ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

選択

2007年05月07日 | ノンジャンル
アルコール至上主義という回路が形成されてしまった以上、
その回路を脳内より消し去る事は出来ない。
それを消す時は、即ち死ぬ時ということは立証済みである。

いわば、火のついた導火線を脳内に敷いたようなもので、
断酒をしている限り、その火は線香の火のように、
点いているのか点いていないのかさえ定かではないほど
仄かなものである。だが確かに燻っている。

この、一生分の長さを持つ導火線を持ち、燻らせていく限り、
たかが一杯とはいえ、その一杯のお酒は、重大且つ決定的な
意味を持つ。
火に油を注ぐとはこの事である。
文字通り、燻る火にアルコールを注ぐのであるから、
その火はやがて大きく燃え広がり、理性を焼き尽くして
しまうのである。

これを鎮火し、改めて理性を取り戻し、仄かな燻りの状態に
再び戻す事は、並大抵の事ではない。
初心貫徹で止め続けていく事よりも、スリップを度々
繰り返した上で、再びお酒を断つ事の方が、遥かに困難で
ある事は自明である。

願わくは、今現在、断酒を継続されておられる方は、
もう一度、断酒を決意された時の事を思い出して頂きたい。
その時に、自身の願いとして、最優先された事は、
「まだ生きていたい」という事ではなかったか?

相容れない願いである、「生きたい」と、「飲みたい」
に対し、自身が決定されたのは、「生きたい」という事
ではなかったのか?

だからこそ、現在の、断酒を継続しながら、日々を
精一杯生きていくという道を歩んでいるのである。
「飲みたい」を優先すれば、必然的に、「生きたい」を
犠牲にする必要がある。
命を削ってでも、飲みたいというのであれば、それは
その方の選択と決定であり、致し方ないとしても、
ギリギリの状態の時にその選択を迫られた時、自分は確かに、
「生きたい」を選択したのではなかったか?

一杯のお酒を、計らずも手にしてしまった時、どうか、
その時の自身の本音による選択を思い起こして
頂きたいのである。