この宇宙の始まりは、138億年前、即ちビッグバン
とされている。
それ以降、膨張を続けているらしいが、ひとつの
区切り、つまりこの宇宙の終焉が、1400億年の
後らしい。
永遠の過去と、永遠の未来の悠久さの中に、
現在我々は生存しているわけである。
ある時は、単細胞であったかもしれない。
ある時は、名もない草や花だったかもしれない。
ある時は、この地上で蠢いていたかもしれない。
ある時は、大海で棲息していたかもしれない。
ある時は、星そのものであったかもしれない。
今初めて、人として生まれ、その悠久さを認識し、
自身を宇宙の一塵とも観れば、宇宙そのものとも
観ることができる。
つまり、自身をちっぽけな存在とも認識できれば、
この悠久を内に蔵した存在としても認識できる。
いずれの認識をもって今を生きるのか。
ましてや、我々は、認識するとともに、自身の
生き方を問える存在でもあるのだ。
問い続けるという事が、人が生きるという事
なのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0a/d94880501d8be8930f7d1943892eb467.jpg)
とされている。
それ以降、膨張を続けているらしいが、ひとつの
区切り、つまりこの宇宙の終焉が、1400億年の
後らしい。
永遠の過去と、永遠の未来の悠久さの中に、
現在我々は生存しているわけである。
ある時は、単細胞であったかもしれない。
ある時は、名もない草や花だったかもしれない。
ある時は、この地上で蠢いていたかもしれない。
ある時は、大海で棲息していたかもしれない。
ある時は、星そのものであったかもしれない。
今初めて、人として生まれ、その悠久さを認識し、
自身を宇宙の一塵とも観れば、宇宙そのものとも
観ることができる。
つまり、自身をちっぽけな存在とも認識できれば、
この悠久を内に蔵した存在としても認識できる。
いずれの認識をもって今を生きるのか。
ましてや、我々は、認識するとともに、自身の
生き方を問える存在でもあるのだ。
問い続けるという事が、人が生きるという事
なのかもしれない。
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