CHARLIE HADEN HANK JONES / STEAL AWAY

チャーリー・ヘイデン といえば 反体制派、のベーシスト。

ハンク・ジョーンズは 1918年生まれ ( ! ) の ピアニスト。

JAZZ界ではおよそ交わらないであろうはずの2人のデュオなのです。

しかも、演目はJAZZではありません。

" SPIRITUALS, HYMNS, FOLK SONGS " と サブタイトルにあります。

そう、黒人霊歌とフォークソングを 2人が 静かに演奏しているのです。



なんて 心地よいのでしょう。

なんて 懐かしいのでしょう。

そして なんて豊かで 美しく 心に沁みるのでしょう ・・・・・。



時には 1人で ゆっくりと このCDに心を占領されて 過ごしたい。

深い深い充足感。

欲しかったのは こんな時間、こんな心の震え、

そう感じる日に。



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麦の穂をゆらす風


良い映画でした。

ケン・ローチ 『 麦の穂をゆらす風 』 。

5月の第3週の月曜日、夕方、蠍座で観てきました。



物語は 現在まで続くアイルランドの内戦の歴史の発端を描いています。

元々は 英国の圧政に断固として抵抗し、アイルランドを独立した一国家として成立させ

独自の政治を行い、独自の文化で暮らすために立ち上がった若者達だったのに。

そのIRAと呼ばれる組織がいかに結成され、どのように二分化し、そして殺しあうこと

になっていったか・・・・・。

ケン・ローチは この悲しい、絶望的とさえいえる戦を、アイルランドの歴史を通して

今も全世界で絶えることのない ” 内戦 ” というもののむなしさとして提示します。

” 愛するものを

奪われる悲劇を、

なぜ人は

繰り返すのだろう。 ”

映画のチラシにこうありますが、 本当に、そう思う。 何故?

でも 答えがない。 この映画を観終わって、いくら考えても、わからない。

ただ、暴力に暴力で対抗するってことの先にはなんにも生まれないんじゃあないか?

それだけはわかった。 

でも・・・・・。

生まれたときから暴力とは無縁の中で育ってきた自分には 暴力シーンに恐怖するだけで

自分の中にある暴力性には気付けない。 

戦争がない時代に生まれた自分には 自国が奪われ、自国語がつかえず、誇りをいやと

いうほど これでもかっていうほどつぶされるということがどういうことかわからない。

愛する人々 夫、恋人、子供、親兄弟、友達が殺されてしまう痛みは 想像できる。

そんな感じ・・・・・でした・・・・・。




以上が 観終わっての感想の二分の一。

あとの二分の一は、この作品の 映像の美しさについての感動です。




舞台は1920年のアイルランドですが、その風景描写がすばらしい。

荒々しい海岸、 岩と石、 ごわごわとした野原、 暗く重たい空、吹き抜ける風。

アイルランドの気候風土の厳しさがこの物語の基調低音となり心を揺さぶります。

そして男の装いがなんといっても良かった!!

男達はみんな同じ格好、シャツとパンツとチョッキとジャケツ、帽子、以上。

この時代の男はそれ以外の装いを持たなかったのですねえ。

みんな貧しい農夫や労働者です。 ですが、ゆえに ” シャツ ” とはどういうものなの

かがよーくわかります。 シャツというものはどう着るものなのかが。

シャツ好きとしましては、もううっとり!! フリースとかジャージとかナイロンとか

そういう素材がまだこの世に存在しない時代の男達の服の、身の丈にあった質素さは

本当に美しい、と思いをあらたにいたしました。

色合いもねえ、地味でねえ。  いいんだなあ。

シャツは たいていはファーマーズカラーで、無地とか細いストライプで、

たいていは ボタンはみんな留めていて、その上にチョッキだ。 その上にジャケツを。

ズボン、チョッキ、ジャケツは全部揃いだったり、ジャケツだけ違ったり、全部違ったり

していましたが、そのすべてが着ている男達に馴染み尽しているの!

