その真実をこの法廷で証明すれば、

ハンナの重い刑期は確実に見直されたのです。 でも、彼は、そうしなかった。

ハンナの秘密を守ったのです。 

刑務所何年か分と引き換えになるのを承知の上ででも頑なに隠し通し、無期懲役の刑を受け

ることを選んだハンナ本人のプライドを、理解したから。

大学院を終了し、結婚し、離婚し、その間に女の子を一人もうけ、法史学者となったマイケ

ルは、刑期8年目のハンナに朗読テープを送り始めます。

15歳だった、あの時のように。

『 オデュッセイア 』 から始まり、シュニッツラー、チェーホフ、ケラー、フォンターネ

ハイネやメーリケ、カフカ ・・・・・・・ 。

個人的なコメントを加えず、ただ物語を朗読し、録音したカセットテープを刑務所に

送り続けるマイケル。

ハンナのために、ハンナを思いながら、声にして読む数々の物語。

この先のストーリーは、書かないでおきます。 

これから観る人のために、読む人のために。


15歳という年齢で、母親ほども年上の一人の女性と出会い、恋人関係を体験した少年。

多くの場合は、いわゆる ” ひと夏の恋 ” の甘い苦い思い出として、通過儀礼だったと

いう処理に落ち着くところでしょうか。

しかし、マイケルにとってその出会いは、彼の人生を変えてしまう運命的な出会いでした。

ハンナ、ハンナ、ハンナ。

今や、マイケルの心の中にだけに生きる、あの夏のハンナ。


自分の愛したひとが、戦争犯罪者だったら、あなたなら、どう向き合いますか?

ハンナのような境遇を生み出した、永久に消える事のない罪を負う国に生まれたら、あなた

は、どう考え、どう生きますか?

そして、人生の真実を生きてゆくために、教養とは、どのように作用するのでしょうか?

明るく、普通に快活で、健康で、そして繊細な感受性と知性を十分に持ち合わせていた

一人の少年が、何によっても決して癒されることのない傷とともに、この3つの問いへの

答えを見つけようと悩み、苦しみ、そこから開放されることを願いながらも、

ただ一度の愛に寄り添い、生きてゆくことになる物語。

私には、この3つの問いかけが、あまりに重く、あまりに深く、これという答えを、何一つ

持ち合わせていないのです。

ただ、ただ、マイケルのハンナに対する愛を、どのような言葉で言い表す事ができるのか、

私の乏しいボキャブラリーの限界の壁にぶちあたって、

言語化できずに悶々と感動するのみ・・・・・。


どうぞ、ご覧になってください。 どうぞ、ご一読を。

いいえ、2度はお読みになって、是非。

どう思われますか?

感想をお聞かせくださいな。 いつか。
















































 


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毎日3分






毎日お弁当を食べ終えると、

築50年は経っているらしいこのビルの洗面所に行って、歯を磨きます。

やっぱり50歳くらいにはなっているであろうシミだらけの古い鏡を見ながら磨きます。

( この鏡の四つ角は、それは渋い色になっている真鍮のマイナスねじで留めてある。 )

鏡に映っているのは、あと3年経つと50歳になる、わたしのお顔。

シャカシャカと歯を磨き終えて、口元を拭って、口紅を引き直し、

ちょっとニッコリしてみる。


「 今日はこんな顔か。 」

「 も少し笑ってみる? 」

「 うーーーむ ・・・。 」

「 大丈夫? ダイジョウブ。 」

「 今日はどんな日かなあ。 」


古い鏡の中の、若くはないけど年寄りでもない自分の顔と、少しお話してやります。

そして、いつも息子にやってやるように、両手の平で両ほっぺを、パンッと軽く挟みます。

さあーー、今日も元気に、いってみよー!!!


毎日、3分。

気持ちがなかなかにスッキリします。






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上等の ・・・・・・






昨年末に、葡萄ジュースをいただきました。

正確には、手作りの、100%天然の葡萄シロップ。葡萄ジュースの元、です。

コップに、とくとくと濃い葡萄色 ( まさに!葡萄いろ ) のシロップ液を注ぎ、

水で薄める。くるくると混ぜて、ごくりと飲む。

うひゃ! おいしい!

なんとなーくくたびれたなあ、という時、冷蔵庫から取り出して、とろーりとコップに。

ごくりごくり。 ふるるん、ちょっと一息つーいたっ、と。

お風呂上りに、ちょっと冷たくして、飲みます。

ふうー、いい湯だった、いい気分であります。


ある夜、こしらえた葡萄ジュースを、テーブルに置いておいたところ、

ランプの光を通して、そのジュースは、まるでルビーのような、それはそれは澄み切った

赤い色を見せてくれて ・・・・ なんと美しい ・・・・・ と、しばし眺めたのでした。


丁寧に丁寧に、手をかけて作られたシロップだということが、こうして、静かに示される。

ガラスの大きなカラフェにたっぷりと注がれたこのシロップをいただいた時点で、それは

もう明らかで、いただくのだって今回が初めてなんかじゃなくて、もう、何度も、なのです

が、改めて、感動。 そして、感謝 ・・・・・ 。


今年は、我が家の小怪獣も加わって、みなで幸せに飲み干しました!

ありがとうございました。

真冬の上等葡萄ジュース、なんとも贅沢でありました。













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