ALQUIT DAYS

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八重桜

2021年05月14日 | ノンジャンル
早咲きのソメイヨシノが可憐とすれば、
遅咲きの八重桜は華麗というべきか。

どちらが優れ、どちらが上という事ではない。
可憐さと、華麗さは、単に異なるのみである。

この異なるというのは、互いに互いにはないものを
持ち、互いにあるものを持たないという事である。

多様性というものはそういう事である。

ないものに目を向けるのか、あるものに
目を向けるのか。
それが、軽侮と尊敬の分岐となる。

多様性の根幹にある平等を解かぬいかなる宗教も
哲学も意味はない。

世の乱れは、ないものに目を向ける軽侮の
蔓延である。

なければ補い、あればそれを分けるという、
互いに生きる事こそが、人の世の平和で
あるだろう。

戦争がないから平和なのではない。
互いに支え合うから平和なのである。

華麗は可憐を尊び、可憐は華麗を寿ぐ。

今の世は、華麗が驕り、可憐が妬む諂曲の
世なのかもしれない。

いずれにせよ、その存在が、天と地の恩恵に
よってあることを忘れている。





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