肝臓のことである。
内臓の中で恐らく最も大きな図体をしていながら、穏やかで
口数も少なく、どれほど痛めつけられても不平不満を言わず、
黙々と果たすべき役割を果たして行く。
耐えて、耐えて、耐え抜いて、その身を犠牲にしながらも
じっと我慢し続ける健気さは、その図体と「きも」という
名前のイメージ通り、グロテスクな姿とは対象的であり、
労ってやりたいものである。
その、きも君が悲鳴をあげだす頃は、よほど深刻な状況と
なってからである。
元の健全な姿に戻れるのは脂肪肝ぐらいまでで、肝硬変、
肝炎などは、部分的な死を意味する。
不健全な身体で、それでも十分な役割を果たす。
お酒といえば肝臓と連想が繋がるが、我々も同じで、
様々な死を経験している。
死んでしまったものは仕方がないが、何とか生きている
部分のみで命を繋いでいるのである。
元の姿には戻れないが、今の状態を維持することは出来る。
つまり、現状から悪くなることはあっても、
良くなることはない一方通行である。
健気な「きも君」を労り、癒してあげることが、そのまま
自身の癒しとなり、少なくとも「もうだめです」という
悲痛な叫びを聞くことはないであろう。
思えば、その叫びを黙殺していた自分がいた。
今では時に、きも君の叫びかと気になることがあるが、
よく考えると、それは腰痛である。
湿布を貼って、寝ることにする。
内臓の中で恐らく最も大きな図体をしていながら、穏やかで
口数も少なく、どれほど痛めつけられても不平不満を言わず、
黙々と果たすべき役割を果たして行く。
耐えて、耐えて、耐え抜いて、その身を犠牲にしながらも
じっと我慢し続ける健気さは、その図体と「きも」という
名前のイメージ通り、グロテスクな姿とは対象的であり、
労ってやりたいものである。
その、きも君が悲鳴をあげだす頃は、よほど深刻な状況と
なってからである。
元の健全な姿に戻れるのは脂肪肝ぐらいまでで、肝硬変、
肝炎などは、部分的な死を意味する。
不健全な身体で、それでも十分な役割を果たす。
お酒といえば肝臓と連想が繋がるが、我々も同じで、
様々な死を経験している。
死んでしまったものは仕方がないが、何とか生きている
部分のみで命を繋いでいるのである。
元の姿には戻れないが、今の状態を維持することは出来る。
つまり、現状から悪くなることはあっても、
良くなることはない一方通行である。
健気な「きも君」を労り、癒してあげることが、そのまま
自身の癒しとなり、少なくとも「もうだめです」という
悲痛な叫びを聞くことはないであろう。
思えば、その叫びを黙殺していた自分がいた。
今では時に、きも君の叫びかと気になることがあるが、
よく考えると、それは腰痛である。
湿布を貼って、寝ることにする。
1、多想心労。取り越し苦労が多いと心をいためる。
2、多怒肝労。怒りが度重なると肝をいためる。
3、多思脾労。考え事が多いと脾が疲れる
4、多悲肺労。悲しみが多いと肺を傷める。
5、多憂腎労。憂が多いと腎が疲れる。
「淮南子」に曰く「蘧白玉(キョハクギョク)、行年五十にして四十九年の非を知り
六十にして六十化す」
50になって、過去の非を知り、結論を下す
やり直し、60になったらなったでまた変化する。 「安岡正篤」
塞翁が馬
禍も人の心から生じ、福も人の心から生じる。
同じなら、おもしろきことも無き世を
おもしろく生きていきたいものです
師日く
肝腎要の「要」は腰とのことですよ。
かなり辛い4月を過ごしました。
仰るとおり、要が利かなくなると、寝ても
起きても、座っていても立っていても辛くて、
閉口しました。
今は、ちょっとやばいかなと感じたら、
早めに対処しています。
どうもありがとうございます。 ^^