ココ大事、です。 衣服がその人の体の一部にまでなっているかのように馴染み切っている

状態、美しい、あまりの美しさに ただ、ただ、ため息~、でした。

彼らは 単に それが仕事着であり、貧しいから他にもっていなかった、そういうこと

だとと思うけれど。 

そして、全編とおして曇り空でして、晴れ間はほんのちょっぴりあったかなあ。

そのため、自然も家も人々も 柔らかい光のなかで映されているのです。

家の中も ランプの光のみ。 暗い、でも 美しい。 

そうです、写真も映画も 色がもっとも美しく出るのは、曇っているときなのですねえ。

物語のテーマと アイルランドの風土と 貧しい人々のつつましい暮らしが 

この上なく美しく映像化されていて、ケン・ローチ、凄い、と、今回は拍手しました。



この時代は 世界中どの国も オリジナル文化のみで生活できていたから どの国の

人々の暮らしもそれは美しく、公害汚染もまだまだ先なので、自然もすばらしかったの

ですね。 今と比べて、不便かもしれないけれど。 



すばらしい1本でした。

見逃さなくて、よかった。




















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リラの花の咲く頃

朝の天気予報で 「 今日の最高気温、札幌は20度、 」 の予報どうり暖かな水曜日。



このところ暖かくって、お天気もよろしく、ちょっと外に出かけたくなりますねえ。

歩いているだけで気持ちよく、気分よく。



桜が咲き終わり、こぶしが咲き終わり、いよいよ札幌の花、ライラックの出番です。

ライラック Lilac、 フランス語では リラ Lilas、 モクセイ科の落葉低木。

どうりでよい香りのはずです。 金木犀のファミリーですものねえ。



去年、花屋さんに 細い枝にあっさりとうす紫の花をつけたライラックがありました。

花屋さんでライラックをみたのは 私は初めてで、庭に咲いているこんもりとした

ライラックとはちょっと違って とてもすんなりとした姿なのでした。

ちょっと予算オーバーでしたが 思わず衝動買いしてしまい、さっそく活けて。

細ーい枝、その先にたわんで咲きつつある小さな花の集団。

結構活けにくかったなあ。

結局、白い磁器製の 木べらとか かき混ぜ器なんかを立てておく ” 道具立て ” に

入れて、うちで1番涼しい 玄関の窓辺に飾ったのでした。

大通公園の もりもり わしわしと咲き誇るライラックと比べて、すーっとした枝が

スタイリッシュで うーん、いい感じ!

ですが、、、、、。

お店の方がおっしゃっていたとうり、この花、水のあがりが悪くって、

1日もったけれど、次の日には 小さな花達は しゅんと縮んで おしまいでした。

紫陽花などもそうですが、小花が密集して咲く花って じっとみていると結構迫力が

あって ちょっと目をそらしてしまうことあり。

ライラックも 通勤途中の家々のお庭、生垣で、 そして 大通公園で、 散歩しながら

香りとともに楽しませてもらうのがいいみたい。



それにしましても!

ああ、我が街サッポロの 1年で1番気持ちの良い 美しいシーズンが始まります。

ライラックが咲き、北海道神宮祭があって、そして初夏へと。




当店オリジナルの ライラックのポストカードが店頭に並びましたよ。 

季節のお便りに、ぜひ。

” お散歩がてら ” 選びにいらしてください。 



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ちっち

彼女は 私のことを 「 まーちゃん 」 と呼びます。

私は 彼女のことを 「ちっち 」 と呼びます。

友達の数は 決して多くはない、というより 少ないほうの私ですが、

ちっちはそんな 少ないお友達のなかの 1番年下の友達。

とても 大事な ・・・・・。


この ゴールデンウィークにも会いました。


ちっちと遊んでいると、夢中になってしまいます。

彼女は とても 創造的で 私は とても刺激をうける。

大抵は 2人で 絵を描く、まず。

最近あった出来事を なんとなーく話しながら。

「 この間ねえ、宇宙のなかにいる絵をかいたんだあ。 」

「 へえー。 宇宙かあ。 」

「 みんな、宇宙の中に立ってるんだね。 」

「 うん。 みんな、そうだよね。 」

なんていう、何気ない 楽しい話をしながら、クレヨンや水彩ペンで白い紙に向かう。

彼女の無心の線の良さは 感動だ。 くやしい。

惜しげない その 紙使い、クレヨン使いも、いつもすばらしい。


あるときは 2人で アイスクリームを一緒に食べます。

いつも決まって ハーゲンダッツのストロベリー味。

なかよく1つのカップを 2人で交互にスプーンですくって、最後の一さじは

彼女にゆずるのです。 「 ちっち、どうぞ。 」 って。

「 うん。 」 といって、きれいに空にして おしまい。


あるときは、ピアノを弾きながら歌をうたいます。

あるときは、川べりを散歩します。

あるときは、食事 ・・・・・ 。



今回は、色紙をつかって 切り紙飾りをつくりました。

懐かしい切り紙飾り! いろんな色紙で ハサミを駆使して、

大きいの、小さいの、たくさんできた。

紙を4つ~6つに折って、ハサミで切り抜きをたくさんして、そろーっとひろげると、

ウワーオッ!! すてきなお花やレースっぽい透かし模様ができあがり!!

