ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

生き地獄

2007年05月14日 | ノンジャンル
一時、飲酒運転の問題が大きくクローズアップされて、
考えられないような事例を見るたびに、依存症を疑い、
事実、依存症である事を認識していない人の飲酒運転事故
などを目にするにつけ、複雑な思いでいた。

世間は相変わらず、依存症を堕落と自分勝手さと、自業自得の
成れの果てというイメージで見ているようだ。
何をどう弁明しようと現実的に症状として表れるのは
その通りであり、否定する余地は無い。

飲酒が原因で、事故が起きる事がないようにと願っては
いるのだが、厳しい規制や、罰則にも拘らず、止む事無く
事故は起きている。

依存症者本人が、酒害により引き起こす事件については、
数知れないが、今回、高齢の依存症者本人が、その家族に
絞殺される事件があった。
そして、その家族も、自殺を図り、心中未遂となったようだ。
なんともやりきれない事件である。

本人が酒害で命を落とすことは、言葉は悪いが、ありきたりの
話であるが家族に与える苦痛と弊害は、想像を絶する。
本人には、決して理解できるものではないとはいえ、今回の
事態にまで至ってしまった事は非常に残念である。

自助グループ、専門医療機関の拡大により、多くの方が回復への
道を歩んでおられるのも事実ではあるが、一方で、遥かに
その数を上回る依存症者が、今尚、自らを苦しめ、家族を
苦しめている事も、明らかな現実である。

回復への道を歩み始める事も、地獄へと突っ走る事も、本当に
紙一重の差にすぎない。
沈んだ気持ちになると同時に、今の自身の状況を、改めて
感慨深く噛み締めていた。

「飲んだらあかん、死んだらあかん、そこまで、苦しめたら
 あかん。」
何度となく、心の中で繰り返す。

本人は、最後まで自分勝手な酩酊の中で、死へと旅立ったで
あろうが、残されたものは、そこまで苦しめられ、追い詰められ
ながら、また更に、人を殺めたという、重い負い目を背負って、
生き地獄を味わいながら、それでも、生きていかねばならない。

恐ろしい、本当に恐ろしい病気なのである。