yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

内田康夫と浅見家

2009-10-07 19:44:39 | 文学
  ミステリー作家、内田康夫は、1934年に生まれ、コピーライター、テレビCM制作会社
経営を経て、1980年に「死者の木霊」という作品でデビューしました。その後、次々に作品を発表し、今日まで150余の作品を執筆しました。2007年までには1億冊を売り上げ、翌年には日本ミステリー文学大賞を受賞しました。
ところで全作品の約70%、106冊には名探偵、浅見光彦が登場しています。本業はフリーのルポライターながら、一般の刑事を遙かに上回る捜査能力と謎に迫る根性を持ち、事件の全貌を想像する飛躍的な発想と、ストーリーの構築能力は古今の名探偵と比べても特に優れており、天才的な資質の持ち主ではないかと思われます。
さて内田家と小説の中の浅見家は、ともに東京都北区西ケ原にあります。内田康夫の父が浅見家の主治医であったことから両家は親しい関係にありました。浅見家の男子は、代々内務省か大蔵省に勤める高級官僚の家で、浅見光彦の父、浅見修一氏は大蔵省の局長でしたが次官就任の直前に急逝しました。長男、陽一郎は秀才の誉れ高く、浅見家のホープとして育てられ東大法学部に進み、学生時代に司法試験に合格し、首席で大学を卒業した後、警察庁に勤務しており、刑事警察機構のトップである刑事局長の要職にあります。次男の光彦は、常に賢兄、陽一郎の影に隠されざるを得ず、学校の成績は落ちこぼれ同然で浅見家の愚弟の位置に甘んじていました。二流大学の博士課程を卒業の後、会社勤めも経験しますが。そういった事が続かずに、内田康夫の紹介でルポライターをして日本中を旅しながら「旅と歴史」に寄稿をして愛車ソアラのローンの支払いに汲々としています。長身でハンサムで上品ですから小説の中ではいつもヒロインと良い線まで行くのですが、最後の押しが決まらず、未だに33歳の独身で浅見家の居候を続けています。
浅見光彦には妹が2人いて、すぐ下の祐子は「後鳥羽伝説殺人事件」の物語の中で崖崩れ事故に紛れて殺害されましたが、光彦は犯人を追い詰めて、きっちり敵討ちをしました。次の妹、佐和子はニューヨーク住まいで物語にはあまり登場しません。光彦の母の雪江未亡人は浅見家の中心で、光彦にとっては浅見家を牛耳る恐怖の母親です。
またお手伝いの吉田須美子は新潟県長岡市の出身で献身的に勤めています。先代のばあや、村山さんの後を嗣ぎ、次男の光彦を大事にしており、光彦坊ちゃまに女性が近づくのを懸命に阻止する癖があります。浅見家の家族同然ですが嫁に行く気配がまったくありません。光彦が探偵の最中にしばしば警察官とトラブルが起こしますが、警察庁の刑事局長の実弟という事実が判明すると、警察官の態度がコロッと変わります。水戸黄門の葵の印籠も負けそうです。
さて、内田康夫氏は内田家のドラ息子とご本人は謙遜して書いていますが、現在、長野県南軽井沢の塩沢に住んでいて、浅見光彦の事件簿を次々に発表して浅見家のプライバシーを暴露するものですから、浅見家のお手伝いの須美子からも「軽井沢のセンセ」などと軽んじられています。しかし彼は多芸、多才でピアノやチェロを弾く他に、囲碁は六段で文壇における不動の名人の位置にいます。彼の軽井沢の自宅の近くには「浅見光彦倶楽部」という建物があって、ファンで賑わっています。かつて、私も覗いたことがあり、光彦の小学校時代の通信簿なども見ることができました。光彦がよくかぶるという白い帽子を購入して近所を散歩する際に愛用しています。当然のことながら美貌のヒロインと近づくチャンスはまったく無いようです。
                内田康夫 「ぼくが探偵だった夏」 講談社
 
コメント (1)
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