テーブル( おしまい )



例えば、前出『 ヘンゼル と グレーテル 』でのツゥベルガーの挿絵で、

魔法使いのおばあさんが、兄妹を捕らえるためにご馳走をふるまう場面でのスープ皿の

サイズ感や形が私の記憶に大事にしまわれます。

兄妹の首に巻かれたナプキンの色合い、格子の柄、生地の柔らかさなども、おなじく

自動的にファイルされます。

そして 『 賢者のおくりもの 』 のデラの白いエプロンは、どうして素敵に見えるのか

な、生地は何かなあ、掛け紐は背中でクロスしていて、釦止め、腰で結ばれた紐は幅

が広い、普及品の当時のごく普通の主婦向けの定番のかたちなのかなあ・・・・

などと考えたことも、もちろん無意識に記憶されます。

ジムとデラは、このたっぷりしたカップで、どんなコーヒーをのんでいたのだろう?

20世紀初頭のアメリカ東海岸の大都会の庶民達が飲んでいたコーヒーの濃さと味わ

いは? 淹れ方は? それにしても、このカップ&ソーサーのたっぷりとしたサイズは

いいね、と記憶のファイルにするりと入ります。


こういうふうに挿絵や映画を眺め続けて今に至っていることと、今このような仕事を

していることが、最近ようやく自分の中で繋がって、納得がいくようになりました。

「 好き 」 を仕事に、のひとつのサンプルとして、こういうことであったかナルホド!

と、パズルのピースがカチリと嵌まった感覚になれました。

とても時間がかかりましたが、ずいぶんとスッキリしたのでした。


↓ この場面も魅力溢れて・・・!


©1982『 ROTKAPPCHEN 』 より







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