山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ロウバイ咲く杞憂

2015-01-06 06:16:57 | 宵宵妄話

 昨年の12月から急に寒くなって、その勢いは各地をたじろがせるほどの大雪を降らせたりして、一向に収まりを見せないまま新年を迎え、今日に至っています。地球温暖化がかなり深刻な状況を呈していますが、この寒さがその流れを汲むものだとしたら、専門知識の乏しい我々は一体どう受け止めたらいいのか、戸惑うばかりです。もしかしたらこの寒さは一時的なもので、この後は一気に春に向かうのかもしれないなどと、そのような根拠のない想像をしながら毎朝の歩きを続けているところです。

 この寒さの中で、一つ感じている不思議な現象があります。それはこの冬はロウバイの花の開花が少し早過ぎるということです。守谷のこの近郊には家々の庭や畑の縁などにロウバイの木がよく見られるのですが、それらの花が咲き出しているのです。中には昨年の葉をたくさん付けたまま花を咲かせているのもあります。例年だと早いものでも1月になってから開花に気づくのですが、今年は昨年末から咲き始めており、中には満開近い状態となっている木も見られました。この早さは一体どうしたのだろうかと、気になります。

   

昨年の葉を少し残したまま早や満開に近い開花状況となっているロウバイの木。(1月2日撮影)

 ロウバイは老梅ではなく、蠟梅と書きます。梅という字からは梅の木の仲間と思ったりしますが、梅は桜と同じバラ科の木です。でもロウバイはバラ科ではなくロウバイ科の別種です。樹木の本体は梅とは違った姿形をしていますが、花の方は透明感のある黄色い花が蝋細工の梅の花を想わせる感があり、開花の時期も梅よりは少し早いものの、早春に先駆けて咲くのも梅と似ていることから名付けられているのかもしれません。

 この花が好きで、我が家の庭にも一本植えたいと考えているのですが、もはや狭い庭は木を植えるのは限界に近く、ずっと我慢し諦めかけていました。しかし、その思いを振りきることが出来ず、何年か前に、開花期が終わって黒っぽい実が付いている木から、何個かのその実を採って来て鉢の中に埋めておきました。すっかり忘れていたのですが、翌春になった時にその鉢から数本の小さな若木が生え育っているのに気づきました。いや~、嬉しかったですね。老人になると、このような当たり前のことに妙に感じ入ってしまうのは、生命の始まりと終わりに対する感性が強くなって来ているからなのかもしれません。特に終りよりも始まりを実感した時の感動が大きいのは、生きることの価値がほんの少し解りかけて来た証なのかもしれません。人間というのは、終りに近くなってから、初めて生きることの意味や大切さを解かり出す存在なのかもしれません。つまりは、後悔に生きる動物でもあるということです。

 その芽生えたロウバイの若木は、2~3本ずつ鉢を分けて移植して育てたのですが、やはり庭に植えることが出来ず、知人の農場の脇に植えさせて貰っています。実生の盆栽にしようかとも考えたのですが、何だか窮屈に育てるのがかわいそうな気がして、これは思いとどまりました。そして、今は歩きの中で他所の花や実を見るのを楽しみにしています。

 さて、そのロウバイが今年は異常な早さで花を咲かせている感じがするのです。樹木たちは皆無口なので、一体何を考えているのか見当もつかないのですが、毎年同じ場所に同じ季節に同じように花を咲かせたり葉をつけたりしているのを観察していると、彼らの無言の生き様からほんの少しですが、その声を聞くことが出来るような感じがしています。樹木にとって花を咲かせるというのは、実をつけるため即ち子孫を残すための大切な営みの証であり、それゆえに花は美しいのだと思います。その花が咲き急いでいるというのは、何を告げようとしているのか。気になります。もしかしたら、今年は梅や桜たちもいつもより早く花を咲かせるのかもしれません。じわじわと進んでいる環境汚染の影響を、彼らは敏感に感じ取り我々に重大な警告を発しているように思われ、ちょっぴり複雑な心境でそれを受け止めているこの頃です。

 ところで、ロウバイといえばいつも思うのは、その名所の秩父の宝登山のことです。まだ一度も訪ねたことがないのです。今年こそはと思っているのですが、秩父は寒い所ですから、何時雪に見舞われるやも知れず、冬タイヤを用意していない旅車では、ちょっぴりためらいが勇気を抑え続けているのです。でも、今年は何とか行ってみたいなと思っています。もし、例年よりも開花が早まっているようなら、守谷のロウバイたちの警告は本物と受け止めるべきで、そうでない時には、自分の錯覚だったと忘れることが出来るのですから。たとえ、行けなくても、宝登山の開花情報には敏感でいたいと思っています。

   

遠くから咲いているのを見ると、花の茎元辺りの感じから梅の仲間のようにも見えるけど、近づいて見ると梅とは違ったろうたけた花なのが良く判る。それにしても、こんな寒さの中で花を咲かせるのはなぜなのだろう?

