山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

選挙結果の意味するもの

2012-12-20 06:16:56 | 宵宵妄話

 衆議院選挙が終わり、為政の体制が大幅に入れ替わることとなった。民主党が大敗し、現職の大臣が8人も落選し、新しい政権が発足するまでの間は、国会議員ではない8人もの人物が大臣を務めるという、珍妙な時間が生まれることになる。このような愚かな現象が起こったのは、現政権の為政のやり方に起因するのは明らかだが、もっと深く考えれば、選挙の投票者たる国民一人ひとりの投票行動が深く係わっているように思う。極言するならば、この混乱した政治状況を生み出したのは、政党などではなく国家構成の基盤たる国民一人ひとりの意識と行動によるのではないか。別の言い方をすれば、今の日本国には国民としての一体感と言うのか、共通の問題意識と言うのかそのようなものが極めて曖昧となっている。

一人ひとりの思いは自由である分だけ勝手でもあり、自己主張が横行し、それをマスコミがこれ又好きなように色づけして世論であるかのように操っている。自己主張と言ったけど、実際は声を上げて主張している人は少なく、その大半は小声でつぶやく程度の内向きなのだ。ツイッタ―などと言うのがもてはやされるのも、大声を出せない人がいかに多いかの社会現象の表れでではないかと思う。そして、現実社会の中ではつぶやきの方がずっと力を持っている。しかし、そのつぶやきの力はまとまって大きな声にならない限りは無力である。

自民党が圧勝するという結果になった。連立を組んで来た公明党と併せると、三分の二以上の議席を獲得し、決めようと思えばどんな議案でも成立させることが可能となったという。憲法改正でも原発の継続でも何でも思うままということなのかもしれない。ま、それほどの暴挙を一気に行うことなどあり得ないとは思うけど、議席の三分の二以上を獲得したということが、国民の総意の三分の二を得たということでないのは明確である。今回の選挙では、全有権者の約40%が投票に参加していない。60%の投票者の内、自民党の得票割合は小選挙区が41%、比例代表が27%に過ぎないのである。これを国民全体の割合で見てみると、小選挙区は24%、比例代表は16%に過ぎない。それにもかかわらず議席の獲得数では圧勝となっている。このことの意味を我々も、政治に係わる人たちもしっかりと心得ておく必要があると思う。すなわち、議席数は必ずしも民意を反映してはいないということである。自民党は兜の緒を更に厳しく引きしめて為政の舵を切って欲しいと思う。

先に結論めいた当たり前のことを書いたが、実際今回の選挙ほどわけが判らない気持ちになったことはなかった。これは先ず以って政党を初め、政治に係わる人たちの怠慢に起因していると思う。民主党の失政をチャンスと見た駆け引き政治の具がこれほどひどい状態で現れたことはかつてなかったように思う。政党政治が最早限界に来ているとも感じた。政治家として己の信念を通すがゆえに離党を覚悟したと公言する向きの人物もいるけど、それが本当なのか、一時功利に捉われて一見の美言を弄したのか、その真偽がこれから後に問われる人物は多いように思う。落選の憂き身の中でどのような身の処置方をするのか見定めなければならない。

今回の選挙では、解散時期が間近になってから政党の分裂や統合や連携等の話題が頻繁化し、結果的に多数の泡沫的な政党が生まれたが、全て虚しいなと思った。根のない浮き草のような存在にしか見えなかった。如何に気を引く美辞や麗句を並べても、実績もなく裏付けも貧弱な主張には力を感じることはできなかった。結局力を感じさせ得なかった政党は敗れ去ったということであろう。

この中で自分の選挙区に関しては、不愉快なことがあった。見たことも聞いたこともない人物が、日本維新の会から立候補したのである。経歴を見ると、群馬県の某地方自治体の町議とのこと。比例代表なら判るけど、小選挙区になぜそのような人物が立候補するのか、理解できない。維新に名を借りて、この地区の選挙民を試そうとしているのか、或いは愚弄(ぐろう)しているのか、怒りを覚えた。維新の会の志を否定するものではないけど、人物を選ぶ選挙で、地元が今まで見たことも聞いたこともない人物をいきなり立候補させるとは、何という思い上がりかと思った。思い上がりの発想には危険を感じざるを得ない。思い上がらずに政治などやっていられるか、というのが政治家側の言なのかもしれないけど、その地に生きている人の心情を無視するようなやり方は愚行の一語に尽きる。

最後に今回の選挙で最も責任を感じなければならないのは、投票行動をしなかった人たちであろう。その数は4,230万人にもなるのである。この中には呻吟の結果投票を断念したという人もいるのかもしれない。しかし、無関心と言う人が圧倒的に多いのではないか。公報など見てもどう判断すればいいのかわからないということもあるのかもしれない。しかし、見もせず、考えもせず、そんなことはどうでもいいと思っている人がいたとするなら、その人たちはこの国に住む権利を大声で主張する資格はないと自認すべきではないか。つぶやきをまとめて大きな力とし、声として国政に反映させるのが選挙なのであり、その行動が投票なのである。4割もの人たちがそれを行わないという現実には失望するばかりである。

選挙と言う仕組みが、国家運営の基盤として本当に民意を反映しているのか、選挙を経験する度にその疑念が深まるばかりである。

 

コメント (1)
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