ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

沈黙の臓器

2009年07月06日 | ノンジャンル
肝臓のことである。

内臓の中で恐らく最も大きな図体をしていながら、穏やかで
口数も少なく、どれほど痛めつけられても不平不満を言わず、
黙々と果たすべき役割を果たして行く。

耐えて、耐えて、耐え抜いて、その身を犠牲にしながらも
じっと我慢し続ける健気さは、その図体と「きも」という
名前のイメージ通り、グロテスクな姿とは対象的であり、
労ってやりたいものである。

その、きも君が悲鳴をあげだす頃は、よほど深刻な状況と
なってからである。
元の健全な姿に戻れるのは脂肪肝ぐらいまでで、肝硬変、
肝炎などは、部分的な死を意味する。

不健全な身体で、それでも十分な役割を果たす。
お酒といえば肝臓と連想が繋がるが、我々も同じで、
様々な死を経験している。

死んでしまったものは仕方がないが、何とか生きている
部分のみで命を繋いでいるのである。

元の姿には戻れないが、今の状態を維持することは出来る。
つまり、現状から悪くなることはあっても、
良くなることはない一方通行である。

健気な「きも君」を労り、癒してあげることが、そのまま
自身の癒しとなり、少なくとも「もうだめです」という
悲痛な叫びを聞くことはないであろう。

思えば、その叫びを黙殺していた自分がいた。
今では時に、きも君の叫びかと気になることがあるが、
よく考えると、それは腰痛である。

湿布を貼って、寝ることにする。



最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (HAL)
2009-07-06 06:32:18
早阿。「五疲」
1、多想心労。取り越し苦労が多いと心をいためる。

2、多怒肝労。怒りが度重なると肝をいためる。

3、多思脾労。考え事が多いと脾が疲れる

4、多悲肺労。悲しみが多いと肺を傷める。

5、多憂腎労。憂が多いと腎が疲れる。

「淮南子」に曰く「蘧白玉(キョハクギョク)、行年五十にして四十九年の非を知り
六十にして六十化す」

50になって、過去の非を知り、結論を下す
やり直し、60になったらなったでまた変化する。        「安岡正篤」
返信する
Unknown (jetlinks)
2009-07-06 13:10:41
早上好、HAL先生。 ^^

塞翁が馬

禍も人の心から生じ、福も人の心から生じる。

同じなら、おもしろきことも無き世を
おもしろく生きていきたいものです
返信する
Unknown (貴子)
2009-07-06 22:52:01
大丈夫ですか?
師日く
肝腎要の「要」は腰とのことですよ。
返信する
Unknown (jetlinks)
2009-07-07 02:19:09
3月の終わり頃でしょうか、プチぎっくりになって、
かなり辛い4月を過ごしました。

仰るとおり、要が利かなくなると、寝ても
起きても、座っていても立っていても辛くて、
閉口しました。

今は、ちょっとやばいかなと感じたら、
早めに対処しています。

どうもありがとうございます。 ^^
返信する

post a comment