漢詩の石川忠久先生は1983年正月に、成都市の杜甫草堂(下 写真)を初 めて訪れ、次の律詩を賦されました。
成都杜甫草堂
此行不是夢中遊
万里来尋似病癒
花径霧消梅色白
蓬門日傳竹叢幽
面江堂屋雖新構
隔岸村郊仍旧疇
公後一千三百歳
浣花渓水水西頭
「読み方」
此行是れ夢中遊ナラズ
万里来リ尋ねて病癒ユルニ似タリ
花径霧消エテ梅色白ク
蓬門日傳(うすく)クシテ竹叢(ちくそう)幽ナリ
江ニ面スル堂屋ハ新構トイエドモ
岸ヲ隔ツル村郊仍(な)オ旧疇(きゅうちゅう)
公後一千三百歳
浣(かん)花渓水水ノ西頭(せいとう)
「訳」
この旅行は夢の中の遊びではない。
万里を尋ね来て病が癒えるようだ。
花咲く道の霧は消えて梅の色は白
蓬の門にさす日光は薄く竹林は黒々。
江の辺の家は真新しいが、渓流で隔たった村には旧い田畑
がある。杜甫没後、1300年、
浣花渓の西のとっかかりの水。
石川忠久 「杜甫100選」NHK出版
成都杜甫草堂
此行不是夢中遊
万里来尋似病癒
花径霧消梅色白
蓬門日傳竹叢幽
面江堂屋雖新構
隔岸村郊仍旧疇
公後一千三百歳
浣花渓水水西頭
「読み方」
此行是れ夢中遊ナラズ
万里来リ尋ねて病癒ユルニ似タリ
花径霧消エテ梅色白ク
蓬門日傳(うすく)クシテ竹叢(ちくそう)幽ナリ
江ニ面スル堂屋ハ新構トイエドモ
岸ヲ隔ツル村郊仍(な)オ旧疇(きゅうちゅう)
公後一千三百歳
浣(かん)花渓水水ノ西頭(せいとう)
「訳」
この旅行は夢の中の遊びではない。
万里を尋ね来て病が癒えるようだ。
花咲く道の霧は消えて梅の色は白
蓬の門にさす日光は薄く竹林は黒々。
江の辺の家は真新しいが、渓流で隔たった村には旧い田畑
がある。杜甫没後、1300年、
浣花渓の西のとっかかりの水。
石川忠久 「杜甫100選」NHK出版