Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-3(セルジュ・ゲンズブール)

2024年06月26日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

『ミナ』の映画の終わりは1991年4月。

この時に、エテルと夫がいる部屋のテレビで歌っているのは、セルジュ・ゲンズブール。

彼が亡くなったのは、1991年3月なので、テレビの番組は彼の追悼番組に様なものだったのでしょう。

彼はユダヤ人移民の息子したが、一家はユダヤ人狩りからは逃れられていました。

セルジュ・ゲンスブール - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg [sɛʁʒ ɡɛ̃sbuʁ]、1928年4月2日 - 1991年3月2日)は、フランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優。 概要 彼の父ジョセフはトルコ・イスタンブールで生まれたアシュケナージ系ユダヤ人で、ロシア帝国下のクリミア半島フェオドシヤ生まれの歌手オリア(オルガ)とクリミアで出会い結婚した。

セルジュ・ゲンスブールはパリ4区シテ島にあるパリ市立病院(Hôtel-Dieu de Paris)で生まれた。幼名はリュシヤン・ギンスブルグ(Lucien Ginsburg, Люсье́н Ги́нзбург)といった。1958年に「リラの門の切符切り」(Le Poinçonneur des Lilas)でデビュー。 女優・歌手のジェーン・バーキンとは事実婚の関係となり(法的な結婚はしていない)[1][2][3]、女優のシャルロット・ゲンズブールはバーキンとの間に儲けた娘である。

(中略)

ギンスブルグ家はロシア革命の混乱から逃れてきた移民である。リュシヤンの父ジョゼフはピアニスト・美術家だったが、移民の多いパリ20区シーヌ通り(中国通り)界隈に移ってからはもっぱらキャバレーでピアノを弾いて生計を立てていた。パリで産まれたリュシヤンは父の影響で幼少からクラシック音楽に親しみ、絵画にも興味を持っていた。幼いころは内気な性格だった。青少年期は、家族と共にパリ20区、9区、リモージュ、パリ解放少し前に16区に移り住み、9区のリセ・コンドルセに通った。1947年ごろ、小遣い稼ぎにギターを弾きはじめる。1948年に召集を受け翌1949年までおよそ1年間従軍するがこの間、脱走を企てたことなどから3か月間投獄されている。それに前後してギターで生計を担うようになり、絵画からは遠ざかってゆく。この期間、貧困に苦しんでさまざまな仕事をする合間にはじめて作曲をする。

フランスきっての色男、セルジュ・ゲンズブール | THE RAKE JAPAN | The Modern Voice of Classic Elegance

 

オマケ:

たまたまですが、この映画で『ミナ』を演じているロマーヌ・ボーランジェは、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘であるシャルロット・ゲンズブールに似ています。

ロマーヌ・ボーランジェ - Wikipedia

シャルロット・ゲンズブール - Wikipedia

「生誕80周年記念 クロード・ミレール映画祭」公式HP (claudemiller80.com)

Claude Miller — Wikipédia (wikipedia.org)

 

関連:

フランス映画界と20世紀 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ジェーン・バーキンの訃報・「保護される「LGBTQ権利」」とセルジュ・ゲンズブール - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-2(ダリダ)

2024年06月26日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

『ミナ』では、70年代からのフランスで流行した歌が使われますが、その一つがダリダの「18歳の彼」

ダリダ - Wikipedia

Dalida - Il venait d'avoir 18 ans (Clip Officiel) (youtube.com)

ダリダはユダヤ人で、成功したものの、うつ病で自殺で亡くなりました。

Dalida' - The Beloved European Singer’s Calabrian Jewish Roots - La Gazzetta Italiana

Google翻訳:

彼女はイオランダ・クリスティーナ・ジリオッティとして生まれましたが、芸名を選ぶとき、ヘブライ語で「喜び」を意味する「ダリダ」を選びました。そして、ダリダとして、彼女は世界で最も愛されるパフォーマーの一人となり、ヘブライ語を含む 10 以上の言語で歌い、レコーディングを行いました。

ダリダのカラブリアのユダヤ人とのつながりは?

