レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

クレオパトラの部分への怒り

2006-09-26 05:47:38 | ローマ
『100人の偉人 美女編』で4位に入ったのは、このテの投票の常連クレオパトラ。再現ドラマがギャグ調であることに対していまさらモンクは言うまい。お笑いノリが悪いとは思わない。プトレマイオス13世を単に「夫」とだけ言い、弟であることは説明はしょったことなども仕方ないだろう。しかしな。
その1 「シーザーと結婚してその力で女王に返り咲いた」だと~?
ーーいつ結婚なんかしたと言うんだ!ローマの正妻を無視するんじゃねぇっ!!
その2 「家臣に暗殺された」
ーーマルクス・ブルートゥスたちは「家臣」なんて立場かい!無難に「部下」にしておけばいいものを。
その3 アントニウスの肖像として出てきたのはーーこりゃカラカラ帝だろ。ヒゲの有無だけでもだいぶ違うだろうに。
その4 最後にオクタビアヌスを篭絡しようとしたパトラに動じない彼の言葉 「私は若い子が好きなんですよ」
 『皇帝伝』を知っていれば、それ自体はありうると思ったとしても、--女王との会見でそんなこと言ったという事実はないだろう。そもそも、誘惑および年齢ゆえの失敗という話自体が俗説だし。 こんな、多くの女性視聴者を敵にまわすような、バカなセリフをでっちあげるんじゃねぇっ!!
ーーと私は責任者を締め上げたくなった。
あれではクレオパトラのファンだって怒るんでないか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100人の美女へのツッコミ

2006-09-26 05:42:00 | 歴史
「ニッポン人の好きな100人の偉人」前回の結果でも思ったことだが、「偉人」ではなくて単に「有名人」ではないか?そして今回は、「女性編」のほうが適切だろう。「私の好きな著名人」ならば、単に好みの問題で、他人がとやかく言う筋合いのことではないと諦め(?)もつく。これらの顔ぶれだと、あまりにも、「偉人?」「美女?」が多すぎるのだ。そりゃ、人間だから、エライ人というわけではなくてもどこか美点や、感心なエピソードくらいはあるだろう、そのへんの普通の人だってそうだ。なにをもって「偉人」となすかは問題がややこしいので深くは言わないことにする。歴史上の人物といっていい人々に関して、ツッコミやらモンクを並べていこう。
 その1。アントワネット。上位入りした人々のうち、偉人度(勝手につくった言葉)最低はこの人だろうな。それにしても、「パンがないならお菓子を」のセリフを、なんの保留もつけずに採用している。実はこのセリフは彼女のものではなくて云々と説明する余裕はなかったろうけど、それにしてもあれはバカっぷりの誇張が過ぎた。最後のセリフ、足を踏んでしまったときに「ごめんなさい、でもわざとではありませんのよ」がホントではないのか?あくまでもエレガント!というニュアンスで語られるのが普通だろう。それが「ドレスが汚れなくてよかった」? そんな説もアリなのか? そもそも、処刑場に引かれるときにあんなハデなかっこしてるもんか。
 その2 キュリー
自分よりも才能のある妻に主役を譲って自分が助手に退く夫は偉い。
(これはモンクではない、もちろん)
 その3 マリア・テレジア
単に名前が出てきただけで紹介はされていなかったが・・・「ローマ皇后」とはなにごとか。ふつう「オーストリア女帝」と言われるが、形式上では婿のフランツ・シュテファンが「皇帝」で彼女は「皇后」だ、確かに。「神聖ローマ帝国」の名はまだ当時あったが・・・「神聖」があるとないではひどい違いだ!
 なお、今回のメンバーのうちで、私が「偉人」「美女」であることに納得できる数少ないうちの一人である。
 その4 巴と静
静の説明が「源義経の妻」・・・妻じゃないだろう、妻はほかにいた!バカにするな! もし静を「妻」と書くならば、巴だって「木曽義仲の妻」でよさそうなのにこちらは「女武者」。では静だって、白拍子というプロフェッショナルだったのだからこれで書いてもよさそうなもの。
 その5 聖母マリア
これは、あらかじめノミネートされていたのでなければ入らなかったに違いない、日本人にとっては。美しく想像したいのは人情だろう。
 その6 「淀君」
「淀君」の「君」には遊女の意味がこめられていて、徳川方で使った蔑称である、だから中立の立場ならば「淀殿」でなければいけない、と書いていたのは誰だったろう。
 これも「秀吉の妻」となっていたけど、まぁ「側室」は正式な存在だからいいか。正室のねねも上にはいってるし。でもお茶々(淀)のほうがゴージャスそうではある。

 「偉人」といえるケタがあり、美貌の信憑性の高い人はめったにいない。
こう言うのもナンだけど、佐藤愛子さん、永井路子さん、里中満智子さんは、もしも故人であったら私は票を投じたいところである。
 
 出てこなかったことがちょっと意外なのは、美空ひばり。もちろん美女ではないけど、時代を代表する存在なのは確かだ。この人よりも容貌の落ちる(あるいは、美貌で売ってたわけではぜんぜんない)人物はたくさん挙がっているのに。
 額田女王もなかった。同じ時代の持統天皇があるのに。歌人と政治家で「偉人度」は比べられないけど、「美女」イメージは額田のほうが断然あるだろうに。
 
 マレーネ・ディートリッヒは納得できる。そんなに美女~とは思わないけど、波乱と気骨の人生だし。(「リリー・マルレーン」に関しては私はラーレ・アンダーゼンをひいきしてるけど) 美女っぷりではレニ・リーフェンシュタールのほうが上だ。
 和泉式部も、才色兼備と呼ぶことに抵抗ない。そりゃあの時代の貴婦人の「美女」なんてわかったものでないけどね。少なくとも歌人として優れていたと思う。

 国を動かす権力があって、かつ美女といえば、ポンパドゥール。美女かどうかわからんけどアリエノール・ダキテーヌもケタが大きく華やか。

 「美女」といってシシィの名が挙がらないのは許せん!

 とりあえずこんなとこにしておこう。クレオパトラの説明に対するツッコミというよりも怒りは改めて「ローマ」カテゴリーで。  そういえば、(狭い意味で)ローマ史・ギリシア史からはぜんぜん挙がってなかったな。

 「美男編」もやれよ、と言いたいが、どうせ腹のたつ結果だろうな。
 いやそのほかの問題として。今回の例のように、女に対しては、ホントに美人かどうかなんてたいして考えずに、好きな・活躍した女の人ならば「美女編」にとっとと加えてしまったのが多数派投票者ではないかと思うが、これがもし「美男編」だったら違うような気がする。例えば、前回の上位者のうち、信長、土方などは問題なく残るだろう、しかし、秀吉や家康の名前に対しては、「美男編」で投票することに「・・・・・・?」と考えてしまうに違いないーーと思う。つまり、女を誉めるときには、そこそこのレベルがあれば簡単にお世辞で美人にまつりあげてしまうけど、男にはそうでもなく、容姿以外の能力のある非・美男を美男にしてしまわない。たぶん。
 だから、「美男編」をやってみたほうが、もしかするとこの「美女編」よりも説得力はある結果になるかもしれないな~とも考えてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする