コーヒー : ミルク



実家はコーヒー党の家でした。

父は、コーヒーには砂糖は入れずにミルクを少し。

母は、コーヒーには絶対に砂糖をスプーンに二つでミルクは無し。

弟は、どうだったかなあ、その時々の気分に合わせて、かな。

私は、砂糖もミルクも入れない、ストレート派。

当時は、ややカッコつけて無糖無乳のブラックコーヒーで通していた私は、

甘くてミルキーなコーヒーの味わいを解ろうという気は毛頭ありませんでした。

さて、今現在。

カフェオレの魅力を知っているし、

さらに甘ーいコーヒーもなかなか、とすら感じています。

カフェオレは、主にお店で飲むことがほとんどです。自分で作ると、どうも

美味しくないのです。ミルクの濃度なのか、コーヒーの濃さとか豆の種類なのか、

イマイチの出来ばかりでイヤになってしまったのですね。

コーヒー店でのカフェオレ、実にいい感じなのですが、たったひとつ、ミルクが

多いんだなあ・・・もう少しコーヒーがち、苦めがいいんです。

次に注文するときには、必ず 「 ミルク少なめで 」 とお願いしようと思っている

のに、つい忘れてしまいます。でも、少なめって、一体どのくらい?

うーん、お店のカフェオレは、コーヒーとミルクは半分半分、と聞いたんですけど、

だとすると、コーヒー6.5で ミルク3.5 だな。

7:3 ではコーヒー多すぎ、6:4だとミルクがちょっと多いのねえ。

でも、オーダーを取りに来た方に、「 コーヒーとミルクを 6.5:3.5 で 」

などと言えるだろうか? いやいや無理です、そんな面倒なお客にはなりとうないし。

やっぱり、理想のカフェオレは、自宅で作るしかないのかなあ。

カフェオレに適している牛乳、オススメがあったら教えて欲しい。

小さなパックでも買えると更にうれしい ( 普段は牛乳は全く飲まず )。






『 マーガレットマグカップ 』
280cc / 1400yen
図案化された花のレリーフが、素朴で少し甘やかで、マーガレットの花の持ち味そのもの。
乙女な友達に贈りましょうか。
毎日のコーヒーを楽しむときに、ほんのり女性らしく穏やかになりますね。







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うんがにおちたうし



3年越しです、このほのぼのとユーモラスな絵本をご紹介できるのは。

春になったらきっとブログに書きたい、と思い続けて3年目。

どうしてそんなにかかったかは、うーん、どうしてかしら・・・?

たぶん、このお話しのおちゃめさと和み、楽しさをどうまとめたらよいか

考えているうちに、毎年あっという間に春が過ぎてしまったからでしょう。


1950年代のオランダの田舎で草を食べて暮らす雌牛のヘンドリカの

( 牛としてはかなりの! ) 大冒険と、それに伴って彼女が引き起こす騒動を

描いているお話しです。

第二次世界大戦後の惨状からの復興やら、東西冷戦やら、宇宙事業やら、

政治ダークサイドの不穏な活動はありつつも、

オランダに限らず、世界はまだまだオーガニックで、アナログで、リアルな、

のんびりしたものだったのです。

インターネットはもちろん、電話すら行き渡ってはいませんでしたので、

現代のように、各家庭に無制限に ” 外側 ” の情報が流れ込むことはなくて、

人々は、世界各地で起きている様々な事態や、情報に驚いたり怯えたりすること

も少なくて、目の行き届く自分達の暮らしまわりの出来事を十分に味わい、慈しみ、

生きていたのでした。

この愛おしい絵本は、初刊行されてから60年経った21世紀の現代では、

もう失われてしまっているかもしれないな、とつい考えてしまうような、そういう

世の中の在り方が、子供に向けて、平明で優しいひらがなとカナカナで、

のびのびとに描かれているのです。

最近はやりの 「 世界観 」 などという、解るような、つまりどういうこと??と

突っ込みたくなるような言葉が一般には存在しなかった時代の、

誰もが心から微笑むことの出来る楽しさと可愛さに満ちているお話しなのです。

”ヨーロッパ中のヨーロッパ ” と、その歴史と美しさから

こう呼ばれるオランダの、まずは、田園ののどかな風景と、そこに代々暮らしを営む人々の

風俗と日用品、流儀、高い建物が一軒も見当たらない大きな青い空と、延々と流れる

運河と、大きな水車と木造家屋を、当時オリジナルのまま眺め入ることができます。

なぜなら、挿絵は、ピーター・スピアーがスケッチした当時のオランダの風景だからです。

過不足無く満ち足りている表情の、オランダの酪農地の人々。

ニワトリが放し飼いにされ、運河には水鳥の親子、空にはカモメです。



私達は、ヘンドリカに連れられて彼女と一緒に、田園風景から次には、

オランダの街中の風景や風俗を楽しみます。




  ヘンドリカは ショーウィンドウを のぞきました。


  それから、どこかの 家の 中庭に とびこみました。


  自転車の においを かいで みました。


  なんて めずらしい ものばかりなのでしょう!




