直江兼続(なおえかねつぐ)は、上杉謙信の死後、継承権を争った御館(おたて)の乱の功により、直江家の名跡を継いで越後与板城主となり、23才にして上杉家の執政に抜擢されました。戦国時代にありながら謙信の遺風を受け継ぎ「仁義の精神」を信条に、兜に「愛」の前立を押し立てて、謙信の遺訓を実践しました。豊臣秀吉の処遇は厚く、大名なみの米沢30万石に封じられるなど、破格の待遇を受けました。関ヶ原の戦いでは、義により豊臣に組みしたため、敗戦後は厳しく処断されますが、信義に厚い人柄のためか、二代将軍秀忠の信頼を得るなど、戦国時代を爽やかに生き抜きました。<o:p></o:p>
兼続の主君の上杉景勝も立派な武将でした。太閤から兼続への破格な待遇を妬むこともなく、関ヶ原敗戦の苦境にあっても部下に責任を問うことは全く無く兼続への信頼は終生変わることがありませんでした。この経緯は藤沢周平の「密謀」に詳しく書かれています。、<o:p></o:p>
来年のNHK大河ドラマは直江兼続の生涯を描いた火坂雅志著の「天地人」が予定されています。<o:p></o:p>