金曜日それはパスキューアイランドのパンの日



明日の金曜日は、当店のカウンターにきつね色に焼けた丸いパンが

籠にこんもりと登場する 「 パスキューアイランドのパンの日 」 です。

滋養タップリのグラハム粉が60%の、手ごねの丸いプチパン。

カフェオレやポタージュスープと一緒にいかかでしょうか。

1個150円です。
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金曜日はパンの日・・・明日っ?



街路樹や公園の木々、お庭の樹木が、そして遙かに見える西の山々の紅葉が素晴らしい

札幌です。このところ、お天気も穏やかで、気持ちが落ち着きますね。

ガリゴリと珈琲豆を挽いて、お湯を沸かし、ゆっくりと珈琲を落とす作業を、窓の外の

秋の風景を眺めながらの贅沢時間・・・と感じ入るのも秋ならでは。

ドリッパーからマグに落ちていく珈琲の、ふわりと拡がるそのアロマ、素晴らしい!

そうそう、秋から冬って、香りのいい季節だと思います。

ひんやりとしていて、乾燥した空気だからでしょうか? 

スープのお鍋の湯気の、野菜とお肉と香草の香り。

枯葉の匂い。

珈琲の香り。もちろん紅茶や日本茶の澄んだ香り。

雑踏の街中の煙のような秋の匂い。

ウールニットやマフラーの匂い。

e.t.c. e.t.c.・・・・・


うーむ、秋もいいですね。

きつね色に焼けたグラハム粉のプチパンの香りもありますよ。

明日の金曜日は、パスキューアイランドのパンの日です。

かりっとした皮に、ザクザクむっちりの中身。手でこねて、丸めたちょっと不揃いの形。

スープ、ワインのお伴はもちろん大得意のパンですが、

スライスして焦げ目しっかりのトーストにして、バターを乗せてパクリとやるのが

秋には特にオススメです。

得も言われぬ美味しい香りが漂うのです。














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ジャズライブのご案内



空きの深まりは、寒さに比例します。

比例定数aは不明なのですが ( 息子と一緒に中一数学に頭を悩ます今日この頃 )。

秋の深まりと比例する寒さですが、今年はもう早ストーブの点火ボタンを押して

しまいました ( もしかして、” 比例とはいえない ” になるのでしょうか??)。

みなさま、風邪などひいていらっしゃらないでしょうか?

我慢は禁物、寒かったらストーブを点けるべし、ですぞ。


そんな中、2019年の最後のジャズライブが来月あります。

今回は、ご案内も早めに。




冬の初めのジャズライブのご案内



日時 :   2019年11月11日 ( 月 )

       開場  7:30pm

       開場  8:00pm

参加費    1000円 ( ワイン・リンゴジュース または温かいお茶つき )


       テナーサックス  大関 智也
       ベース      小林 浩樹

       ( 約一時間弱の演奏時間です )


場所     札幌市中央区大通西17丁目太田ビル1階
       パスキューアイランド tel/011-215-9331 (12:00~19:00)

       ( 当店です )




あ~いつもチラッと気になっているライブなのよね~・・・という多くの(?)

みなさま、今年はこれで演奏じまいですもの、どうぞ一歩踏み出すご英断を!

さっそくカレンダーにぐりっと赤丸をつけてくださいね(笑)!

チケット予約などなし、気軽に生の演奏を聴いてください、というライブです。

演奏曲目は、王道のジャズのスタンダード曲。

そして、演奏はウッドベースとテナーサックスのデュオ演奏。

ごまかしのきかない音と音の対話と主張を、ごく近距離でお聴きいただけます。

いつもの日用品雑貨店で、ジャズの生演奏を聴く。

趣向ではないでしょうか。

みなさまのご参加を、心よりお待ちしております。
































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ガラスの城の約束  / The Glass Casthle



「 ホームレスの両親に育てられた女性の衝撃の半生を綴った全米ベストセラー

小説を映画化 」 チラシに載っていたこの一行に興味を引かれて夏の初め頃

観に行ってきた1本。

父親役のウッディ・ハレルソンと、母親役のナオミ・ワッツが、素晴らしい。

ウッディ・ハレルソンは、「 スリービルボード 」 で初めて認識した役者さん

でしたが、どうしようもないオヤジなんだけど、どうやっても憎めない・・・

というような役柄が実にうまい。ナオミ・ワッツの演技の幅の広さは知ってた

けれど、今回の、真摯だけれどずーっとずれていて、本人全く気付かない芸術家

もどきの愚母という、どちらかというと汚れ役?もできちゃうんですね~。

父親は、いつか家族のために ” ガラスの城 を建てるという夢を持つエンジニア、

母親は絵を描く自称アーティスト、4人の子どもがいて、幼い子ども達に夢を

語り、それっぽい活動をしてみせるもそれ以上の何かは続かない。

もともと低水準の暮らしぶりも、そのせいで段々と荒んでいき、ついには空き屋

に勝手に住んで電気水道を勝手に細工しての法律外の綱渡り生活にまで落ちぶれ果てる。

世の中というものを知る前の子ども時代は、家族全員が一つにまとまり、父親は一家の

力強い船長であり、夢の具現者・ヒーローでした。子どもにとっては、家が全世界だから。

この映画は、子ども時代を終えて一人の人間として世界に出て行く、その出て行き方

の無数にあるパターンのうちの一つを描いています。

主人公 = 原作者のジャネットは、「 ニューヨーク・マガジン 」 で活躍する人気

コラムニストになり、株式ディーラーの恋人とセレブな生活をしているのですが、

観ている私達は、彼女がどれほどの意志と根性と努力を積んで、持って生まれた知性

を武器に階級社会を生き抜いてきたかと感嘆しつつ、彼女の人生観の基礎を育てた反面

教師の両親 ( 特に父親 ) の粗っぽくて世間的には正しくないけど ” 人並み ” で

あろうとは一度もしなかった、そして子ども達にも全くそれを求めなかった生き方

と、お互いと子ども達への愛情は、どうあっても真実であっただろうと驚嘆もします。

この一家は果たして幸せだったか?

