童謡詩人 金子みすゞは、本名金子てる。明治36年(1903年)に山口県長門市仙崎漁港に生まれ、そこで育ちました。その地で、彼女は下記の有名な詩を書いています。
お魚
海の魚はかはいさう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。
ほんとに魚はかはいさう。
大漁
朝やけ小やけだ
大漁だ。
浜は祭のやふだけど
海のなかでは
何万のいわしのとむらひ
するだろう。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちつともとべないが、
とべる小鳥はわたしのやふに、
地面(ぢべた)をはやく走れない。
わたしがからだをゆすつても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのやふに
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがつて、みんないい。
上記は金子みすゞの代表的な詩ですが、子供の心で作った純真な詩です。彼女は大正末期に優れた作品を発表して、西条八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで賞賛されました。しかし、実際には書いても、書いても、発表の邪魔をされたりしたようで、古書店に勤めながら細々と生計をたてていました。作品が発表されない事を悲観したこともあって26歳の若さで自ら命を絶ちました。まことに薄幸の生涯でした。死後、約500の作品は散逸しましたが、五十余年の時を経てその作品の全貌が明らかになり、今では天才詩人と注目されるようになりました。
お魚
海の魚はかはいさう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。
ほんとに魚はかはいさう。
大漁
朝やけ小やけだ
大漁だ。
浜は祭のやふだけど
海のなかでは
何万のいわしのとむらひ
するだろう。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちつともとべないが、
とべる小鳥はわたしのやふに、
地面(ぢべた)をはやく走れない。
わたしがからだをゆすつても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのやふに
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがつて、みんないい。
上記は金子みすゞの代表的な詩ですが、子供の心で作った純真な詩です。彼女は大正末期に優れた作品を発表して、西条八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで賞賛されました。しかし、実際には書いても、書いても、発表の邪魔をされたりしたようで、古書店に勤めながら細々と生計をたてていました。作品が発表されない事を悲観したこともあって26歳の若さで自ら命を絶ちました。まことに薄幸の生涯でした。死後、約500の作品は散逸しましたが、五十余年の時を経てその作品の全貌が明らかになり、今では天才詩人と注目されるようになりました。