『ミナ』の映画の終わりは1991年4月。
この時に、エテルと夫がいる部屋のテレビで歌っているのは、セルジュ・ゲンズブール。
彼が亡くなったのは、1991年3月なので、テレビの番組は彼の追悼番組に様なものだったのでしょう。
彼はユダヤ人移民の息子したが、一家はユダヤ人狩りからは逃れられていました。
抜粋Google翻訳:
セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg [sɛʁʒ ɡɛ̃sbuʁ]、1928年4月2日 - 1991年3月2日)は、フランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優。 概要 彼の父ジョセフはトルコ・イスタンブールで生まれたアシュケナージ系ユダヤ人で、ロシア帝国下のクリミア半島フェオドシヤ生まれの歌手オリア(オルガ)とクリミアで出会い結婚した。
セルジュ・ゲンスブールはパリ4区シテ島にあるパリ市立病院(Hôtel-Dieu de Paris)で生まれた。幼名はリュシヤン・ギンスブルグ(Lucien Ginsburg, Люсье́н Ги́нзбург)といった。1958年に「リラの門の切符切り」(Le Poinçonneur des Lilas)でデビュー。 女優・歌手のジェーン・バーキンとは事実婚の関係となり(法的な結婚はしていない)[1][2][3]、女優のシャルロット・ゲンズブールはバーキンとの間に儲けた娘である。
(中略)
ギンスブルグ家はロシア革命の混乱から逃れてきた移民である。リュシヤンの父ジョゼフはピアニスト・美術家だったが、移民の多いパリ20区シーヌ通り(中国通り)界隈に移ってからはもっぱらキャバレーでピアノを弾いて生計を立てていた。パリで産まれたリュシヤンは父の影響で幼少からクラシック音楽に親しみ、絵画にも興味を持っていた。幼いころは内気な性格だった。青少年期は、家族と共にパリ20区、9区、リモージュ、パリ解放少し前に16区に移り住み、9区のリセ・コンドルセに通った。1947年ごろ、小遣い稼ぎにギターを弾きはじめる。1948年に召集を受け翌1949年までおよそ1年間従軍するがこの間、脱走を企てたことなどから3か月間投獄されている。それに前後してギターで生計を担うようになり、絵画からは遠ざかってゆく。この期間、貧困に苦しんでさまざまな仕事をする合間にはじめて作曲をする。
フランスきっての色男、セルジュ・ゲンズブール | THE RAKE JAPAN | The Modern Voice of Classic Elegance
オマケ:
たまたまですが、この映画で『ミナ』を演じているロマーヌ・ボーランジェは、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘であるシャルロット・ゲンズブールに似ています。
「生誕80周年記念 クロード・ミレール映画祭」公式HP (claudemiller80.com)
Claude Miller — Wikipédia (wikipedia.org)
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