yoshのブログ

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琵琶湖周航の歌の秘話

2007-08-11 11:04:57 | 文学
 私が特に好きな歌です。大正6年に小口太郎(おぐちたろう)が作詞しました。第三高等学校の学生が歌い始め、現在まで歌い継がれているロマンと抒情に溢れた名曲です。加藤登紀子の歌唱でヒットしたのは周知のことです。
 
(一番)我は湖(うみ)の子さすらひの旅にしあればしみじみと
        昇る狭霧やさざなみの志賀の都よいざさらば
(二番)松は緑に砂白き雄松が里の乙女子は赤い椿の森蔭にはかな
    い恋に泣くとかや
 以下六番まであります。
   
 大正6年6月、第三高等学校(現京都大学)二部のクルーは学年末(当時7月卒業)の慣例によって琵琶湖周航に出ていました。小口太郎ら一行は大津の三保ケ崎を漕ぎ出でて、1日目は雄松(志賀町近江舞子)に泊まり、2日目の6月28日は、今津の湖岸の宿で、疲れを癒していました。
 その夜、クルーのひとりが「小口がこんな歌をつくった」と同行の漕友に披露し、彼らはその詞を、当時彼らの間で流行していた歌の節にのせるとよく合ったので、喜んで合唱したということです。「琵琶湖周航の歌」誕生の瞬間でした。

 小口太郎は明治30年生まれ。長野県岡谷市出身。第三高等学校に学び、後に東京帝国大学物理学科に進みました。「有線および無線多重電信電話法」の特許を取るなど、多才でしたが僅か26才で他界しました。
下の写真が小口太郎です。
                  
                                                   
 
 ところが驚いたことに最近、平成7年になって、この歌の作曲者は吉田千秋だということが判明しました。
吉田千秋は明治28年に歴史地理学者吉田東伍の次男として新潟県新津市に生まれました。東京農科大学(現東京農業大学)に入学しましたが体調を崩して1年ほどで退学、その後郷里で療養生活を送りましたが24才で他界しました。
大正4年に雑誌「音楽界」8月号に琵琶湖周航の歌の原曲となる「ひつじぐさ」を発表しました。
ひつじぐさは睡蓮(Water lily)の和名です。以上 小菅宏著「琵琶湖周航の歌の謎」(NHK出版)から
千秋は音楽や文学に非凡な才能を持っていましたが、この歌が広く歌われていることを知ることもなく病気で夭折してしまいました。惜しいことでした。
作詞が小口太郎20才、作曲が吉田千秋20才、奇しくも同じ20才でした。若い二人が青春の一瞬を煌めきましたが、その後二人とも余りに短い生涯を閉じました。
しかし、この名曲は100年も愛唱され続けており今後も歌われることでしょう。
コメント (2)
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