yoshのブログ

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白虹 日を貫く

2021-06-18 06:06:42 | 歴史
『戦国策、魏策』より、白い虹が太陽を貫いてかかる現象。白い虹を兵、太陽
は君主を象徴すると解釈され、兵乱が起こり、君主に危害が加わる予兆とされました。

1918年に「大阪朝日新聞」に掲載された記事に「白虹 日を貫く」の文があったことから、政府当局によりおこなわれた言論統制事件、白虹事件がありました。

当時「大阪朝日新聞」は、大正デモクラシ-の先頭に立って言論活動を展開し、寺内正毅内閣を厳しく批判していました。1918年8月25日米騒動問題に関して大会が開かれ、各社から内閣への批判が巻き起こりました。問題となったのは、大会を報じた8月26日の夕刊の記事の一節に、「食卓に就いた来会者の人々は肉の味酒の香に落ち着くことができなかった。金甌無欠の誇りを持った我大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいているのではなかろうか。『白虹日を貫けり』と昔の人が呟いた不吉な兆が黙々として肉叉を動かしている人々の頭に雷のように響く」とありました。大阪府警察部新聞検閲係は、新聞紙法41条の「安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ新聞紙ニ掲載シタルトキ」に当たるとして、筆者大西利夫と編集人兼発行人山口信雄の2人を大阪区裁判所に告発し、検察当局は「大阪朝日新聞」を発行禁止(新聞紙法43条)に持ち込もうとしました。当時、世論の激しい批判にさらされていた寺内政権が弾圧の機会を窺っていたとも指摘されています。関西では「大阪朝日新聞」の不買運動が起こり、さらに憤慨した右翼団体・黒龍会の構成員七人が、通行中の大阪朝日新聞社の杉山龍平社長を襲撃する騒ぎまで発生しました。また後藤新平は右翼系の『新時代』誌に朝日攻撃のキャンペーンを張らせ、他誌も追従しました。
事態を重く見た「大阪朝日新聞」では10月15日、村山社長が退陣し、上野理一が社長となり、編集局長や社会部長ら編集局幹部が次々と退社。社内派閥抗争で上野派の領袖であり、村山・鳥居派と対立して総務局員の閑職にあった西村天囚が編集顧問となり、編集局を主宰することになりました。12月1日には西村の筆になる「本社の本領宣明」を発表し、「不偏不党」の方針を掲げました。こうして「大阪朝日新聞」は、発行禁止処分を免れることになりました。これは「大阪朝日新聞」の国家権力への屈服を象徴しており、これ以降、「大阪朝日新聞」の論調の急進性は影をひそめていきました。





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