今までも、アメリカ、ドイツ、スペイン、イタリア、日本のペンフレンド、そして友人たちと、人類にとっての戦争、平和にについて話してきました。
そのなかで、やはりアメリカ人の友人がいう『アメリカの善』というものに反発もし、欧州人の友人の『戦争』のとらえ方に違和感を覚え(まあ、これはお互い様です)。
しかし、こうした意見交換は、歴史、社会、政治、異文化を知るうえでも重要、そしてこういう話を交わすだけで、なんとなく『平和貢献』をしているような気分になることさえありました。
ところが先月から文通を始めたスロベニア人のTさん(男性、40代後半)とメールを交わしだし、彼の話しを聞き、そして質問を受けたりしているうちに、今までの自分たちが『豪華な食事とお酒を楽しみながら、飢えている農民のことを口で案じているだけの貴族』のような気分にもなったりしだしました。
それは、私と友人達は、戦争も爆撃も迫害も、これは本や映画、はたまた戦前生まれの人達の話を聞いたことしかないのに対して、(いくらスロベニアはひどい状況ではなかったとはいえ)、Tさんがそれを経験しているからです。
(戦争経験者といえば、数年前に何度かメールを交わした韓国系アメリカ人の男性が、永住権をとるためにイラクに戦争に行った人でした。が、彼と私は文通目的でメールを交わしていたわけではなかったので、彼と戦争について話したり、質問を受けたりすることはありませんでした。しかし、短い期間のやり取りでも、十分彼の心の傷は理解できました。)
Tさんとのやり取り、他の海外の友人達のものと違って、ここで紹介させてもらうような類ではありません。
彼の住む国、昔はユーゴスラビア社会主義連邦共和国という国は、民族、宗教、政治的立場で憎しみあい、殺し合いをした国。
彼の親族はカトリック信者がほとんどでしたが、彼自身は、特別な信仰を持つことをやめました。それは、『神』を信じないということでなく、彼は『何かしらの神』は信じるけど、宗教が生む対立に翻弄された当事国という場所で、絶望を感じ、特別の宗教を持つことをやめたということです。
彼の親族の中には旧ユーゴ時代に悲惨な体験をした人もいますが、彼は、「個人的な感情よりも、歴史的検証を優先したい」と言います。
このTさんが、日本を好きになったきっかけは、彼が尊敬してやまないお父様が、彼が子供のころに、黒沢明監督の映画『影武者』に連れて行ってくれたのがきっかけです。
彼はこの後、武道や盆栽さまざま日本の伝統、そして歴史に興味を持ちだしました。
そしてまた、彼が「日本という国は武士道の残る国。そして、宗教や民族対立もない、平和で穏やかな国。」という、一種の理想郷のように感じていた(いる?)ということも、彼の話から伺えます。
しかし今、彼が私にしてくる質問のいくつかからは、日本に対する失望感もみてとれます。
平和な国日本で、戦争をする国にしようとする政治家、そしてそれを支持する少なくない人達、ほとんどが『戦争体験者』ではないでしょう。
戦争ゲーム、戦闘ヒーローもの映画やアニメ、漫画・・・すべてバーチャル世界。
しかし、バーチャルであっても、それは人の想像力を破壊するには十分の力をもっていると感じます。
現在、戦闘をしている国に行くことは不可能。しかし、それらを体験した人達の声を聞いてみてください。