そして、街なか探索を経て、広場に行き着いたヘンドリカ。

物語のクライマックスは、その広場での活気に溢れたチーズマーケットの

見事な描写です。

真っ白いシャツとズボンに  「 ひらひらする リボンの ついた、いろとりどりの 

むぎわらぼうしをかぶって 」  いる男達が、山のように積まれた丸いチーズを運び、

商っている様子の何とも粋なこと。

そして、チーズを売りにそのマーケットに来ていたヘンドリカの飼い主のホフストラ

おじさんの、ここでヘンドリカと出くわすという、あり得ない事態に、

思わず口をついて出たセリフの素敵なことといったら!


ヘンドリカの心の中のセリフの、牛らしい、程の良い稚拙さは実におかしくて、

この感じは・・・そうです!!

機関車トーマスの原作本・ポプラ社刊 ウィルバート・オードリー作 『 汽車のえほん 』 の

中の機関車たちのセリフの感じです!

ゴードン、ヘンリー、ジェームス、トビーにエドワード、そしてトーマス・・・彼らの

” 機関車なりの ”( そして、幼い読者の理解に合わせた ) セリフ展開に通じるんです、

ていうか繋がってます。 

それは、この二つの物語の著者が、小さい人と、小さい人達が愛して止まない動物たち、

愛して止まない本来は無機質なモノ達に対する観察と空想力が、いかに細やかで本物だった

かが表れる部分であり、また、それは裏を返すと、自分が ” 大人の立場 ” でお話しに接し

味わっていると判明する部分でもあるのです。


息子が保育園時代に、何度も何度も読んでやったこの絵本、先日とても久しぶりに二人で

読みましたが、 「 なつかし~ 」 と言いつつも、まだ大丈夫、正式な対象読者の範疇に

存在している様子で、熱心に聴き入っておりました。

ぜひ、小さな読者さんに、読んであげてください。























































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一人称



保育園時代の2歳半から6歳までは、

自分のこと 「 ちからね~ 」 って言ってた。

小学校に入って、夏休み前には、一瞬の 「 ぼくね~ 」 を経て

「 オレね~ 」 になっていた。

私達の時代には、女の子が自分のことを 「 ウチ 」 というのは無くて、

大抵が 「 わたし 」 だったよね。

男子はまあ、 「 ぼく 」 か 「 おれ 」だった。

でも、現代の小学生男子の 「 おれ 」 は、イントネーションがヘン。

「 お 」 のアクセント強くて 「 れ 」 が弱いの!!

( わかります?? )

そんな 「 おれ 」 時期は4年生いっぱい続き、さて、この春から5年生に

なったチカラ君は、気付いたら自分のことを言うときは

「 オイラね~ 」 になっていました。

おいらって ...。

おいらの次はなーにかなあ。

「 あっし 」 とか、「 わし 」 とか?

