山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第20回>

2015-12-03 03:33:37 | くるま旅くらしの話

【今日(12/03・木)の予定】 

  米子市内・知人宅 → 未定

 

【昨日(12/02・水)のレポート】

<行程>

 勝央SA →(中国道・米子道)→ 米子IC →(R431他)→ 皆生温泉共同浴場 →(R431他)→ 境港市・水木ロード散策 →(R431他)→ 米子市内・知人宅 (泊)  走行 137km

<レポート>

天気:晴れ後遅く曇り後雨 

今日からは、今回の旅の枠を外れた気ままな予定なしの時間である。従って、特にレポートすることもないのだが、未だ帰着したわけでもないので、今回の旅の付録として、一応報告をすることにしたい。

昨日は高速道での3回目の宿泊だった。中国道の勝央SAに泊るのは、勿論初めてのことである。トラックの騒音が問題なのは初めから覚悟していたのだが、これは予想以上のものだった。小型車のレーンにずらりと並んだ大型トラックの連中は終夜エンジンを掛けっ放しで、排気ガスを出し続けていた。運送で生業を立てている人たちには、うかつに文句は言えないけど、環境汚染などを考えると、国は何らかの施策を考えるべきではないかと、改めて思った。美濃加茂SAの時は、雨も降っていて、トラックの数も少なかったし、きちくまのの道の駅は新しくて殆ど泊る車はいなかったので、騒音のことは気にならなかったのだが、さすが老舗の中国道では、そんな甘い捉え方は成り立たなかった。それでも、最近のトラックは排ガス規制があって以降はかなり静かになっていて、救われる感じがした。

朝になって外を見ると、一面の霧だった。岡山県の津山市近くのこの辺り、その昔の美作の国一帯は、この季節は温暖の差が厳しくなっていて、朝になると山間を流れる幾筋もの川から霧が湧きだし、それが一帯を白く埋めるのかもしれない。霧はなかなか晴れず、出発の9時近くになっても一向にそのままの状態だった。ライトを点灯させての出発となった。今日は米子在住のAさん宅をお邪魔するのだが、米子に着いたら、まずは皆生温泉の風呂に入り、その後少し眠って、午後15時ごろにお邪魔するつもりでいる。

霧の中を走って、しばらくして山間部に入り、幾つかのトンネルを潜って行くと、突然霧の無い陽の射す世界が現出した。霧を遮る山を超えたのであろう。そこからはまだ紅葉の僅かに残る光の眩しい世界が続いた。蒜山高原SAに着いて少し休憩する。ここからは雪を冠した大山の峰が遠望できた。何時見ても心惹かれる山である。一息入れて出発する。間もなく下界に降りて、米子市内海の傍の皆生温泉へ。共同浴場をネットで調べてその場所に行ったのだが、駐車場は閉鎖されており、それらしき建物も見えない。どうしたことかと誰かに訊こうとしたのだが、人の気配は全くない。ようやく付近の家の中から出て来られた人を見つけて尋ねると、何と別の場所に移ったのだという。そのようなこともあるのかと驚いた。

教えて頂いた場所へ行くと、かなり立派になった宿舎を備えた建物があり、そこに共同浴場があった。早速中に入って見た。既に営業開始の時刻は過ぎており、用具を抱えた人が入ってゆくのが見えた。料金はネットでは290円となっていたが、新しくなった浴場は400円となっていた。天下の名湯なのだから、ま、当たり前の値段かなと思った。相棒は日中の入浴は体調を崩しかねないと止めることにしているので、自分一人が行くことになる。それから1時間ほどいい湯を楽しむ。石鹼とシャンプーは備わっているのだろうと持参しなかったのだが、これがなくて困惑した。風呂に入ってから気づいたのだが、時すでに遅しである。とにかく温泉だけをたっぷり味わうことにした。

風呂から出て、一眠りしようと思っていたのだが、とんと眠りの気配はやって来ず、これじゃあ無理だと、止めることにする。相棒がどこかから「妖怪楽園」というパンフレットを持って来ていたのを見て、昨日だったか水木しげる先生の訃報を知ったので、Aさん宅からは近い境港市内にあるそこへ行って見ることにした。Aさん宅には何回かお邪魔しているのだが、未だ境港の方へはお魚市場という所へしか行っていない。いい機会だと思った。ということで、その後は境港の水木しげるロードという所に向かう。

行く途中の道々の脇には、水木先生の妖怪に関する作品のキャラクターの用語や絵などが至る所に溢れていた。米子空港は米子鬼太郎空港となっているし、境港駅も鬼太郎駅などとなっていた。何よりも驚いたのは、駅から真っ直ぐに伸びる商店街は水木ロードと呼ばれ、街路の至る所に様々な妖怪のブロンズ像が展示されていたのである。又、販売されている商品にも食べ物から各種グッズに至るまで、妖怪の名や絵が沁み渡っているのである。まずは妖怪の暖簾が下がる食堂に入り、空腹を満たす。その後は、妖怪楽園という小さなイベント広場の様な所を初め、水木ロードの左右に置かれた様々なブロンズ像を見たり店を覗いたりしながら駅までを往復した。妖怪の写真は、200枚を超えていた。これほどの仕事を残された水木しげるという人物の凄さを改めて思った。

    

水木しげるロード。JR境港駅前から600mほどの真っ直ぐに延びる商店街には、水木先生の作品、キャラクター商品が溢れている。

    

妖怪楽園の景観。水木しげるロードの終わり近い横路の奥まった所には、リアルな妖怪の著名人たちの像が並び、大人も子供も遊べる小さな広場がつくられていた。

    

等身大のねずみ男と握手する人。このような大きさの像が幾つか点在していた。

  

左:石見の牛鬼、右:こなき爺。このような小さなブロンズ像の作品が、もう数え切れないほどロードの両側や横路に置かれている。いずれも優れた芸術作品である。

やはり主役は鬼太郎さんであろう。おなじみの鬼太郎さんが、目玉おやじを手に載せて、石の上に腰かけて休んでいた。

15時近くになり、Aさん宅に向かうことにした。何度来ても入口が判らず、いつも迷うのだが、今回はどうにか一発でお宅に辿り着くことが出来た。1年ぶりの再会を果たす。そこから先はプライベートな世界となるので、このレポートからは除外することにする。「友あり遠方より来る。又、楽しからずや。」は、孔子様のことばだけど、自分はこの反対の立場であってもお互いは全く同じ気持である。

コメント
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