今日の写真の作品は ちっちが私にプレゼントしてくれたもの。

手紙の封筒の封をする時に 色合わせして貼り付けたり、小さな額にいれて飾ったり。


快晴の午前中には プラスティック製のたらいに水を張って、

庭の花々を散らしてみせてくれました。

それは、あれこれ考えずに、ぱっぱっぱーっとちぎっては投げ入れ、そしてまた入れ、

という大胆なもの。 ちっちは真剣 かつ 自由で 楽しげ。 

その たらいの様子が、あきれるほど、はっとするほど、美しいのです。

光 と 水 と プラスティックの白 と 浮いているちいさな数種の花びら達。

ただ それだけで、ただ遊びだからかなあ。

私には できないなあ。



ちっち。

再会した時には きまって この上ない笑顔で迎えてくれる、素敵な女の子。

6匹の犬のぬいぐるみ達と、生まれたばかりの妹のお世話で忙しい、

4歳と8ヶ月の、 私の姪っ子。

また 遊ぼうね。



( 写真の右はじのものは ” おくるみされている いとこのチカラくん ” だそうで、

 笑い顔のチカちゃんは 割り箸のふくろ製 です。 )

  



 









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ROCKY THE FINAL

4ヶ月ぶりに映画を観ました!

感激です。

映画館、わくわく、うきうき。

チケットを買って、上映時間までぶらぶらしながら、外のベンチでコーヒー飲んだり。

場内の席に着いて、予告編を何本も観せられたり。



今回観たのは、『 ROCKY THE FINAL 』 。

『 ROCKY 』 を観たのは25年前くらいで、今はなきミニシアター JABB70HALL の

特別上映で、場所はこれまた今はなき 大谷会館の大ホールにて。

その後 ロッキーがシリーズ化されていて、

なんとⅡ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ まで作られていたとは知りませんでした。 

なのになぜ いきなり ” シリーズこれでお終い、 ” を観たかというと、

夫が観たいと希望したからです。彼にとっては思い入れあるロッキーだったのでしょう。

私は、もう映画であれば何でも良かったので、久々ロッキーにも会ってきたわけです。



25年ぶりに再会したロッキーは、当たりまえだが歳をとっていた。

そして、いつのまにか ものすごく重くて太くて厚みの凄い人になっていました。

最初に会ったときは、ちょっと頭の足りないチンピラロッキーで、

まだまだ普通の体つきで、まあ どこにでもいそうなイタリアンアメリカンの若者で。

彼はまだ何も持っていなかった。

お金も地位も 自分自身すらも。

エイドリアンと出会って、初めて彼は人生に挑戦するのです。

エイドリアンに自分を信じてもらうために。

そこまで思い出したら、もう、わたしの頭の中には、あの ” ロッキーのテーマ ” が

鳴り響き始め、一気に当時のふるえるような爽やかな感動が甦ってきました。

ああ、『 ROCKY 』 、なんて素晴らしい映画だったんだろう!!

最後の ” エイドリアーン!!! ” と叫ぶロッキーに涙が止まらなかったのだった。

そうしてロッキーはその後、なんと、2度もヘヴィー級チャンピオンになっていて、

ロシアにも渡って試合したりしていたようだ。

いろいろあったんだ。  ふーん。



さて、今回。 

再会した彼は、最愛のエイドリアンを病気で失っていた。

有名な父親に反発して、1人息子も家を出てしまっていた。

小さなイタリアンレストランのオーナーになっていた。 ( 店の名前はエイドリアン )

エイドリアンとの幸せな過去の思い出に生きていた。

そう、過去に生きるロッキー・バルモア。

映画はこうして始まりました。



最後のロッキーは、何にも持っていなかった若かりし最初のロッキーが、

エイドリアン、そしてなによりも自分自身のために闘って、

生まれて初めて手に入れたもの・・・” ネヴァー・ギブ・アップ ”の精神。

心の奥底に眠っていた闘いへの情熱、決してあきらめない、このロッキースピリット

を再び燃え立たせるという、最初のロッキーを甦らせたともいえるものでした。

いやー、良かったですよー、年とったけど、ロッキー。

熱いものがこみあげました。

” 人生というプレッシャーはそれはそれは苦しいもの。 その闘いに勝利するために

人は苦しさに耐えて、そして耐えて、進んでいくんだ。 自分を信じろ。 ”

そう、ロッキーは息子に語ります。

観てよかった。 

あの、生卵たくさんを一気飲みのシーンもやってくれたし。

近ごろなんだか毎日がつまらんなあ・・・・・とぼやきぎみの方はぜひ。

ヴィデオ、DVDをお持ちの方は、第1作もあわせて、も1度観るのも楽しいと思います。







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アンビリーバボー!!

今日、更新予定で書き進んでいた原稿は、90%できたところで私のキーボードの

ミスタッチで、一瞬にして消えてしまいました。 ああっ!!

あまりにがっくりしたのと、もう時間が足りなくなっちゃったのとで、

来週、再びやりなおします。 まったくもって、ショックです。

今日はぼやきにて、失礼します。
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