前回、旧ユーゴスラビアのことを書きました。
実はスロベニアのペンフレンドTさんと先月のバルカン半島の洪水の話をしていたときに、たまたま話がチトー大統領の話になったことから、ここしばらくチトー及び旧ユーゴスラビア関係の資料を読み漁っていました。
チトー大統領-第二次世界大戦時のパルチザンの英雄、そして戦後は民族、宗教、言語が違う6つの国をまとめあげ、冷戦中は旧ソ連とは一線を引き、西側諸国との間に中立を保ってきた彼。旧ユーゴスラビアでも人気があり、そして西側諸国でも評価が高かった人物です。
が、チトー大統領にも当然暗部もありました。
しかし、クロアチアと同じく、チトー大統領についても悪い話は、あまり西側メディアは書き立てませんでした。
たとえばチトー時代の暗黒部分の一つ、ゴリ・オトク島の強制収容所。これは仮にメディアが情報をつかんでいたとしても、報じられたかどうかは疑問です。
IPS
名簿公開で蘇るチトー、スターリン時代の埋もれた歴史
http://www.ips-japan.net/index.php/news/human-right/1930-living-ways-tito-stalin-2
ところで、ユーゴスラビアの歴史は、本当に読んでいるとつらくなりますが、そのなかで少し救われた気分になるものがあります。
これなどもその一つ。
フォーリン・アフェアーズ日本語版(1995年11月号)
ボスニア紛争の「真実」
Making Peace with the Guilty: The Truth about Bosinia
チャールズ・G.ボイド/前欧州駐留米軍・副司令官
http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/199511/boyd.htm
「人道主義的で改革主義志向の英国人は、誰が誰に対してひどい扱いをしているのかを見極めようとつねにバルカン半島に赴くのだが、完璧主義への思い込みゆえに、全員が互いにひどい扱いをしているという忌むべき仮説を受け入れられず、結局、彼らの心のなかにある愛すべきバルカンの人々は、無実であるにもかかわらず苦しみ、永久に殺戮される側で、殺戮する側ではないと思いこんで帰国することになる」 Rebecca West : Black Lamb and Grey Falcon,1938
一体誰が悪者なのか
(英国人ジャーナリストで批評家としても有名な)レベッカ・ウエストはバルカンの人々を愛していた。だが、バルカン半島を旅し、シニカルな感情を抱いて帰国したのは何も彼女だけではない。この二年以上にわたって、私自身、旧ユーゴスラビアでの出来事をめぐってはしだいに憔悴し、挫折感を抱きつつある。私は旧ユーゴ地域を何度か訪問し、そこで、国連防護軍(UNPROFOR)の一員として、あるいは、クロアチアとボスニアの難民高等弁務官事務所員としてクロアチアやマケドニアにいる若い米国人男女の個人的な意見に耳を傾ける機会があった。
私が彼や彼女らと共有しここに述べる見解は、バルカンでの戦争の醜悪な様相すべてをほぼ間断なく目撃した上でのものである。この見解は、ワシントンの一般的認識のほとんどと異なっている。ワシントンの認識は、現状をめぐる理解が限られ、バルカンの歴史への無知と無視のために、ゆがめられてしまっている。なかでも問題なのは、ワシントンが公言している政策とバルカンでの米国の行動とが、一致していないことだ。
米国のアプローチは、この戦争が、善と悪の戦争、侵略者と被侵略者の間の戦争だという、現実とはそぐわない認識を前提としている。米国はこの間違った認識をもとに、国連やNATO(北大西洋条約機構)による、平和維持(防護)軍を守るためという中立的な表現で取り繕われた解決策を支持し、その後は立場を変えて一方を罰する姿勢をみせ、戦争の行方を左右するような態度をとっている。
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これを書いたボイド氏は、ベトナム戦争も体験したお方。
これは、過去の戦争も、そしてシリア、ウクライナなど、現在の戦争や紛争についてもいえることだと思います。
いつになったら、こうした声をリーダー達が参考にしてくれるのでしょうか。