yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

演説

2021-06-20 06:03:39 | 歴史
慶応塾の小泉信吉はアメリカ留学の後、『アメリカン・デベーション 』という原書を福沢諭吉に贈りました。福沢は数日かけてその大要を訳し、『会議辨』と名付けました。福沢は原書を訳す過程で、「スピ-チ」をどう訳したらよいか、苦心を重ねました。そしてふと思い出したのが、旧中津藩の習慣でした。
藩士たちは一身上または公務上の事柄について、正式の「願」、あるいは「届」でない書面を提出するとき、その書面のことを「演舌書」といっていました。そこで、「スピ-チの訳語は演舌でどうか」と福沢は考えました。そして「舌」という字はあまりに俗なので「説」にしました。さらに「デベ-ト」は、「弁論」もしくは「討論」としました。ついで集会のやり方も『会議辨』の中で解説しています。
「だが問題は知識ではなく実践である。」と福沢は考え、そこで演説、討論の練習のためにつくられたのが三田演説会(写真下、三田演説館)です。こうして演説は明治6年(1973)に誕生しました。
一方西洋では、『プルタ-ク英雄伝』によれば、古代ギリシャやロ-マにキケロ(106~43BC)やデモステネス(384~322BC)という有名な雄弁家がおり、演説が定着していました。「演説」は西洋から2000年以上遅れて日本に誕生したのです。そして日本では福沢諭吉に続いて、尾崎行雄、犬養毅といった雄弁家が現れました。




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