楽しみだなあ。

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お弁当



お休み日の月曜日以外は、毎日お弁当を作っています。

毎日、お昼ごはんはお弁当です。

お弁当。おべんとう。オベントウ。

お弁当、と聞いただけでほんわかと温かい気持ちになります。

お弁当は、地に足の着いた暮らし向きを想像させます。

実際に、そうなのですよ。

朝、ごはんを炊いて、出来るだけ短時間でおかずを作って、

食感・色合い・味・季節感、などなどのいろんな組み合わせを考えて

自分や家族のために、その時の精一杯でおいしく作るわけですから。

サッサと手際よく限られた時間内に作り終えるためには、常備のおかず

やふりかけなどのコンディメント類も必須、日頃からの用意も怠れません。


今思うと、母のお弁当は実においしかったなあ。

こっくりしたメインのおかずとあと2品ほどが彩りよく詰まってた。

母は専業主婦でしたので、自分用のお弁当は一度も作ったことなかったはず。

家族のためにせっせと美味しく作ってくれていたわけで、私が今作っている

働き手の自分とその家族 ( 我が家の場合は、夫。たまに息子 ) 用に

つくるお弁当と比べると、なんとなく余裕のあるものでした。

照り照りと輝く甘い卵焼き、下ごしらえの出来ている肉や魚のおかず、

必ず緑のサラダ菜などが敷かれ、アルミカップが仕切りに使われていて・・・。

塩ゆでしたひよこ豆がそのまんま、とか、野菜炒めがドカンと中央に

山盛り入っている、とか、ポテトサラダがスポンジ役で隣り合わせに

少々汁気がある夕べの煮物は入っている、とか、かなりおおざっぱで生活感

ありありな私のお弁当を、もしも今、母が見たならば、ふふふ、なんと言うでしょうか。


そんな、日々のお弁当、もう10年以上作っては食べて、箱を洗って、を続けると、

気付いたら今は全然苦痛でも大変でもなく、それどころか、朝のお弁当作りに

自己表現を追求しはじめ、お弁当本をチェックしたりして、詰め方、彩りの

研究 ( もちろん、第一番目は ” おいしい ” を追求、なんだけど ) に

勤しむようになってきて、 大のお弁当派になっておりました。


朝、出来上がったお弁当を、ハンカチでキュッと包みあげ、テーブルに置くと

はぁ。まずは一段落、という気分です。

そして、コーヒーをごくり、さて次いってみよー!!

大車輪の出勤前、あれこれやり終えるとおなかも空いて、お昼時にはちゃーんと

自作お弁当をおいしくいただけるというわけです。








オリジナル大判ハンカチ
50x50cm cotton100% 500yen











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マリアンヌ / ALLIED




2月の10日の封切り後すぐに、ユナイテッドシネマ ( だったかな? ) にて

観ました。ロバート・ゼメキス監督、ということで。



悲しい限りの物語なのでした。

こういう映画を観るにたびに、” 戦争 ” の恐ろしさをつくづくと感じます。

反戦映画では全くないのです。戦争時代が舞台設定のメロドラマです。

美男美女が、戦時中に出会い、一瞬で恋に落ち、

困難を乗り越えて幸せになろうとするも、戦争が出会わせた二人は、

戦争でなければ出会うこともなかった二人は、結局戦争によって引き裂かれる・・・・。

ああ、こんな時代でなかったならば、とてもとても幸せになれたはず。

ああ、たとえこんな時代の最中であったとしても、なんとか逃げ切れたのでは

なかろうか。もうちょっとだった。

あとほんの少しで、本当に、あと少しで、扉が閉まる直前に通り抜けられたはず。

でも、だめだった。

ああ。ああ。ああーーっ。

ゼメキスさんの超一流メロドラマにとっぷり酔わされました。



二人は、イギリスとフランスのトップクラスのスパイなのでした。


舞台は、第2次世界大戦中のカサブランカ、そしてイギリス。

オープニングの、延々と広がる砂漠にパラシュートで降り立つ一人の男が、あっという間に

身支度をし、車に乗り込み、ミッションを遂行するまでのシークエンスの圧倒的なスケール。


情報戦の牙城であった当時のカサブランカの、東と西が分離しながらかき回されている

状況が、懐古的でロマンティックな異国風情を濃厚に醸し出す市街地の建物や、行き交う人々

の活気や風俗により、含みたっぷりにサスペンスフルかつスピーディに展開していくスリル。


マックス ( ブラッド・ピット ) と マリアンヌ ( マリオン・コティヤール ) の

美男美女ぶりは、現代から振り返るとまだまだロマンティックであった1950年代の、

クラシックでスタイリッシュな衣装の数々によって更に輝き・・・まさにスター!


結婚した二人がイギリスに移り、生まれた赤ちゃんとともに家庭を築いてゆく日常生活描写

では、打って変わって英国スタイルの落ち着きとツイードのナチュラルカラーを。



このように物語は、とても細いけれどとても強靱な一本の紐に中心を貫かれ、微かに、しかし

確実に揺れ幅を増大させて破滅のエネルギーを溜め込みながら進みます。

不気味に揺さぶられながら終盤へとむかい、最後の最後。

ブラピとコティヤールの壮絶な名演技の瞬間、紐はプツリ、と切れ、

この上ない悲しみと静寂が広がります。

この二人のこの表情のために、今までの華やかさと切ない幸福の時があったのですね。

ここまでの、堂々たる夢の演出があってこそ、ラストの二人の、洗い落とされた真実の表情

が胸に深く刻まれるのでした。ああ。



メロドラマを観るなら、上質の作品で、とっぷりと夢に浸りたいものです。

といっても、この物語、なんと実話を元にしているそうです。

どの程度編集し演出したのかはわかりませんが、特上娯楽ラブサスペンス&涙 でした。

たまには、いいよね。

( ブラッド・ピットは同い年、って、驚・・! )


































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