ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

携わる者

2007年05月12日 | ノンジャンル
自身の状況と照らし合わせて、この依存症という病気の知識が
深まるにつれ、医療に携わる方々に思いを馳せると、なんとも
複雑な気分となる。

医師、看護士、ワーカーを主として、多くの「健常」な方々が
この病気に取り組み、患者と共に回復への道を模索している。

本人や、その家族でさえ、理解と認識と、適切な対応が難しいと
いうのに、健全な心身を持って、患者の苦しみや、懊悩を分かち
ながら、回復の軌道へと導くというのは、並大抵の努力と
覚悟無しには不可能である。

事実、待ったなしの環境の中で従事されておられる姿を
見るにつけ、本当に頭が下がる思いである。

患者本人の気持ちは、同じ患者にしかわからないというのは、
紛れも無い事実である。
それ故に自助グループの存在意義は大きい。 

だが、現実として、「わかろう」として、「回復」を願って、
日夜奮闘されている関係者がいることも事実である。

彼らに報いるために、我々が出来る事はたった一つ、
断酒継続によって回復し、元気に日々の生活を送るという
事でしかない。

スリップする、再び健康を害する、やつれた姿を見せる。。。 
これ以上の裏切りと、人の誠意を踏みにじる行為は無いと
いっても過言ではない。 

実際に、そうした辛い経験を何度も味わってこられている
方々の落胆と憔悴は、想像するに余りある。
露骨に落胆を表に出される事はないであろうが、それが反って、
気の毒でならない。

アルコールとは全く関係の無いところで、心身症となってしまう
のではないかとさえ懸念される。

断酒は当然ながら、誰の為でもなく自身の為であり、本人の
意志による事は疑いようも無いが、少なくとも、我々は、
人に求められている事があるということを知るべきである。

医療に携わる方々の笑顔も、家族の笑顔も、そのまま、自分自身の
回復の喜びである事を、肝に銘じておきたい。