ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

人間回復

2007年05月08日 | ノンジャンル
薬物であるアルコールを、経年的に過剰摂取してきた
我々にとって、断酒するという事は、ともすれば全てを
奪われてしまうような錯覚を引き起こす。

様々な場面、状況、環境下で、アルコールによって苦は楽に、
楽は更に楽にと感じる事が出来た記憶は消す事が出来ない。
もちろん、それは一時的な麻痺状態によって、現実逃避して
いたに過ぎないのであるが、理性のたがが緩む状態の快感を
得る事で、ストレスに対するバランスを取っていたとも言える。

こうした背景と、実体験としての記憶を消せない以上、
断酒というのは、想像以上に困難な事なのかもしれない。

そして、素面で現実に対処していく辛さが蓄積していく時、
再飲酒に走ってしまう事も、ある意味では、仕方の無い事
かもしれない。

ところで、仮に、催眠療法、あるいは薬物で、飲酒欲求を
消し去るとか、嫌酒感を抱かせるとかの療法が実現したと
すれば、断酒の継続は、単純に、より成功率が上がるとも
考えられるが、これは、人間復帰、あるいは、人間回復とは
いえない。

なぜなら、それは、アルコールに代わるある種の麻痺状態を
形成しているに過ぎず、断酒を可能にする事で、身体的な
健康の回復を得られるという利点はあるけれども、
人間回復という、根本的な問題解決とはならない。

抗酒剤は、あくまでもお酒に対する耐性を低下させ、飲めば
ひどい目に遭う事を自覚して服用する事で、飲まない覚悟を
決める為で、飲酒欲求を消すものではない。

従って、迂遠に見えるようではあるが、断酒を手段とし、
指針として、素面で明瞭な理性において、眼前の現実に
立ち向かい、一つ一つ対処解決をしていく以外に根本的な
解決は無い。

むしろ、そこにこそ、飲んで逃げていた自分から、
苦しみながらも立ち向かって行く中で、大きく成長していく
自分へと変っていく、重大な意義があるのである。

登るべき高い山を、登る想像ばかりで、実際は一歩も歩みを
進めていなかった自分から、苦しみながらも自らの足で、
一歩ずつ歩みを進める自分へと変わったのである。
そして、その一歩一歩の中に、実は大きな成長がある。

便利な乗り物に乗って、登ったとしても、何も変わる事は
ないし、成長も無いのである。
断酒を指針とし、手段として送る一日は、極言すれば、
成長の一日なのである。