私には、間違いなくYES! とても幸せだったでしょう、と思えますが、どうでしょう。























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クラバート / KRABAT



「 身ひとつ 」。

この究極のシンプルな状態・状況において、生きていく意味や価値をクラバートと一体に

なって味わうことのできる見事な物語は、なのでファンタジーでありながら哲学的。

14歳だったクラバートは、親もなく、家もなく、お金もなく、門付けをしながら

田舎屋をまわっては食事や宿を恵んでもらって生きている浮浪児です。

持ち物は、自分自身だけ。

物語の時代は、18世紀初め頃。舞台は、ドイツ東部からポーランドの西南端にかけて

のラウジッツ地方。昔々であり、森深いドイツの東方の、少数のスラブ系の民族が住ん

でいる自然とともにある辺境であり、クラバートのような子供はあたりまえにいたのだろう

と思えます。だから、クラバートは自由の身なのです。

自由!なんと素晴らしい、本来の自然な在り方でしょうか。

自由なクラバートの魂は、クラバートにいろいろな体験をさせます。

いろいろな体験を味わってみたいから。

物語の始め、彼はまだ何も知らないのです。苦しみも、悲しみも、怒りも。

喜びも、安堵も、そして恋することも、愛することも。

新年の夜、泊めてもらったペータースハイン村の鍛冶屋の納屋の二階の干し草置き場で

すごし、奇妙な夢を繰り返しみるのです。

そして、その夢の中のクラバートを呼ぶしわがれた声に従う決心をして、コーゼル湿地の

シュヴァルツコルムの水車場にむかい、

「 雪のなかに黒ぐろと、おどすようにうずくまっていて、さながら、獲物を待ちせて

いる、巨大な、おそろしいけだもののよう 」 な水車場で、暗黒の魔法使いの親方に

囚われ、11人の先輩職人たちとともに過酷な製粉仕事の囚役に従わされる見返りに

魔法を習うことを許されるのでした。

修行を続けていくうちに、シュヴァルツコルムの水車場の暗黒魔術と親方の強大な

力の絡繰りが判明してゆくサスペンス、そして友情と愛、新しい人生への望みを賭けた

ラストシーンへの最終章のスリル! この手に汗握る読み応えは作者プロイスラーの

作品に共通しています。

有名な 『 おおどろぼうホッツェンプロッツ 』 の三部作、『 小さい魔女 』、

『 小さいおばけ 』 など読者の子どもをハラハラドキドキさせずにはおかない仕掛

けがそれは巧みに仕込まれていましたっけ。

子どもの頃、カスパールとゼッペルとペトロジリウスツァッケルマンとアマリリスの

魔法の秘密、鍵、脱出と破滅のクライマックスに心臓を早打ちさせながら没頭して

読んだあの時間が、ずいぶんと大人になっている今、再びなのです。


徐々に魔法の修行で頭角を現してゆくクラバートは、得た魔法の術を使って、自分の体

から意識として抜け出して自由に飛び回れるようになります。しかし、自分から抜け出

すことが出来るのは、日が暮れてから、翌朝の夜明け前まで。もし少しでも帰ってくる

のが遅くなると、肉体は死んだものとして埋葬され、抜け出した意識は、自分を他人に

気付かせるいかなる方法もなく永遠にさまようことになってしまいます。

一年前の復活祭前夜の真夜中に、いたるところでいっせいに鳴り拡がる教会の鐘の音が

遙か遠くから流れてきて、それと同時に聞こえた一人の少女の澄んだ美しい歌声。

村の通りを賛美歌を歌いながらまわって歩く少女達の一団の、ソロをとるその先頭の

少女のことがどうしても忘れることができないクラバートは、去年と同じように、また

復活祭の鐘の音が響いてきて、少女の歌声がおこった時、その少女の顔を一目見るため

に呪文を唱え、危険をかえりみずに意識となって会いに行くくだりは、素朴で瑞々しく

て、” 恋 ” というものの本質を描くなんとも素敵な章なのです。


湿地帯、木造の水車場、ひきうす、穀物、製粉機、粉ぶくろ、キーキー、カタンカタン、

ドスンドスンと臼が動く音、枯れ枝、干し草、深い森の季節の移ろい・・・・・

たっぷりと綴られる、昔々のドイツの辺境地方の田舎の匂いと音とテクスチャーは、

この古い伝説が下地となっている物語の味わいを決定づけ、

そして、その世界の頭上あたりには、常に死の運命が漂い、暗い影を奏でます。


秋の夜長、とてもおすすめ。じっくりと味わってください。










































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