 

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一つ一里塚を跨ぐ

2015-01-01 17:08:18 | その他

 

又一つ新しい年を迎えました。お読み下さっている皆様のご安全とご健康を心から祈念申し上げます。

 

正月は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」といったところが自分の本心なのですが、今年もマイペースでゆっくりと冥途に近づくことにしています。

さて、今朝はいつものように6時過ぎには歩きに出発しました。毎朝7kmほど歩くのを日課にしていますが、今日は元旦なので、初詣を兼ねたコースとしました。

家を出て少し歩いて国道294を渡り、更に関東鉄道の踏切を渡って線路脇の道を少し行くと、今開発中の住宅団地の向こうにある何本かの松並の彼方の空から、初日が上ってきました。東南から広がる怪しげな雲の帯の中からの日の出は、今年も多難であることの予兆の光のようにも見えました。それを厳粛に受け止めながら歩き続けて、TX(=つくばエクスプレス)の基地の脇を通って、その先の田んぼの中の真っ直ぐな道を1kmほど歩くと、守谷城址の公園に出ます。

   

守谷市の初日の出。守谷市に残る唯一の松並(その名も松並町という地区名)の向こうに雲の帯があり、そこから上って来る太陽の輝きは、今年の多難を予知しているような感じがして、厳粛な気持ちになった。

守谷城というのは、彼の坂東武者の暴れん坊の平将門が築いたという話があるようですが、自分には真偽は判りません。今でも調査がなされているようで、築城の技術的な面などが調べられているようです。茨城県といえば常陸の国と思われる方が多いと思いますが、ここ守谷は古代の令制国では、明らかに下総の国に属しています。下総といえば、利根川に沿った湖沼地帯が広がっており、将門が活躍した往時は、今よりもはるかに多くの湖沼地帯が広がっていたのに違いありません。守谷城はそれらを巧みに利用した要害だったに違いありません。今は僅かに城跡に数本の巨木が残るのみの静かな公園となっています。

   

守谷城址の景観。水がたまっているのはその昔の掘り跡。右手のこんもりと木の茂っている場所が城跡。

そのようなことを想いながら少し歩くと、守谷小学校の脇に出て、そこを少し先まで行くと村の鎮守の八坂神社があります。いつもは静かで人影もない神社ですが、今日は善男善女が初詣に参ってちょっぴり賑やかでした。自分も珍しくお賽銭を献上して、二礼二拍一礼の挨拶を奉納しました。特に願い事はしませんでした。

   

村の鎮守の八坂神社の初詣風景。まだ時間が早いせいなのか、今年の参詣者は少ないようだった。

そのあとは、これがメインの初詣なのですが、少し先にあるTX守谷駅前の土塔という地区にある道祖神様にお参りしました。この土塔の道祖神様を自分の旅の守り神とすることにしており、毎年新年にはここに詣でて、昨年一年の旅の安全のお礼を申し上げ、今年一年の旅の安全祈願をすることにしています。自分の他に詣でる人がいるのかどうか判りませんが、この小さな祠を守ってお世話をしている方には感謝を申し上げたいと思います。

守り神というのは、皆小さなご神体が多いようで、ここも「道陸神」と宝暦年間に刻まれた小さな石の標と、その脇に昭和の50年代に作られた同じほどの大きさの「道祖神」という石の標が並んで置かれています。ただのありふれた石のモニュメントに過ぎないのですが、この小さな石には、旅に係わる人々の心がつながり結ばれているように思われ、敬虔な気持ちになるのです。今の時代は、TVのアニメなどで神様や妖怪などを遊びの道具のように使ったりしていますが、そのようなものに溺れ遊ばされている人たちに、神様は一体どの様な気持ち、態度で臨んでいるのかなと思ったりしてしまいます。

   

土塔の道祖神様。左側のものは宝暦年間(1751~63)に奉納したとの銘が刻まれている。これらの道祖神は、TXの開発工事のために、ここに移されたとのこと。TXはもっともっとこの道祖神を大事にしなければならないのではないかと思っている。

   

TX守谷駅(西口)の景観。普段ほとんど利用しないせいなのか、この幾何学的で温かみに欠ける建造物には親近感を感じない。道祖神はそれでも人々の安全を祈っているに違いない。

土塔の道祖神様にお参りした後は、TX守谷駅の構内を通り過ぎて、我が家に向かいました。守谷駅からはゆっくり歩いて30分、早足では25分ほどの距離に我が家はあります。歩いている人は誰も見当たらず、自分一人だけのようでした。今年の始まりの小さな旅でした。

この冬は昨年の旅の後楽を味わうことがメインです。これからはブログにはその楽しみの幾つかを紹介させて頂こうと考えています。週に1回ほど出来ればいいなと思っています。  馬骨拝

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