ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

原則

2007年05月10日 | ノンジャンル
例会での体験発表の原則、「言いっ放しの、聞きっ放し」に、
物足らなさを感じていたものだが、だんだんと、その意義深さが
理解出来るようになってきた。

体験というものは、その人固有のもので、その善し悪しを
評したり、論じたりしても無意味である。
あくまでも過去の事であり、それ自体をどうこうする事は
出来ないのである。
その体験を通して、これからどうしていくのかが重要であり、
それもまた、その人の意志の問題なのである。

自らの体験を発表する事で、自分はもちろん、他者にも良い
影響を与える場合があるだろうし、他者の体験を聞いて共感し、
自身の糧とすることも出来る。
互いに体験を発信し、受信して、共感できるものは保存し、
共感できないものは、削除すれば良い。
そこには、議論も論争も全く必要なく、また、なんら意味を
なさない。

ネット上の掲示板でも、断酒なる名目で、ネット例会という場を
設けているところをよく見かける。
だがそこでは、ともすれば、各々の思考、方法、意見、ひいては
思想なども提示され、それにより議論や論争へと発展している
ところが少なくない。
どうも私には理解しがたい世界である。

原則を踏まえるならば、同じく、「書きっぱなしの読みっ放し」で良
いのではないかと思うのだ。 
我々の唯一の共通項は、断酒継続である。
それ以外は、人それぞれ、違っていて当たり前の事である。
意見、主張、論評、批判などをして、その場を議論や論争の場と
したところで、なんら意味は無い。

理の上で、どれほど正しかろうが、論争で相手をやり込めようが、
現実的に再飲酒してしまえば、全てが水泡に帰してしまう。 
理論で断酒継続できるほど、この病気は甘くは無い。

現実的な、実感と、共感と、感謝と、謙虚さが実質的に断酒継続を
支えている事を知るべきである。
百万言を労しようとも、一杯のお酒に口をつけてしまえば
それまでなのである。

体験には体験で答え、読みっ放し、聞きっ放しが出来ないので
あれば、激励と、共鳴と、感謝の言葉をこそ、相手に対し
発信するべきで、それはそのまま、自身に対して発信している
という事を理解すべきなのです。