オッペンハイマー / OPPENHEIMER ( 続き )

 

想定通り、核爆発は起こり実験は成功。

オッペンハイマーとそのチームは歓喜に包まれます。物理科学の歴史に自らが新たな

1ページを開いたことに対する科学者しての純粋で究極な喜びと誇り。

核爆発の瞬間の化学反応としての現象の美を見届けることができた達成感。

原子爆弾は完成と同時に政治権力に運び去られ、オッペンハイマーの役割も事実上の

完了と見なされます、国家的には。「 よくやった、お疲れさん。」 と。

運び去られた原爆は、翌月8月に長崎と広島に投下されます。

 

人類が、持つ準備ができていない制御不能の最終兵器を生み出し、

地球上の生命が滅亡する可能性を生み出し、

核軍拡競争の連鎖反応を始まらせ、

戦争終結の名の下に実用され大量殺戮を実現させ、

世界の在り方を変えてしまった全ての中心に立つオッペンハイマーが、この後の生涯を

どれほどの苦悩の中で生きたか。

降り始めた雨で水面に生まれる波紋に、核弾頭が次々と爆発し連鎖を引き起こしていく

ビジョンを見ているオッペンハイマー。

若かりし学生時代から既視感覚にあった波紋のイメージがついに繋がったのが、世界の

終焉のビジョン、爆裂するキノコ雲の連鎖であったとは・・・・。

天文学的な単位であろうその重圧を、クリストファー・ノーランは爆裂と業火の映像

地鳴りのような音響で私たちをオッペンハイマーの脳内にワープさせます。

宿命のあまりの巨大さ。

スクリーンを観ていて・・・泣けました。

一人の天才科学者が人類のターニングポイントそのものと成った時、政治が、国家が、

世論が、彼をどう扱ったか。どう利用し、どう崇め、葬ったか。平和とは何か。

ノーランの緻密な映画作品には、命懸け、という言葉が浮かぶのです。

 

物理学者と同等に会話できるであろう学問的知性、政治歴史学者に匹敵するであろう

解釈力と知識量、それらは映画制作上の最低限の基礎部分であって、ノーランの仕事

はそこから。

20世紀、その最重要歴史が、核がこの世に生み出されたことであり、

後に 「 原爆の父 」 と呼ばれるようになるオッペンハイマーであり、

核爆弾によって圧倒的な国力で世界を制したアメリカの政治権力であり、

第2次世界大戦末期か1960年代までのその激動を、映像にする。

世界最初の核爆弾の製造過程、どのような形でどのようなマテリアルで、どのような

重量感であったか、

ロスアラモスでの実験によって人類が初めて目にする核爆発がどのようなものだったか、

聞会の狭い密室で、オッペンハイマーはいかに共産主義のスパイ容疑者になったか。

 

映画であり映像であり、本物ではないことは充分に解っているにもかかわらず、私たち

はノーランの表現するそれらの事々の途方もない重量の表現に唖然としてしまいます。

本物ではないと解って観ているのに、当時のリアルのごとく生々しく映し出され、そ

の恐ろしさ、重圧感、異様な禍々しさ、そしてある美しさを観ることによって、核、

支配権力、自由剥奪の狂気を疑似体験させられるのです。

ノーランはアナログ主義で知られた監督です。CGは極力使わずに想像を超えるよう

なセットを建設し、フィルムで撮影すること、そして配信ではなく映画館でのみ上映

することに信念を持ち、強いこだわりを貫いています。

” 命懸け ” と感じるこの特別な大作映画 『 オッペンハイマー 』の内容を、ぜひ映画館

のシートで観て欲しいと思います。

 

 

 

『 オッペンハイマー 』 はすごい映画だったと思います。

「 ノーラン様 」 です!

( 明日につづく・・) なんて書いておきながら結局一週間後になってしまいました・・

そして、明日は金曜日、パスキューアイランド・パン販売の日。

雨降り続きで、せっかく咲き始めた桜が散ってしまわないかと気に掛かりますねえ。

明日も、こんがりと焼けた丸いパンを山盛りにして、みなさまのお越しを

お待ちしております!!

 

 

グラハム粉の丸いプチパン

1個 150yen

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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