山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第2回>

2018-05-27 06:47:15 | くるま旅くらしの話

【今日(5/27)の予定】 

道の駅:なかせん →(R105)→ 角館散策 →(R105・R46)→ 道の駅:雫石あねっこ(泊)

 

【昨日(5/26)のレポート】 天気:晴れ

<行程実績>

自宅 →(R294)→ 谷和原IC →(常磐道・東北道・秋田道)→ 横手IC →(R13)→ 道の駅:十文字 →(R13)→ 道の駅:雁の里せんなん →(R13・R105)→ 道の駅:なかせん(泊)

<レポート>

出発の日となる。やや待ちくたびれて気が抜けたところもあり、持参携行品のチエックなどに却って抜けがあることもあり、あれこれ気を回し過ぎて、というのは邦子どののことで、いざ出発した後も何か忘れものはなかったかと、ドライバーをイライラさせる言動がしばらく続いて、毎度のことながらこれから旅に向かう楽しさを削ってくれていた。

さて、今日はとにかく移動日である。家を出た後は直ぐに常磐道の谷和原ICに入って北を目指す。今日の予定は北上市から秋田道に入り、横手ICで降りおて、道の駅;なかせんまで行って泊ることにしているが、これは順調に行った場合のことで、実際はその手前のどこかのSAなどで泊ることになるのではないかと思っている。何しろ北海道行が途絶えた3年間の間に3歳も歳をとっており、老化が進んでいる身体なので、無理はできないのである。

給油をした後谷和原ICに入ったのは丁度9時だった。薄雲のかかる曖昧な晴れの天気は、この後の暑さを思わせる感じがした。邦子のの懸念に文句を言ってしばらく走って、友部SAで朝食休憩。ここでもう一度、邦子どのに薬などを忘れていないかを確認して貰って、ようやく心配は収まったようである。

その後は特に書くことも無く、只管常磐道を仙台を目指し、そこからは東北道を目指して富谷JCTから東北道に入り、北上を続ける。大地震と原発の大事故以来常磐道を走るのは初めてのことだった。どうなっているのか心配もあったが、現地は何事もなかったように落ち着いていた。かつてよく泊った楢葉の道の駅近くを通る時は、その頃を思い出して、事故の無情さ悲惨さに改めて怒りと悲しみを覚えた。それにしても、未だなお原発を捨てないという選択は許されていいものなのか、2度の原爆を蒙り、最悪の原発事故を体験しているというのに、である。

東北道に入って、長者原SAで小休止。給油所を見て軽油の価格が145円/Lなのに驚く。守谷で入れた時は117円だった。どうして高速道がこれほど高いのか解せない。いつも感ずる疑問である。しかし高くても給油せざるを得ないので、次の前沢SAで30Lだけ入れることにした。ここは143円だった。結果的に横手ICで降りて、その辺の給油所では125円が普通の価格となっていた。20円も高いのはどう考えても納得できない。

横手まで来られたので、十文字の道の駅に泊ることにしようと向かったのだが、天気はピカピカの青空で、17時になったばかりであり、とても泊る気分にはなれなかった。取り敢えず横手焼きそばを食して、思案の後明日の角舘散策のことを考えて、美郷町にある道の駅:雁の里せんなんに泊ることにして向かう。ところがついて見ると、何とトイレが工事中で使えないという。それほど古くもない道の駅なのに、トイレの使われ方に何か問題があったのかなと思った。これでは困るので、思い切って当初の目的地だった道の駅:なかせんに行くことにした。まだ日が少し残っており、泊るのには丁度良い刻限だなと思いつつ、到着した。丁度19時だった。10時間かけての走行距離は563kmとなっていた。俺は老化が停まっているのかと、少し不思議な気がした。直ぐに着換えて寝床にもぐり込む。

コメント
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