ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

不倫と浮気

2011年01月08日 | ノンジャンル
珍しいタイトルであると自分でも思う。

不倫、浮気、離婚、愛人、ツバメ。
かつては世に憚られる事であったが今ではそうでもない。

だが、その遷り変わりはそのまま人の美意識の変遷でもある。

人を好きになるのは恋である。
その相手が既婚者であれば、その悩みも苦しみも一際
大きくなる辛い恋なのである。

不倫は既婚者のする恋ではない。

今の家庭を捨て、生活を捨て、その重い十字架を背負い、
相手と添い遂げようという覚悟、つまり離婚をしないで、
自分の身を安全地帯においておきながらの恋を求めるなら、
それは浮気である。

昔はそれを不貞と一喝した。 
今でも死刑をもって、不貞を処断する国さえある。

不倫という比較的新しい便利な言葉でいくら糊塗しようと、
それは浮気であり、不貞であり、断じて恋ではない。

無論、既婚者であろうと恋に落ちることはある。
だがそこで迫られる選択は、自ら築いた家庭を取るか、
その恋を取るかである。

家庭を取るなら、その恋はかなわぬ恋として心にとどめ、
恋を取るなら、家庭を捨てる己の罪と、周りの非難と、
人の不幸の上に自身の幸せを求める現実を覚悟せねば
ならない。

その覚悟もなく、家庭も恋も取るというなら、それはもはや
恋ではなく、不倫という名の浮気であり、不貞である。

W不倫など、お互いに覚悟のないもの同士の浮気、
不貞であり、笑止である。

恋はしてしまうものであるからそれは仕方がない。
自分の意志や理性でどうにかできることではない。
だからこそ、既婚者であれば、上に述べた選択の覚悟が
必要なのである。

私にもあったし、カミサンにもその経験はあったはずである。
二人とも、その時に同じ選択をしたからこそ、今現在、
変わらず共に暮らしている。

最近、若い世代は結婚願望が希薄になっているという。
特に男性にその傾向が顕著なのだそうだ。

少子化の問題を、子育て支援という面で解決していこうと
する視点は、どうも的を射ていないようである。

不倫、バツイチなどという浮薄な言葉で、ことの重大さが
どんどん軽く一般的になってきたのと同じように、
若い世代の結婚願望も希薄になってきたような気さえする。

むしろ問題の本質はそこにあるのではないかと思うのだ。