彼女の両親、ピエトロとジュゼッピーナは、私の住むカラブリアの町セラストレッタで「ジリオッティ」という姓で生まれました。これは異端審問の時代からユダヤ人として認められていた地元の名前です。さらに、ダリダの祖父である「ノンノ・エンリコ」は、アルジェリアのユダヤ人のルーツを公言していました。これらすべてが、カラブリアのユダヤ人と世界中のベネイ・アヌシムの心の中でダリダが尊敬される理由です。

ダリダは、両親がエジプトに定住した後に生まれました。両親は、父親がコンサートバイオリニストとしてのキャリアを追求できるように移住しました。ダリダは幼少期をエジプトの活気あるイタリア系エジプト人コミュニティで過ごしましたが、成人してからの人生の大半はフランスで過ごしました。

ダリダのキャリアは 30 年に及び、1956 年にデビューし、1986 年に最後のレコーディングを行いました。その数か月後に彼女は早すぎる死を迎えました。ヨーロッパとアジアで官能的な声と思慮深い歌詞で知られるダリダは、現代音楽界に初めてエスニックフュージョンのヒットをもたらしたと言われています。伝統的なエジプトの民謡に基づいた「サルマ・ヤ・サラマ」は、フランス語、イタリア語、ドイツ語に翻訳され、世界中で歌われました。

(後略)

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-1

2024年06月26日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

なんとなく映画のタイトルは知っていましたが、あえて見ることをしなかった1993年のフランス映画『ミナ』。

単に、「フランス人の女性2人」の話だと思っていましたが、この映画は「フランスのユダヤ人女性」の話。

英語版Wikipediaにはあらすじがこう書かれています。

Mina Tannenbaum - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

ミナ・タンネンバウムとエセル・ベネグイは、パリに住むユダヤ人の少女です。2人は1958年4月5日、ロスチャイルド病院で同じ日に生まれました。ミナはエセルより少し前に生まれました。2人が初めて出会ったのは7歳の時です。宗教のせいで学校では部外者のように感じていた2人は、他に共通点がなかったにもかかわらず、結果として友情を築きました。エセルは外向的で中流階級の家庭の出身で、ミナは内向的で下層階級の出身です。2人の友情は成長しても続きますが、大人になるにつれて疎遠になり始めます。ミナは芸術家になり、男性に魅力を感じながらも近づくのを恐れます。一方、エセルは大衆文化を専門とするジャーナリストになり、満足のいかない関係を何度も経験します。2人はすぐに、自分たちの違いが関係に負担をかけていることに気づきます。

 

私がアンダーラインを引いた部分-「宗教のせいで部外者のように感じる」という描き方は映画には一切なく、彼らが子供から学生時代までは「ミナは眼鏡と変わり者」「エテルは太っていたし、横顔にコンプレックスがあった」ということから他の同世代とうまく付き合えなかったことになっています。

このWikipediaは、ひょっとしたら原作(原作、脚本も監督が書いている)から書き写しているのかもしれませんが、少なくとも、エテルの方の周りには、ユダヤ人の同世代の子供、少年少女たちもいたわけなので、「宗教」のため他の友人ができなかった、とするのは違います。

中流階級のエテルの母親は「差別される側」どころか、「ユダヤ人選民思考」を持ってさえいるようなのに対し、労働者階級のミナの母親は、ドイツ人を毛嫌いし、戦時中の恐ろしさをつたえようとする。

エテルが母親のために「ユダヤ人で金持ちの結婚相手募集」の記事を新聞に載せると、ミナが密かに好意を寄せていた画廊のダナが「自分もユダヤ人で条件に合うから」と立候補します。

戦前も戦中も戦後も、ユダヤ人と言っても色々であったことを、この映画では気が付かせてくれます。

 

この映画について:

Mina Tannenbaum, trailer (youtube.com)

Mina Tannenbaum (1994) - IMDb

映画 ミナ (1993) - allcinema

ミナ | 内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー (natalie.mu)

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